46歳で12人目の妊娠?離婚や再婚などの壮絶な彼女の人生に迫る
少子高齢化が日々深刻的な問題となっていく中で、沖縄には12人もの子供を産もうとしている素敵な女性がいる。彼女は、自身も助産師の資格を持っており、沖縄に助産院をも構えている。日々、子育ての大変さや妊娠の大変さが話題となる中で、彼女はどのようにして11人もの子供を産み、そして46歳になった現在も12人目を妊娠することができたのか。今回の記事では、そんな彼女の子育て人生と活動に迫ってみた。
子供を産むことの大変さ
現在、日本では未婚率が毎年上がり、結婚しても子供を産まない選択をするなどの、少子高齢化に拍車がかかっている。私たちの生活スタイルが、昔に比べ変わってきたのこともあり、このような選択をする女性も今では決して珍しくない。
当たり前だと思われている子供を産むということは、実際には奇跡の連続であり、お金も時間も多くかかる。そんな中で、これからご紹介する女性は、時代の流れとは逆の選択をしたたくましい女性だ。
助産師HISAKOさんとは
大阪に自ら助産院を開き、多くの女性の妊娠・出産を助けている助産師のHISAKOさん。今年の4月には、その「助産院ばぶばぶ」を大阪から沖縄に移転させ、更に活躍を広げている。彼女は、今年46歳。多くの女性は、この年齢であれば、子育てが少し落ち着いたところだったり、仕事もある程度、把握しきったというところだろう。
しかし、彼女は今までに11人の子供を産み、現在も子育て真っただ中である。そして。そんな彼女は最近、衝撃の事実を発表した。
12人目の妊娠
11人産んだ助産師として有名な彼女は、子供を産む人数が増えるに連れて、本を出版したりとメディアの活動も広げていった。そして、そんな彼女は先日YouTubeで驚きの事実を発表した。
そう、彼女のお腹にはなんと12人目の子供の命が宿っているというのだ。自身でも更年期かと思っていたところの自然妊娠だったので、かなり驚いたようだった。
助産師を目指したきっかけ
彼女が助産師を志した理由は、高校生の時に助産師の学生ドキュメンタリーテレビを見て、初めての出産シーンに感動したことがきっかけだったようだ。
子供が産まれるシーンをテレビを通して知った彼女は、強い情熱とその感動を自らも味わいたいと思い、看護学校の助産科に入学した。卒業後は、地元の小児科や産婦人科で多くの出産のシーンに立ち会っていったのだ。
いつ結婚したの?子供は?
その後、彼女は一人目の旦那さんに出会い、1998年に自身の第一子である男の子を出産。この時の彼女は、本当に嬉しくて今までに味わったことのない感動を覚えたのだとか。今まで他人の出産には携わっていたものの、自分の出産は初めてのことだったので、もちろんこれまでとは違った気持ちだっただろう。
そしてここから、彼女の出産・妊娠・子育ての壮絶な人生が始まるのだった。どうやって今までに11人の子供を産むことが出来たのだろうか。
計画的に毎年出産
第一子を産んでからというもの、30代はほとんど出産と妊娠をしていたという彼女。第一子を産んだ翌年には、第二子の女の子を妊娠、出産した。2001年から2003年には、毎年子供を年子で出産した。つまりは、第一子を産んでからおおよそ5年で既に5人の子供を授かったことになる。
どんなに子供好きでも、ここまで子供を産んでいる人は、さすがに最近だと少なくなってきただろう。というのも、出産・妊娠・子育てへの悩みや不安は尽きないのため、なかなか次への一歩が踏み出せない人が多いのも事実だろう。
HISAKO流子育て
11人もの子供がいる彼女の暮らしは、並大抵の努力では決してままならないだろう。朝5時半には、子供たちが次々と起きてくるので、それまでに起きて朝食の支度を済ませる。ごはんを食べさせている間にも、洗濯や掃除を次々とこなす。
しかし、大家族だからといって彼女は決して子育てに手を抜いたりはしない。食事も大皿で出すようなことはせず、きちんと小分けにして一人ずつプレートを分けて食べさせているのだ。そんな所々に見られる助産師HISAKO流の子育て。
子供一人一人と向き合う時間は欠かさない
彼女が子育てをしている中で、最も重要視しているのは、きちんと一日一回、子供達全員と向き合う時間をつくることだという。どんなに忙しくてもこの時間は、絶対に欠かさない。一日の時間は限られている。しかし子供がたくさんいるからと言って、この時間は決して削ってはいけないものだという。
「きちんと見ているよ。忙しくても側にいるよ!」という気持ちを母親の彼女自身から伝えることで、子供たちへの愛情が注がれていることを認識させているようだ。
牛乳10パックに卵は40個を3日間で消費!
