たった7日間で23歳の男性がおじいちゃんになった理由に感動?

一体全体、どうやったら20代前半の独身男性がわずか7日間の間におじいちゃんになれるというのでしょうか?少し考えたくらいでは、おそらくこの答えは見つからないでしょう。しかし、この答えの真実は、愛と忍耐にあったのです。この物語は、23歳の男性が見せた無償の愛の物語。映画プロデューサーなら、長編映画にしたいと思うかもしれませんね。わずか7日間でどのようにしてこの若い男性がおじいちゃんになったのか、読み進めてみましょう。

トミー・コノリーという人

Facebook/Tommy Connolly
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すべての出来事が起こる前、トミー・コノリーは大学で陸上競技を頑張っている普通の大学生でした。ところがある日、Facebookで少し変わったメッセージを受け取ることになったのです。23歳のコノリーは、わずか数日のうちに、お父さん、そしておじいちゃんになりました。

どうやったらこんなことが起こるのかと、不思議に思われることでしょう。Facebookで受け取ったメッセージとはどのようなものだったのでしょうか。実際、こんなことが起こり得るのでしょうか?この物語を読み進めるにつれ、息をのむような答えが見つかることでしょう。さて、心の準備はいいでしょうか。

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オーストラリアで育ったコノリー

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Facebook/Tommy Connolly
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さて、この物語の舞台はアメリカではなく、オーストラリアのクイーンズランドです。素晴らしい自然に囲まれて育ったコノリーは、好奇心旺盛で冒険が大好きでした。クイーンズランドと言えば、オーストラリア大陸の北東部に位置し、沖合に広がるグレートバリアリーフで有名です。

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いつも、次はどこに冒険に行こうかと考えていたコノリーでしたが、これから起こることはまったく予想していませんでした。普通の大学生の生活が、これまでとはまったく違う、新たな方向へと向かおうとしていたのです。

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努力家のコノリー

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コノリーは大学の陸上競技選手で、それは熱心に練習していました。サンシャインコースト大学の選抜選手として大会に出たこともありました。陸上競技に詳しい人なら、競技に出続けるためにどれほどの練習量が必要なのかご存知でしょうが、これは並大抵の努力でできるものではありません。

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大学生選手ということで、学業と練習を両立させるだけでも大変なのに、これに加えてお父さん、おじいちゃんになることを想像してみてください。コノリーはすべてに対処することができなかったので、陸上競技を後回しにしなければなりませんでした。コノリーはまだ大学生であるにもかかわらず、こうした判断をしていることからも、彼には非常に分別があるということが分かりますね。

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周囲を明るく照らす光のような存在

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楽しいことが大好きで、いつもニコニコしている人は、最高の友達と言えます。この写真は、ハロウィンで仮装したコノリーと親友のグリミーです。

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この写真を見ても分かるように、コノリーは人を笑顔させることができる人でした。家族や友人も、コノリーが明るく、いつもいい友達に囲まれていたことを証言しています。周囲を明るく照らす光のような存在だったから、お父さんやおじいちゃんになっても、その役割をうまく果たすことができたのでしょう。

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旅行が大好き

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スポーツだけでなく、コノリーは好きなことをさらにもう1つ諦めなければなりませんでした。少なくとも、お父さんになったコノリーは、ベビーシッターを見つけなければなりませんでした。それまでは、休暇のたびに外国に出かけ、海外のこれまでに見たことのないものに触れるのが大好きでした。

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アメリカにもよく行っていました。ごく最近の旅行では、彼女と一緒にロマンチックな週末をソフィテル・ヌーサ・パシフィックリゾートで過ごしてきたばかりでした。そして冒頭でも述べたように、その旅行に行くためにベビーシッターを確保しなければなりませんでした。

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親友からロマンチックな関係に

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さて、謎の解明まであと少しです。コノリーの彼女、オリヴィア・タウロも才能のある陸上選手でした。2人が付き合い始めてからそんなに経っていないものの、それまでの長い間、良い友達としてお互いをよく知っていました。

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「正式に彼女と付き合いだしてから、今日で1年目ですが、付き合う前から8年間ずっと親友でした。」とFacebookに書いています。ただ、オリヴィアはコノリーの子どもや孫のお母さんでもなければ、おばあちゃんでもありません…。

