悲劇から始まった5年ごとに写す5人の友情の写真とは

1982年、高校を卒業したばかりの仲良し5人が写真を撮った。それは何ら特別なことでもない、それこそ誰もが撮るであろう思い出の写真だ。その当時は、誰もこの写真と同じ写真を35年以上も撮り続けることになるなどとは思いもしなかった。

この5人組が撮り続けた写真は、世界中で何千人もの人々を元気づけ、多くの人の涙を誘った。だが、写真を見た人の多くは疑問に思ったはずだ。どうして、たった一枚の何気ない写真にそんなことができたのだろう。それでは、悲劇から始まった生涯にわたる友情の心温まる物語をご紹介しよう。

最初の写真(1982)

the five friends' first photograph in 1982
Twitter/@fiveyearphoto
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1982年のアメリカの独立記念日に、5人の友人、ジョン・ディクソン、ジョン・ワードロウ、マーク・ルーマー=クリアリー、ジョン・モロニ-、ダラス・バーニーは、オレゴン州とカリフォルニア州の州境付近で写真を撮った。5人は湖畔にあるキャビンに宿泊しており、山の前でみんなで写真を撮ることにしたのだ。

写真を見ると、5人とも、どこか冴えない表情をしている。3人のジョンは上半身裸で、ひとりは怪しい瓶を手にしている。この写真の細部が、実は数年のうちに重要な意味をもつようになるのだ。

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5人の物語は、ずっと前から悲劇と一緒に始まっていた

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another photo that the five friends copied throughout the years
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サンタバーバラ高校のこの5人は、最初の写真を撮影するずいぶん前から友達だった。1977年、ジョン・ワードロウ(ウェッジ)は数人の友人らと共に、街へ「スターウォーズ」を観に出かけた。その時の彼らは知る由もなかったが、山奥では凧が電線に引っかかったことが原因で山火事が発生し、その火災でウェッジの家を含む250戸に被害が出てしまっていた。

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「僕らはディクソン家の隣に家を借りました。」と、ウェッジはCNNに語っている。これがきっかけとなり、ウェッジとジョン・ディクソン(JD)は友達になったのだ。

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8ミリカメラでどのように友情を深めたのか

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two friends playing a board game
Facebook/Five Year Photos
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ウェッジとJDは、8ミリビデオを撮るという共通の趣味を持っていた。彼らの作る短編映画は、忍者が出てくる戦いもの、戦争の話、少しSFを取り入れたものなど、男の子が好きそうなものばかりだった。「僕らには共通の趣味があって…僕ら5人全員が、時期は一緒でなかったとしても、同じ趣味を持っていました。」と、JDは回想している。

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互いに映画好きだったことから、JDとウェッジは、ジョン・モロニ-(ベルブス)、マーク・ルーマー=クリアリー(クラム)、ダラス・バーニー(サラド)と友達になる。サラドは、「僕たちは、こうした趣味のおかげで、よくティーンエージャーが起こしたりしているトラブルに巻き込まれることはなかったんです。」と述べている。

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5年ごとに戻ってきて宿泊したキャビン

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John Warlow feeding a deer at the cabin in Copco Lake, CA
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仲間5人の写真は、何もポーズだけが同じというわけではない。ある特定の場所で撮影されているのだ。最初の写真を撮影した1982年、5人はカリフォルニア州にあるコプコ湖へと向かっていた。ウェッジの祖父が1970年に、そこにリンドル・シダー・ホームという山小屋を建てており、そこを5人は「キャビン」と呼んでいた。

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3つの寝室に地下とロフトがあり、夏の間友人らと過ごすには絶好の場所だった。5人は映画の撮影のために、よくこのキャビンを訪れていた。

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どうやってひと夏の旅行が、人生に置ける習慣になったのか

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the five friends messing around in their cabin at Copco Lake
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1982年独立記念日の7月4日、5人はキャビンに来ていた。JDは山を背景にして、みんなで写真を撮ろうと呼びかけ、35ミリカメラを取り出した。そこで5人は山と湖を背景に、デッキの手すりに座ってしょんぼり顔でポーズをとった。これがそのあと何年も続くことになる写真のはじまりだった。

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最初の写真こそ、JDが撮ろうと言い出したものの、5年後、同じ写真を撮ろうと言い出したのはウェッジだった。それから毎回、ウェッジがカメラを持参して、同じポーズで写真を撮った。

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2度目の写真(1987)

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The friends' second photo in 1987
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1987年、5人は最初の写真とまったく同じ写真を撮ろうと、コプコ湖に向かう。同じ場所に、左からウェッジ、クラム、サラド、ベルブス、JDと、同じ順で座った。しかし、ひとつだけ致命的なミスを犯してしまう。1987年の写真では、ウェッジの肩の位置が、最初の写真と同じようにクラムの後ろにきていなかったのだ。後に、このエラーをフォトショップで修正することとなる。

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それ以外は完璧だった。同じように上半身裸になった男たち、同じような謎の瓶。そういえば、謎の瓶の中には、何が入っているのだろうか。

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そう、瓶の中身は何だろう?