ある日、3日間の家の買い物を調査する宿題が、子供に出された。その時、子供は何の疑問も感じずにお米30㎏、豚肉6㎏、牛乳10パック、卵40個と記載して提出したという。しかし、学校から帰ってきた子供は、こう言って驚いたという。
「他の家はみんな、3日間で卵1パックしか買わないんだって!」これには、HISAKOさんも大爆笑してしまったようだ。11人の子供に大人二人の食事を考えたら、ものすごい食材・食費になることだろう。
ママたちの駆け込み寺
HISAKOさんは、ブログの中で多くのママたちが「子育て」ではなく「弧育て」になって孤立するママが増えてしまっているという。というのも、育児には思いもしなかったことや、思い通りにいかないことが次々と起こり、真っ暗な気持ちになることが多いからだそうだ。
そんなママさんたちの駆け込み寺になればと思って作られたのが、HISAKOさんが経営する「助産院ばぶばぶ」。この助産院は、NHKでもドキュメンタリー番組として取り上げられ、一躍人気となった。
大家族時代から核家族時代へ
かつての日本は、三世代家族がほとんどであり、子供は、自身の親からだけではなく祖父母からも教育や躾を受けた。また近所とのつながりも今より強い家庭が多かったため、子供は幼いころから、多くの大人の中で育っていた。つまり、子育ては家族みんなで行うという意識があった。
しかし、1950年代頃から急速に大家族よりも、核家族化が進み、両親と子供だけの世帯というものが増えた。現代では、この核家族化が進んだことにより、両親、特に母親は孤立し、子育ての悩みを一人で抱えることが増えたようだ。
第二子出産後すぐに
HISAKOさんは、自身で第二子を出産後、すぐに他のママさんたちの役に立てないかと、妊産婦対象のメール相談ボランティアを開始したのだ。メールの内容は、子育ての悩みに疲れ果て、生活がうまくいかない事への苛立ちや、出産後の夫婦関係に関する内容など、様々だった。しかし、相談してくるその誰もが助けを求めていた。
その後、2000年には、子育てネットサークルとして、「ばぶばぶ王国」を立ち上げたのだ。このサークルは、今のようにスマートフォンや光回線などがない時代であり、ママ友を作ることがとても大変だった時に発足された。
当時26歳 双子を妊娠中
子育てネットサークルとして、「ばぶばぶ王国」を立ち上げたとき、彼女はまだ二人目を産んだばかりで26歳だったという。しかし、お腹の中には既に3人目と4人目の双子を妊娠しており、20代ながらに既に多くの出産・妊娠経験をしていた。
当時は、今ほどインターネットも盛んではななかったので、産婦人科できちんとした説明が受けられずに、一人で不安を抱えてしまっている妊婦さんや新米ママが多いことに彼女は着目した。若いながらも、「自身の経験と助産師としてのプロとして持っている最大限の力を駆使してママたちをハッピーにしたい!」という思いから発足したようだ。
赤ちゃんはなんて話す?