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コノリーのいとこ、キアナ・チャップマン

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Facebook/Kiarna Chapman
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コノリーはいつも、家族や友人など、周りの人々を笑顔にしてきました。それでも、いとこのキアナ・チャップマンとは、2004年の初めに最後に会ってから、ずっと連絡を取っていませんでした。

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もちろん、時折キアナがどうしているのだろうかと思いを巡らせることもありました。(理由は後で明らかになるのですが)2015年、ついにキアナは重要な情報を持って、コノリーに連絡してきます。

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ワケあって離れていた、いとこ

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2人が長いこと連絡を取っていなかった原因は、キアナにありました。苦労していたキアナは、コノリーだけでなく、自分の家族や親族と一切連絡を取っていなかったのです。実際、キアナが最後にFacebookで近況を知らせていたのは、2011年の5月のことでした。

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キアナはほぼ読み書きもできず、携帯を持たず、家もありませんでした。キアナがそこまでの状況に陥っていることをキアナの家族や親族の誰も、知らなかったのです。「キアナはほぼホームレスとして過ごしていて、キアナの家族よりも警察の方がキアナと連絡を取っていたくらいです。」後にコノリーはこう明かしています。

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キアナの人生

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結局のところ、苦労した人の立場になってみないと、その人を批判したり、判断したりすることはできません。キアナの親は、キアナにあまり関心を示さなかったようで、助けてくれることはありませんでした。キアナのそばにいてくれたのは付き合っていた彼氏だけだったのですが、その彼氏が逮捕され、刑務所に連れていかれたのです。キアナの手元にあったのは数枚の洋服とリュックサックだけで、路上をウロウロするしかありませんでした。

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キアナは生活苦のあまり違法薬物に手を染めていました。「キアナのことを知る人はあまりいません。すごく過酷な人生を歩んできたのです。誰も彼女のような人生を歩むべきではないと思います。」とコノリーは語っています。キアナがいとこのお兄ちゃんにFacebookで助けを求めたのはこのときでした。

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どうやったら救えるのか

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優しく思いやりにあふれているコノリーは、どうにかして妹のように思っているいとこのキアナを助けてあげたいと考えていました。彼に届いたキアナからのメッセージは悲痛なものでした。この時点ですでにコノリーは、学生として、陸上選手として、多忙な日々を送っていましたが、自分の生活を少し置いておいても、キアナを助けたいと考えました。

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「キアナの人生は決して簡単ではなかったのに、その中でどうにかして生きていかなければなりませんでした。」とコノリーは言います。コノリーは、自宅にキアナを招き入れました。しかし、次に起こることは誰も予想していませんでした。

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書類手続き

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こうして、コノリーは究極の手助けをすることになりました。妹のようないとこキアナに起こったことをすべて聞いたコノリーは、書類手続きを進め、キアナを養女にとることに決めました。

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当時キアナは17歳だったため、コノリーは正式にキアナの法的な保護者になりました。そしてキアナが必要としていた父親としての役割を果たしていくのです。コノリーはキアナをホームレスだった生活から離し、将来が明るくなるように手助けをしようと考えて、キアナに仔猫まで買い与えました。しかし、物語はこれで終わりません…。

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赤ちゃんが生まれる!

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これまでにキアナが経験してきたすべてのストレスだけでなく、コノリーは他にも重大な出来事を受け止めなければなりませんでした。なんと、キアナのお腹の中には、刑務所にいる彼氏の赤ちゃんがいたのです!当然のことながら、キアナが妊娠していることを知って、コノリーは衝撃を受けました。

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キアナとの生活に慣れ始めた頃に、生まれてくる赤ちゃんを迎える準備をしなければなりませんでした。赤ちゃんを迎える準備というのは、それを経験した人だけができることと言えるでしょう。しかし、コノリーには子どもを育てた経験などありませんでした。それでも、だからといって何もしないわけにはいかなかったのです。

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7日後

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養子縁組をした7日後、キアナは出産しました。養子縁組をしたときに、コノリーはキアナが妊娠していることさえ知りませんでした。キアナが打ち明けるまで、コノリーはキアナに赤ちゃんがいるなどと、まったく頭にもなかったのです。