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the five friends' jar with a photo and a cockroach
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1982年の最初の旅で、5人はゴキブリを見つけた。そしてなんと、それをマスコットにして、バタースコッチキャンディーと一緒に瓶に入れたのだ。5人は自分たちのウェブサイトにこう綴っている。「なんでそう思ったのかは覚えていませんが、1人ぼっちだと寂しいだろうと思って、俳優のロバート・ヤングの写真をコーヒーの広告から切り抜いて…瓶の中へ入れました。」

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結果として、仲間5人の写真を撮るときには、必ず、ベルブスがゴキブリとロバート・ヤングの写真の入った瓶を持つこととなる。そして、今後も写真を撮り続ける中で、これは外せない特徴になった。

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3度目を行う計画などなかった

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five photo friends with two women in a picture in a newspaper
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1992年、5人はまたコプコ湖へと戻って来た。それは8ミリ映画のシリーズを撮り続けるためだったのだが、いつもキャビンに来るのとは違う時期だった。5人は『人は一度しか死なない』というタイトルで長編映画を撮影していた。これはジェームズ・ボンドの『007は二度死ぬ』のパロディで、ジェームズ・ボンドならぬレームズ・ブロンド・ダブルオー・ゼロという名のキャラクターまで出てくるものだった。

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この度で、5人は3度目の写真を撮ることにした。現在、5人が作った映画「人は一度しか死なない」は、ネットフリックスでDVDを借りて見ることができる。

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3度目の写真(1992)

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The friends' third photo in 1992
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3度目の仲間5人の写真では、みんなちゃんと最初の写真のようにポーズがとれていた。これ以降の写真は、ベルブスが手にしている瓶の中身は空っぽになっている。やはり、5年ごとに新しくゴキブリを捕まえて瓶に入れるのは難しかったのだろう。

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過去の2度の写真と異なる点としては、3人のジョンがシャツを着ていることだ。いつもの晴天と違い、どんよりとした曇り空では、シャツを着ざるを得なかったのかもしれない。この写真でも前の写真と同じように一貫して5人がしたことは(これ以降続かなかったが)、5人の無表情な顔だ。

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どうして無表情なのだろう?

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three of the five friends at Copco Lake, California
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何年にもわたる写真で、どうしてこの表情を選んだのか、5人の写真を目にした人々からは、疑問が上がっていた。ところが、写真に写っている5人でさえ、どうして陰りのあるミステリアスな表情をしていたのか分からないのだ。「多分、その方がかっこよく見えると思ってたんだと思う。」とウェッジは笑って言う。

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1980年代のバンドのアルバムのジャケット写真を真似した可能性も大いにある。いずれにせよ、無表情で最初の写真に写ったことで、その後も同じ表情をしなければならなかった。しかし後年になると、もう無表情は続けていない。

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4度目の写真(1997)

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The friends' fourth photo in 1997
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1997年になり、5人はいつもの写真を撮るためにキャビンに集まった。しかしながら、同じポーズを撮る完璧さは、追求しなかったのだろう。ダラスは笑顔を見せているし、最初の写真のように完璧に同じポーズもとっていない。

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これ以降、ウェッジはきちんと5年ごとの写真を同じ状態で撮るため、ガイドラインを作成した。ウェッジは他の4人をイライラさせるほどにまで時間をかけ、全員の肩、瓶、サングラス、帽子の位置がまったく同じになるようにした。

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どうやって長い間友情を保てたのだろうか

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the five friends holding prints of their older photos
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ちょっとしたいざこざのない友情などない。そして、この5人にもそれは同じことだ。それでも、仲間割れする程の大きなケンカは一度もない、とクラムはCNNに語っている。「5人のうちの2人が高校を卒業してから3か月ほど揉めていたことはありましたが、そのくらいです。」とクラムは明かす。

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一度、5人はこの5年おきの習慣をやぶりそうになったことがあった。5年の月日よりも早めに写真を撮ろうとした。そして、これはクラムが反対しなければ、決行されるところだっただろう。

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全員が揃わなければ、やらない

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the friends almost took an early picture
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5年経っていないのに写真を撮ろうとした時に、マーク(クラム)は断固拒否した。「マークは写真に写ることを拒否しました。みんなで外に座っていましたが、マークは出てきませんでした。」と、JDは詳細を明かしている。