名前の由来を、彼女はブログの中でこう語っている。「サイト名、何がいいかな?そんなに深く考えることもなく10分そこらで「赤ちゃんってほんまに"ばぶばぶ"言うよね〜ばぶばぶ、で、いいか!」と即、決定したようだ。こんな彼女の潔さも彼女の今の実績が関係しているのかもしれない。
子供は最低5人欲しいと思っていたHISAKOさん。産み終えたら、必ず助産師として復帰していたいと思っていたようで、妊娠中も常に最新の知識を頭に入れ、時代遅れの助産師にならないように取り組んでいたようだ。すごい努力家。
1998年~2016年の間に11人
彼女は、1998年に第一子を妊娠してから、2016年に至るまでに11人の子供を妊娠し、出産した。4男7女に囲まれた彼女は、それはそれは幸せな生活を送っていると誰もが想像していることだろう。
確かに子供が大好きなHISAKOさんは、毎日の育児に追われながらも、とても充実していた時間を過ごしていたようだ。しかし、11人目の子供だけは父親が異なる。彼女の人生は、大きな波乱を迎えていたようなのだ。
離婚騒動。
40歳になったHISAKOさんは、人生最大の危機に立たされる。そう、離婚騒動だ。当時の彼女は、既に10人の子供を出産し、育児に仕事にと多忙な毎日を送っていたようだ。はっきりとした理由は書かれていないが、彼女は今までの夫婦生活に終わりを告げる時がきたのだ。
ブログを読み進めると、どうやら夫婦間の感情のすれ違いが主な理由のようだ。妻が期待していた感情が思うように相手に伝わらない。そんな些細なきっかけが、夫婦の人生を思い直すタイミングになってしまったのかもしれない。
シングルマザーに
40歳で人生の波乱に立ち向かうことになった彼女は、苦渋の決断を迫られる。そう、10人のうち6人を引き取り、子供たちは兄弟バラバラになってしまったのだ。両親の離婚に兄弟の別離。子供達も辛い時期だったようだ。
自分のせいで子供たちに辛い思いをさせていることを、悔やんでも悔やみきれないHISAKOさんは、シングルマザーとして頑張るもかなり精神的にキツイ日々を送ることになる。今までのエネルギッシュな彼女の姿からは想像できない・・・
揺さぶられる感情
彼女は離婚後、精神的にとてもつらい時期を送ることになる。引き取った以外にの子供に会えない悲しさ。何よりも子供たちが多感な時期に家族を真っ二つにしてしまった罪悪感。子供を産んだばかりだというのに、母乳もぴたりと止まってしまったという。
いつもは前向きに頑張れるHISAKOさんもこの時ばかりは、毎日泣いてしまっていたようだ。しかし、そんなときに支えてくれたのが現夫のMARKさんのようである。
彼の子供が欲しい
離婚してから二年。支えてくれたMARKさんとの間に子供が欲しいと思ったHISAKOさん。しかし、40代になると妊娠しづらくなってしまうのが、辛いけれど悲しい事実。彼女自身も41歳で二回の流産を経験した。今までの彼女は、赤ちゃんが欲しいという気持ちだったようだが、現在の旦那さんであるMARKさんと出会ってからは、彼の子供が欲しいという強い気持ちが芽生えたという。
人工授精を二回も行いましたが、どちらも成功することなく、年齢的にも環境的にも、もうあきらめるしかないと思った時、彼女に奇跡が起こりました。
荒れる長女、強行突破のHISAKOさん
当時、MARKさんとはまだ籍をいれていなかったが、諦めかけていたタイミングで第11子を自然妊娠した。思春期の子供達、特に長女はこのデリケートな問題になかなか理解を示せず、荒れていたという。
そしてHISAKOさん自身も、子供たちの心が揺れるのを目の当たりにし、11人目の子供を産むことを諦めようとしたようだ。しかし、どうしてもMARKさんの遺伝子を残したいと思った彼女は、様々な感情を乗り越え、強行突破することを決めたようだ。
心を鬼にして産んだ11人目
高校生の子供達とMARKさんの関係は、良好状態とはいえないまま、HISAKOさんは11人目の子供を産むことを決意。娘さんたちには、完全に応援・認めてもらえはしなかったようだが子供達も一生懸命、HISAKOさんの気持ちを理解しようと努力してくれたという。
正直、実の父親や兄弟との別離、新しい兄弟、異なる父親、全ての状況がきっと想像を絶するストレスや感情を引き起こしたことだろう。しかし、現在はこの状況も落ち着きを取り戻し、子供達も協力的だという。
助産院ばぶばぶのきっかけ
多くの子供を産んでからも、やはり助産師として現役で活躍したいと思っていたHISAKOさん。助産師として、やはり子供を取り上げる分娩介助の役に戻りたいと思ったようだった。しかし、数々の経験をしてから、自分の役目は本当に分娩介助だけなのだろうかと疑問が浮かんだという。
