あなたは、忠犬ハチ公の真実を知っているか
日本人の多くは、人生の中で少なくとも一度は、渋谷駅のハチ公像の前で人と待ち合わせをしたことがあるのではないだろうか。渋谷駅の玄関口、スクランブル交差点の近くに建てられているハチ公像は、渋谷のシンボルだ。そんな渋谷駅の見慣れた風景の中に佇む、忠犬ハチ公。果たしてあなたは、この忠犬ハチ公の話をどれだけ知っているだろうか?ハチが大切にしていた忠誠心。この話を読んで、あなたもふと自分の心の声を振り返ってみたくなるだろう。
ハチ公は、秋田犬
”ハチ”、”ハチ公”の愛称で呼ばれていた犬の犬種は、秋田犬である。秋田犬は、天然記念物にも認定されている大型の日本犬でもある。もともと、秋田犬は、忠誠心が強く温厚で、命令にも素直に従うことで知られている。
しかし、その一方で攻撃性も強く、しっかりと躾けられていないと、飼い主に噛み付いたりと暴力的になる一面もある。ほとんどの犬がそうだが、躾によってその犬の個性が良い様に作用されたり、その反対の結果になることもありうるのだ。
ハチの飼い主は、東大の教授
ハチは、1923年の11月10日に秋田県で、父犬のオオシナイ、母犬のゴマの間に、8人兄弟のうちの一匹として産まれた。当時、東京帝国大学農学部(現・東京大学)で教授だった上野英三郎が、秋田犬の子犬を飼いたいと思っていたところに、ハチが届けられたのがきっかけである。
ハチは、当時の上野が飼っていた”ジョン”と”エス”という2頭の犬と共に、産まれてからすぐに上野の家で育てられることとなった。ハチは、2匹と問題なく打ち解け、特にジョンとと仲良くしていたようだった。
秋田県から20時間かけて移動
ハチは、当時の30円という価格で、上野の家へ引き取られることとなった。上野の自宅は、現在の渋谷区松濤一丁目付近に位置しており、秋田県から長旅の中、上野の元へと届けられたのだ。その当時の秋田県から渋谷への移動時間は、20時間を越えるものだったという。
長旅を乗り越え、到着した上野家で、ハチは大切に育てられることとなる。ハチは、上野にすぐなつき、玄関先や門の前で、必ず飼い主のことを見送った。時には、最寄駅の渋谷駅まで送り迎えすることもあったそうだ。
突然の別れ
ハチを飼い始めて1年程経った頃、飼い主の上野は、農学部の教授会の会議中に突然、脳出血で倒れてしまう。その後、病院に運ばれたが、そのままは上野は急死してしまった。これは、1925年の5月21日のことであった。
あまりの突然の別れを、ハチも感じていたのか、上野の死後3日間、ハチは何も口にしなかったという。通夜が行われた日も、上野の飼い犬であった、ジョンとエスと一緒に渋谷駅まで向かったという。
飼い主の家を転々としたハチ
上野の死後、ハチは、上野の妻である八重(やえ)の親戚の呉服屋に預けられることになるが、ハチの人懐っこい性格が、裏目に出てお客さんが来るとすぐに飛びついてしまう為、呉服屋は商売にならず、浅草の高橋宅へと移されることになった。
しかし、最初の飼い主である上野への忠誠心が強すぎたのか、ハチはどこに移動しても渋谷駅に向けて脱走してしまったのだ。その為、ここでも揉め事が起こり、再び渋谷の上野宅へ戻されることとなる。
それでもハチは、渋谷駅へ
渋谷に戻ったハチだが、相変わらずハチのやんちゃな性格は、畑の作物をダメにしてしまったりと、トラブルが絶えなかった。そんな中、上野の家を出入りしていた小林菊三郎の元に最終的に届けられることとなる。
その時、すでに上野の氏からは2年が経過していた。そして、この時から度々、ハチの姿が渋谷駅周辺で見かけられるようになっていった。ハチは、小林から可愛がられていたにも関わらず、渋谷駅へと通っていたのだ。
ハチの10年間の忠誠心
ハチは、幼少期から可愛がられていた小林の家に移動しても尚、渋谷駅へ向かうことを止めなかった。そして、渋谷駅へ行く際には必ず、上野宅に立ち寄り、窓の外からしきりに中の様子を確認していたという。