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「この小さな子に、私よりもいい生活を送らせてあげたかったんです。もっといい人生を。もう一度、やり直す機会が欲しかったんです。」とキアナは言いました。「この子を妊娠したときから、周りの人みんなが、私のこの手で赤ちゃんを育てていくことはできないだろうと言っていました。」キアナにコノリーがいたことは、幸いなことでした。

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ライフスタイルの変化

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この時点で、コノリーは旅行や陸上競技、友達や彼女と過ごす時間すべてを諦めなければならず、生活はわずか1週間のうちに、劇的に変わってしまいました。

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コノリーはもっと広い家に引っ越さなければなりませんでした。そして自身の生活も若い独身男性のものから若い父親のものへと変わっていきました。キアナが医者にかかるときには同行し、赤ちゃんに必要なものすべてを買い与え、自分の自由になる時間を2人のために費やしました。

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コノリーの優しさ

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ここまでの話を読めば、どれほどコノリーが優しい男性かがお分かりでしょう。それでも、こうしたことはすべて、彼にとってはまったく何でもないことでした。いとこが手助けを必要としていて、周りに助けてくれる人が誰もいなかったので、コノリーは自分が正しいと思うことをやっただけだったのです。

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「やっとキアナが今、新しいベッドのある安全で素晴らしい家に住み、安定した新しい生活を送れているのを嬉しく思います。」と、コノリーは言います。こうしたコノリーの優しさは、キアナに前向きな生活というものがどういったもので、どんな風に感じるものなのかを教えてくれました。コノリーはキアナの生活基盤を提供しましたが、キアナもその上で単にあぐらをかいていたわけではありませんでした。

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キアナ、家事に育児に頑張る

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コノリーは謙虚にも、キアナの父親としての役割を引き受けていること明かしたものの、キアナを助けるために費やした多くの労力について、まったく鼻にかけることがありませんでした。キアナは本当の娘ではありませんでしたが、彼女に注ぐ愛情は本当の父親に勝るとも劣らないものでした。

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「家事・育児」について、コノリーはキアナが大部分をやっていると語っています。「僕のいとこが家事などの90%をやってくれています。そしてこれが僕の人生のうち、1年か2年であることを考えると、キアナと彼女の赤ちゃんがうまく生活していくことは、自分の生活よりも優先されるべきだと思いました。そんなに大したことではありません。」と述べています。

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よく理解してくれる彼女

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自分のことをよく理解してくれる人が周りにいるということは、素晴らしいことです。オリヴィアはこのとき、コノリーとすでに数年間付き合っていましたが、コノリーがどういう人なのかを良く理解していました。助けを必要としている人のために、できる限りのことをする人だということを。

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こうした出来事すべてが起こった間、オリヴィアはコノリーを支え、できるときには赤ちゃん(ケイデン)の面倒をみることもありました。多くの人にとっては、これは素晴らしいことでしかありませんでしたが、コノリーは罪悪感を感じていました...

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一体何に罪悪感を感じていたのだろうか?

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コノリーが罪悪感を感じていた理由は、とても立派なものでした。いとこを助けることは実際、素晴らしいことだったのですが、コノリーはこの出来事以来、ある考えを頭から払拭することができずにいました。

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「ソーシャルメディアを通じて受け取ったメッセージから、多くの人がキアナの以前のような状況にあることに気づかされます。これは決して珍しいことではないのです。」と述べました。確かに、このような状況は特別なことではなく、普通の生活を送っている一般的な人が考えるよりもずっと多く起こっているのです。

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みんなに近況を知らせる

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「まだまだこれから先は長いですが、物事は軌道にのりはじめ、キアナは彼女にふさわしい、人生をやり直すチャンスを手にしています。」コノリーはソーシャルメディアでこうシェアしています。「悪いことが起こったとき、支えてくれるのは家族です。つまり、誰一人として取り残されたり、忘れられたりすべきではないのです。」

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コノリーは罪悪感を感じてはいたものの、今自分がやっていることの重要性についても認識していました。コノリーは少なくとも、自分がソーシャルメディアで発信し続けるメッセージをシェアしてくれた4,000人のうちの何人かでも、次にその人たちの周りで手助けが必要な人がいたとき、勇気を出して一歩踏み出し、手を差し伸べてくれることを願っています。