そこで、考え付いたのが、産んでからでも駆け込むことのできる「駆け込み助産院的な場所を作りたい」という思いだった。お産はもちろん大切だが、産後や子育て期間に生じる様々な問題を助けられるのは、多くの子供を産んだ自分しかいないのではないだろうかと思ったようだ。そう、この思いが助産院ばぶばぶの始まりなのだ。
悩む母を支えたいHISAKOさん
助産院ばぶばぶは、大阪で開業された。HISAKOさん自身が生まれ育った大阪の土地には、たくさんの思い入れがあったという。ありきたりな答えしか返ってこないことに不安を感じる新米ママさんや、様々な思いを持ちながらも一人で頑張るシングルマザー。
全ての経験をしてきた今だからこそ、彼女達の気持ちに寄り添ってアドバイスや適格な説明ができるのだろう。そう、正に困ったことがあればここで聞く、誰かが助けてくれるそんな女性の心の拠り所がこの助産院ばぶばぶなのだ。
教科書に載っていない妊娠出産・子育て
現在のHISAKOさんは、引き取った6人の子供達に加えMARKさんとの間に生まれたととちゃんと、お腹の中にもう一人子供がいます。その子供たちの毎日のお世話、また、4月に沖縄に移転した助産院ばぶばぶの経営やママさんたちに向けての講演会などで、彼女は毎日大忙しです。
HISAKOさんの話は、助産院としてのプロの知識はもちろんのこと、実体験を基にした話が多くつまっています。HISAKOさんのブログにあるように「教科書に載っていない妊娠出産・子育て」がママさんたちに響くのです。
発達障害を持つななちゃん
HIHISAKOさんは、妊娠出産・子育てに関する本当に幅広い知識を持っている。その中でも育児に関する経験は、11人もいれば人一倍だ。また、彼女の子供の中には発達障害を持つお子さんもいるようだ。
6年生になるななちゃんは、HISAKOさんのブログで「イレギュラーな変更や、見通しが立たない物事、規則的ではない曖昧なことに臨機応変に適応することをもっとも苦手とするなななちゃん」とサラッと説明されている。
子供の個性
HISAKOさんのブログを読んでいるとおそらくかなり辛い経験をされたんだろうなと思う記事がいくつかある。しかし、大半のブログの内容は、とても前向きで読んでいる人を元気づけるようなそんな内容だ。
また、自身の子供についても一人一人の個性を尊重し、向き合うことから決して逃げずに、体当たりしている印象を受ける。11人目の子供を妊娠した経緯や離婚・再婚など、全てをサラッと話せる彼女は、強くたくましい。
HISAKOさんのファン
HISAKOさんの助産院には、子育てをしながら孤独を感じてしまっている人、どうにもこうにも上手くいかなくなって泣きついてくる人、インターネットで調べても医者に聞いても分からない疑問を持った人など様々な悩みを抱えたママたちが、毎日駆け込んでくる。
そんな彼女たちに、助産師と患者という立場ではなく、その域を超えたアドバイスを提供する。訪れる人は皆、「最初から助産院ばぶばぶに来ていればよかった」と声をそろえていうのだから素敵だ。
遠隔アドバイス
現在の助産院ばぶばぶは、どうしているのか疑問を持っている方も多いだろう。このご時世、ほぼ全てのサービスがオンラインへと移行している。助産院ばぶばぶも試みている最中だ。彼女は週6日オンラインで診察・WEB相談を開催しています。
相談・アドバイスは、直接ではなくてもオンライン上でも可能。また、直接診察する施術については、ママさん同士での接触がないように診療時間を考慮しているようだ。
悩んだらHISAKOさんのとこへ
おそらくこの記事を読んでいる方の中にも、育児や妊娠出産に関する多くの悩みを抱えている人がいるかもしれない。現在の彼女はYouTubeも開設しており、誰でも彼女の講義を覗くことが出来る。
また、彼女が12人目を妊娠した経緯や現在の様子なども、明るく元気の出る声で語っている。もし、どうにもうまくいかない時は、彼女に相談してみるといいかもしれない。きっとあなたの気持ちも少しは楽になるのではないだろうか。
今後のHISAKOさん
子供を11人産み、子育てサークルに助産院の経営、40歳での離婚やその後の再婚など、彼女は常に人生で何かしらアクションを起こしてきた。46歳になる現在も12人目を妊娠するなど、彼女の人生はめまぐるしい。
今後も彼女は自身の経験を存分に活かし、力強く、進んでいくのだろう。このたくましく素敵な女性が多くのママさんたちを救ってくれることを願っている。