これは、上野が亡くなってから約10年経った1935年まで、頻繁に行われていたという。ハチは、上野の姿を渋谷駅でずっとずっと待ち続けたのだ。当時のようにまた、上野が笑顔で渋谷駅から出てくるその瞬間を。
ハチの耳が片方折れている理由
しかし、渋谷駅に度々現れるハチを、全ての人が快く思う訳でなかった。ハチは、通行人や渋谷駅で商売をしていた商売人から虐待を受けたり、子供にいたずらされることが多くあったという。ハチの左耳が垂れているのは、生まれつきではなく、これは野良犬に噛み付かれた後の後遺症だったようだ。
一方で、忠誠心の強いハチのことに感銘を受けた日本犬保存協会は、虐待やいじめなどの実態を防ぐために、ハチのことを新聞に掲載した。ハチの裏にある話に、多くの人が心を奪われ、瞬く間にハチは、「ハチ公」の愛称で人々から親しまれるようになった。
もう待たなくていいんだよ
1935年の3月8日、渋谷川にかかる稲荷橋付近で、ハチは亡くなっているところを発見された。それは、上野の死後から約10年経った頃だった。実は、ここは渋谷駅からちょうど反対側で、普段のハチなら絶対に行かないところである。
この場所でなぜ亡くなっていたのかは、謎に包まれたままだが、ハチの告別式は渋谷駅で行われ、駅の職員や町内の人々など、多くの人がハチの死を弔い、参列した。ハチは、大好きな上野と同じ青山霊園で同じ墓に入れられた。
銅像は、ハチが生きている時に造られた
人が行き交う渋谷駅。再開発が進む渋谷駅で、今もハチ公像は人々を見守っている。当時、の忠犬ハチ公の話に感動した多くの人が、ハチ公像の建設に賛成したそうだ。しかし、このハチ公像、実はハチがまだ存命中に建てられたのである。
1933年、ハチの美談に感動した彫塑家の安藤照は、ハチ公像の制作を提案した。これにより、日本犬保存会の正式な依頼により、忠犬ハチ公像の作成が実現された。その裏には、ハチに関する全ての情報を上野家から託されたと主張する老人のお金稼ぎを阻止するために、ハチ公像の制作は急がれ、ハチの生存中に銅像が建てられたという裏話がある。
ハチは、どんな時でもご主人を待ち続けた
多くの飼い主を転々としたハチだが、上野に対する忠誠心は、片時も忘れることがなかった。いつもいつも、隙をみてはその家を脱走して渋谷に向かっていたのである。上野の生前、ハチはいつも上野と一緒だった。
上野のことを誰よりも慕い、彼の帰りを待ち続けたのだ。それは、雨の日も雪の日も嵐の日も同じだ。いつか、あの改札の向こうから上野がまた以前みたいに、出てくるのを夢に見て。ハチの上野に対する忠誠心は、誰よりも強かったのである。
ハチの話は映画に
1987年、ハチのこの素晴らしい実話は、映画化された。この映画制作にあたり、どこが出資するのかで一悶着あったが、東急グループからの出資があり、無事実現された。配給元となった松竹富士から、当時、動物に関する映画が公開されるのは異例であり、世間からも疑問の声が上がったが、結果的にかなりの高評価をうけ、興行収入20億を超える大ヒット作となった。
その後、2006年には、日本テレビ系列のドラマで「伝説の秋田犬 ハチ」として再び放映され人気を呼んだ。時代に関係なく、ハチの話は引き継がれていったのだ。
日本だけではなく、世界の「HACHI」に
ハチの映画化は、日本国内だけに止まらなかった。2009年には、日本で公開された「ハチ公物語」のリメイク版として、「HACHI 約束の犬」としてアメリカで公開された。この映画の舞台設定は、日本ではなく現代のアメリカの架空の街という設定に変更された。
この映画で主演を務めたリチャード・ギアは、セリフのないシーンの多さに、難しさを感じながらも、この映画のその「静けさ」に作品の魅力を感じたと話している。リチャードは、初めてこの映画の脚本を呼んだ時、涙が止まらなかったという。
HACHIは、一匹ではなかった?