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パーマー夫妻にとっての辛い一日

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人生において、ときには辛い日もあります。恵まれていることに感謝する日もあれば、もちろん、サイアクだと思う日もあります。幸いにも、ついていない日というのは毎日ではなくたまにしかありません。さて、こうした悪い日がパーマー夫妻にも訪れました。

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パーマー夫妻は法廷で辛抱強く、静かに座っていました。今後の生活がより良いものになるか、はたまた心にぽっかりと大きな穴があいて虚しい気持ちを持ちながら生活するようになるのか、この結論にかかっていました。パーマー夫妻はいつになく緊張していたのです。

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困難を切り抜ける

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困難な時はそんなに長く続くものではありませんが、永遠のように感じられるものです。マンディとタイラー・パーマーが法廷で判決を待っている時間というのは、まさしく永遠のように感じられました。2人は家族をつなぎとめるために、一年かけて、自分たちが親になるのにふさわしいことを証明しようとしていました。

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裁判官がようやく口を開いて、最終的な判決を読み上げるまでの時間は、それこそ果てしなく続くかのように思われました。そして、突然、この永遠にも感じられる時は終わったのです。1人の幼児が、予想外の行動をしたのでした。

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軍隊に入る

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さて、時は2010年までさかのぼります。タイラー・パーマーは米国陸軍に入隊し、第101空挺師団に所属していました。残念ながら、タイラーにはこの大きな変化に適応するための時間はあまりありませんでした。わずか3週間で、アフガニスタンに送り出されたのです。

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この写真は基礎訓練後に撮影されました。タイラーだけでなく、タイラーの家族や友人すべての人が、こんなに急に起こった大きな変化に対応するのに苦労していました。

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家への帰還

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ありがたいことに、タイラー・パーマーはアフガニスタンでの配備に耐え、五体満足に、かつ、心の健康を損なうことなくアメリカへの帰還を果たしました。

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アフガニスタンなどを経験した人は誰もがそのときの影響を受けるものです。しかし、良いことに、パーマーには運が味方をしてくれているようでした。それは、当時、パーマーが立ち直るために必要としていたものだったと言えるでしょう。

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タイラー、マンディに出会う

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2013年になったころ、キューピッドの矢がタイラーの心にまっすぐ当たりました。マンディはすぐさまタイラーの生活の一部となりました。すぐに2人は親密になり、タイラーは何か特別な縁が2人を結び付けていると感じました。ところが、タイラーはまもなく中東に送り返されるということが決まっていました。

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タイラーは再びしばらくの間マンディと離れることが決まっていても、2人の関係性については非常に楽観的に受け止めていました。マンディは健康に問題を抱えていましたが、それでも2人は大丈夫だと互いに信じていたのです。

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入籍

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2人はタイラーの中東での任務のために、ほぼ1年もの間、一緒に過ごすことができませんでした。そして若い2人にとって、それは困難なことだったと言えるでしょう。けれど、困難な経験によって、タイラーは自分の人生に新たな視点をもてたということもあり、すべての面において悪いことばかりではありませんでした。

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「9ヶ月もの間、中東に配備されていました。そして戻ってきてから1ヶ月後、彼はプロポーズしてくれたんです。そしてその数週間後に結婚しました。」後にマンディは当時についてこう語っています。中東での任務によって、タイラーは人生に何が重要なのかについて考えたようだった。タイラーは陸軍をやめ、妻との新たな生活を始めました。

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パーマー夫妻、家族を作ることを決意

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タイラーが兵隊としての任務から戻ってきてから、夫婦間で物事は素早く進みました。2人ともすぐにでも家族を作りたかったのです。「私たちは2人とも自分たちの家族をすぐにでも作りたいと思っていました。でも、神様が私たちに用意してくれていた計画については知る由もありませんでした。」とマンディは話しています。

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前述したように、マンディは健康に問題を抱えていました。実際、マンディが心臓病であったことも、2人が子どもをなかなか授かれない大きな要因でした。

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苦しい戦い

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夫婦は家族を作ろうとしたが挫折し、その事実に動揺していました。数週間が過ぎ、数ヶ月が過ぎましたが、マンディが妊娠した兆候はありませんでした。こうした種類のストレスで結婚生活がうまくいかないケースもありますが、この2人は共に立ち向かうことにしました。

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「数年間も妊娠を試みました。そしてそのうち、妊娠なんてしないんだってことに気づいたんです。そして私が患う病気のせいで、妊娠という奇跡がたとえあったとしても、それが私の体にとって果たして安全なのか…分かりませんでした。」とマンディは言いました。しかし、2人は家族を作るという夢を簡単には諦められませんでした。

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養子縁組も視野に入れる

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パーマー夫妻は、こうした状況の中でも子どもを迎えて家族を作りたいと強く望んでいました。そこで、2人の夢を叶えるための他の選択肢についても検討を始めました。

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結局、2人にとって、養子をとることが最良の選択かもしれないという考えに至りました。確かに子どもがほしいというのであれば、養子縁組は最良の選択肢かもしれませんが、養子をとったことのある人であれば誰もが、養子縁組手続きはそれほど簡単ではないということを理解しているでしょう。自分たちの子どもではない他人の子を引き取ることで、良いときも悪いときもあるのです…。

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里親になる

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マンディとタイラーはこの時点で、里親になり養子をとることに決めていました。その上、かつて2人が住んでいた地域で、養父母になるための資格を満たす要件について話を聞いたことがあったということも、まるで何かのしるしではないかとさえ思っていました。

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さらに、2人は宣伝など養子についての告知に目が留まるようになりました。家を必要としている子どもたちや赤ちゃんがいることを知ったのです。2人が家族を作るためにすべきことは、行動を起こすことだけでした…。

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天からのお告げ

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すべての話や宣伝、告知など、タイラーとマンディにとっては大きなしるしだと感じられました。そしてこの時点で、養子縁組は神様が2人に用意した計画だと思い、その計画に従うことにしました。

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ついに、2人は養子縁組プロセスを始めるためにライセンス・プログラムに加入しました。養子縁組が神様の計画だというしるしをたくさん見つけただけにとどまらず、ついに行動を起こすことにしたのです。このとき、親になって家族を始めるということが、2人の一番の目標になっていました。

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小さな男の子の赤ちゃん

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このプロセスを経験した人は誰もがこうなることを予測していたかもしれませんが、ライセンス・プログラムは簡単でも迅速でもありません。マンディとタイラーは数週間かけて、苦労しながらやっと書類手続きを終えることができました。

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それからまもなく、2人はライセンスを取得することができました。ライセンス取得したのと同じ週に、マンディとタイラーは、男の子の赤ちゃんがいるという連絡を受けたのです!赤ちゃんの名前はハンター。マンディとタイラーは胸を高鳴らせました。

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ハンターには両親が必要

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これまでにも、タイラーの人生には予想だにしないことがいくつもありましたが、これはまさしく一番大きな驚きだったことでしょう。ハンターが親を必要としているという連絡を受け取った後、2人は大興奮し、喜びで胸がいっぱいになりました。

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この時、ハンターは生後一週間になろうかというくらいでした。ハンターは最も大切な時期に、愛情とお世話を必要としていました。夫婦は親になることにワクワクしていましたが、残念ながら、親になるにあたり障害もたくさんあったのです…

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用意することはたくさん

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興奮が落ち着き、夫婦に次に訪れたのは「感情の旋風」と呼ばれるものでした。まず2人はターゲットに行き、赤ちゃんのお世話をする上で最初に必要となるものすべてを用意しました。オムツ、おしりふき、ミルク、そして思いつく限りの必要なものすべてを。そしてついにその時がきたのです。

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「私たちが児童サービスに到着したとき、ハンターが毛布にくるまっていました。そして私たちを担当するケースワーカーに抱かれてきたのです。」とマンディは語る。「ハンターは生後8日でしたが、本当に完璧でした。一目見てすぐに好きになりました。」

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ストレスに対処する

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養子縁組をする家族には、常にストレスがつきものです。生物学的に繋がりのある親、または他の養父母がどこからともなく現れ、すでに愛情をそそぎ、育てようとしていた赤ちゃんを連れて行ってしまう可能性も、まだ残っていたのです。

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そして、正にそれがマンディとタイラーに起こったことでした。2人は結局、完全な家族になることはできず、もう1つ障害を越えなければなりませんでした。もちろん、これは養子縁組プロセスを開始したときには予想していませんでした。