「HACHI 約束の犬」でHACHIを演じた犬は、1匹ではなかった。フォレスト、レイラ、チーコという3頭の秋田犬によってそれぞれ演じられていた。3頭の性格に合わせて、それぞれシーンを分け、撮影されていたようだ。
レイラは、人と遊ぶことが大好きで、フォレストは、少しミステリアスで孤立を好む傾向があったという。そしてチーコは、撮影現場近くで飼われていた秋田犬で、少しメイクをして老犬役を演じたそうだ。
秋田犬に特別な物を感じたリチャード
彼は、シネマトゥディのインタビューに、「犬の中でも秋田犬は特別だ。」と話している。その理由を、「動物の中でも、簡単にトレーニングすることが難しくて、強制的に教えることのできないデリケートな犬なんだ。」と答えている。
しかし、「一度信頼を得ると非常に忠誠心の強い犬で、その点は映画製作上でのスタッフと俳優の関係に似ているかもしれないね。」と答えている。まさに、その秋田犬の特性こそが、ハチの物語を作ったのであろう。
海外でも涙が止まらない・・
「HACHI 約束の犬」は、海外でも大ブレイクした。この映画を見て、泣き崩れる人が続出したのだ。その中でも、この映画を見ながら泣きじゃくっている海外人達の動画は、インターネット上で大きな話題になった。
「予告を見ただけで泣ける」「主題歌を聞いただけで泣ける」など、日本に限らず、まさに”全米が泣いた”大ヒット作品となったこのリメイク版は、実話とは多少異なる部分があるものの、その違いを逆に楽しむことができる作品である。
「秋田犬の里」がオープン
ハチの話題は、何年経っても消え去ることはなかった。今年(2019年)の4月17日には、秋田犬に「秋田犬の里」がオープンした。ここは、当時ハチが上野を待っていた渋谷駅をモチーフに設計され、館内には秋田犬に関する資料が多く展示されている。
「秋田犬ミュージアム」や「お土産コーナー」の他、秋田県と直接触れ合える「秋田犬展示室」などがあり、開館以来、来場者数は右肩上がりで好調のようだ。機会があれば一度行ってみるのもいいだろう。
スケート選手のザキトワも秋田犬の虜
秋田犬の魅力に惚れ込んだのは、日本人だけではない。新潟県で平昌五輪前にスケーティングを行っていたザキトワ選手は、雑誌で見た秋田犬を一目で気に入り、母におねだりしていた。
しかし、金メダルを獲得したザキトワ選手のこの話が話題となり、秋田県大館市の秋田犬保存会が子犬を彼女にプレゼントしたのだ。彼女はとても喜び、その子犬に、日本語で勝利を意味する「マサル」と名付けた。秋田犬は、多くの人を魅了しているのだ。
人はなぜ、ハチ公の話に心を打たれるのか?
犬と人との繋がりの強さを実証した、忠犬ハチ公の物語。この物語は、日本人だけではなく多くの人の心の虜にした。しかし、人はなぜこの物語にそんなに心を惹かれたのだろうか。その一つの魅力は、ハチの心の底にあった忠誠心と、亡き人を思い続ける尊さと優しさにあるのではないかと思う。
動物と人間の絆を描いた映画や物語は、動物好きの人にとっては無条件で涙が溢れてくるものだが、この作品は実話であり、現代社会では忘れがちの気持ちを思い出させてくれるところが人々の心を強く打つのであろう。
これからもハチの思いは生き続ける
当たり前に待ち合わせている渋谷駅ハチ公前。そのハチ公には、多くの歴史と物語が隠されていた。今までなんとなくしか分かっていなかったハチ公の物語を、改めて再確認することができたのではないだろうか。
人と犬との間に生まれた絆、そして忠誠心。ハチの本当の気持ちを完璧に代弁することはできないが、犬にも人間と同じように心があることを決して忘れてはならないだろう。この物語は、きっとこれからも多くの人の心を感動の渦に巻き込むだろう。