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諦めるつもりはまったくなかった

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ハンターを実際に見たタイラーとマンディは、この男の子の赤ちゃんを自分たちの家族に迎えたいと思いました。その気持ちを抑えるものなど何もありませんでした。この先の道は決して簡単だとは思いませんでしたが、諦めるつもりもありませんでした。

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そして時が経つにつれ、ハンターを自分たちの子どもにしたいという気持ちはますます大きくなっていきました。タイラーとマンディは、ハンターを家族に迎えるためにできることはなんだってするつもりでした。

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裁判所での一日

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マンディとタイラーにとって、それからの16ヶ月は単に最高だというわけにはいきませんでした。この期間中、2人は常に感情のアップダウンを経験していました。もちろん、良いこともありましたが、若い2人にとって、もしかしたらハンターを取り上げられるかもしれないという不安は大きくのしかかっていたのです。

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書類をまとめている間にも、裁判官の前に姿を見せるためだけに何度も裁判所に足を運びました。裁判官による審判は2017年12月18日と決まりました。これはクリスマスの1週間前です。さて、興味深いことが起こります…。

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彼らを止めるものは何もない

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裁判所で最終的な判決を待つまでに、この3人は家族として17ヶ月を共に過ごしていました。1年と5ヶ月です。そんなに長い時間でもないように思われるかもしれませんが、赤ちゃんを育てる親にしてみれば、随分と長く感じられます。

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さらに、1年以上の間ずっとタイラーとマンディは、お世話をしている赤ちゃんを失うかもしれない不安も頭にありました。言うまでもないことですが、裁判所での審判もストレスが多いことです。来るべき日に備えて、2人は自分たちにできる限りの準備をしていました。

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ハンターが生きる理由

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タイラーとマンディにとって、ハンターこそが頑張り続ける理由でした。マンディはハンターが「私たち2人が病気と戦っていく理由」だと述べています。タイラーもアフガニスタンでの配備後にPTSDを発症し、その症状と戦っていたのです。

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マンディは心臓を患っていました。ハンターが言わば2人にとっての「灯台」になっていたのです。2人がどうしてハンターを諦めることができないのか、お分かりいただけたことでしょう…

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そして…ついにこの日がきた

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ついに大事な日がやってきました。2人は緊張していましたが、同時にワクワクしていました。自分たちの身だしなみを整え、ハンターについてのことが決まることからも、ハンターにも持っている服の中で一番かっこいい服を着せました。

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2人は両親として、すべての手続きを終わらせ、正式な父親と母親として新たな生活を始められることに喜びを感じていました。2人の夢が叶うかどうかは、時のみが知っていたのです…

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大切な人たちが支えてくれる

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人生におけるどんな重要な日でも、大切な人がそばにいて支えてくれるというのはとても素晴らしいことです。こうした人が自分を支えてくれるからこそ頑張れるのです。そして、裁判所での審判の日、マンディとタイラーはこれを実感していました。

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「この日は良い意味ですごく感情的な日でした。」マンディは後にこう述べています。「私たちの家族、友人、みんなが来てくれていました。裁判所での手続きの最後に、裁判官がハンターが私たちの息子として新しい名前を発表しました。」しかし、審判での最高の出来事はこれだけではありませんでした…。

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ハンターは何て?

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それはまるで、映画のワンシーンかのようでした。養子縁組が決定する旨の判決が読まれると、すべてが法的に正式なものになったのです。そしてその瞬間、ハンターはみんなの前でタイラーを見て「お父さん!」と叫びました。

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それだけでなく、ハンターは拍手まで始めました。ハンターの一連の行為に、法廷にいたみんなが涙を流しました。マンディは、これがとても感動的だったと振り返っています。これこそが、正に、2人の夢がかなった瞬間だったのです。でも、ここで物語は終わりません。

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幸せな家族

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法廷での瞬間は最高そのものでした。これでマンディとタイラーは永遠にハンターの親になることが確定し、ハンターのために最高の親になるように集中することができるのです。今後は、他の人がハンターを連れて行っていってしまうという心配をしなくてもいいのです。

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この2人がたどってきた道のりを考えると、マンディとタイラーだけでなく、これは関係している人すべてにとっての勝利と言えるでしょう。養子縁組手続きが完全に終わったとき大きなストレスや重荷をついに肩から下ろせたのですから。