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これが、その写真だ。クラム以外はデッキの手すりに座り準備ができている。しかしご覧の通り、何かが足りない。あの大切な瓶も揃っていない。

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5人の習慣は、写真だけではなかった

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photo of friends playing cards in the cabin
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ウェッジの祖父が亡くなり、キャビンが彼の実家となる。これは最初の写真が撮られる以前のことだったが、これにより5人の何十年にもわたる習慣が生まれることとなった。5人の仲間はカメラの前でポーズをとる一方、1982年にもそうしていたように、ピンクフロイドとラッシュを大音量で楽しんだことだろう。

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ウェッジは、5人が決してキャビンで飲酒をしなかったことを覚えている。ただし、例外がひとつあり、ウェッジの祖父が所有していた古いウィスキーだけは、時折、少しずつをみんなで飲んだのだった。

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ちょっと変わったウィスキー瓶

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Wedge holds two of the boar shaped bottles
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そのキャビンに残されたウィスキーは、アーカンザス・レイザーバックのマスコットである赤イノシシの形をしたデキャンタに入った、1969年のエズラブルックスだった。ウェッジは、空っぽになってしまったものの、まだその瓶を持っているようで、今ではそれを集めていると言う。

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彼は、この赤イノシシのボトルを2本抱え、5人組のトレードマークとも言える仏頂面(と、かっこいいコプコ湖Tシャツを着た)写真をシェアしている。この男たちが、どれだけ楽しいことが好きな人たちかお分かりいただけるだろう。

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5度目の写真(2002)

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The friends' fifth photo in 2002
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20世紀が終わり、21世紀が始まり、5人はこの5年ぶりの写真を細部にまで行き届いたものに仕上げようとしたものの、いくつかの失敗は避けられなかった。

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この5度目の写真で最も目立つミスは、サラドがつい笑顔になってしまったことだった。これは、サラドが他の4人からずっとからかわれることになるミスだった。さらに、ベルブスはサングラスをかけ忘れていた。後に、これはフォトショップで修正している。ちなみにベルブスの巨大な瓶はわざとだ。

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やがて、デジタルカメラを使うことに

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the friends using a digital camera to take their traditional photo
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2000年代初頭では、フィルムカメラは時代遅れとなった。5人はデジタルカメラを使用することにしたが、これは良くも悪くも作用した。「最初の写真を撮ったときは30秒で撮れましたが、今は30分はかかります。完璧じゃないといけないですから。」と、ウェッジは愚痴をこぼす。

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このずっと後に、ウェッジは、最初の写真を真似できるビデオアシスト機能のついたD800を購入するが、6度目の写真は、D70カメラで撮影された。

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6度目の写真(2007)

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The friends' sixth photo in 2007
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5年前はバカでかい瓶でふざけたので、今回はできる限り最初の写真に近づけようとすることで、5人の意見は一致した。ベルブスはサングラスをかけ、全員、元気のない顔をした上、瓶の中にキャラメルキャンディーを入れた。以前の写真と同様、みんなシャツを着ている。

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何年か後、5人のウェブサイトのファンから、2007年の写真の方が若く見えるため、写真を入れ替えたのではないかという声があがった。ウェッジによると、メンバーの何人かが減量し、ひとりは白髪染めをしたから、というのが本当の理由のようだ。

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注目を集め出したのは

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the five friends on the news
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この頃になると、仲間で5年ごとに撮った写真はネット上を駆け巡るようになる。誰も、仲間内の習慣がこんなことになるとは思ってもなかった。

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5人の長きにわたる友情と遊び心は、多くの人の心をぐっととらえたようだ。「僕らはたくさんの人から、そんなに長い間ずっと友達でいられるなんて信じられない、っていうメールをもらいました。」と、JDは語っている。

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時が経つにつれ、集まるのが難しくなる

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three of the five friends sitting around in their Lake Copco cabin
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5人の仲間がそれぞれの道を進むうちに、サンタバーバラに残ったのは、たった一人になった。それは、街の観光サイトを運営するJDだ。サラドは小学3年生の教師として、カリフォルニア州アンティオキアに移住した。クラムとウェッジはオレゴン州で、それぞれエンジニアと写真家になった。ベルブスもまた写真家として、遠くニューオリンズ州へ引っ越したのだ。

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違う州に暮らし、違う職に就いてはいたものの、5人はなおもコプコ湖で集まろうと努力した。

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7度目の写真(2012)

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The friends' seventh photo in 2012
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どれほど長距離を運転しなければならなかったとしても、5人は全員が、2012年の集合写真のために集まった。前回2007年の集合写真のとき、クラムだけは、コプコ湖に集まるために夜通し運転しなければならなかった。

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日中、5人はロバート・ヤングの写真とキャラメルキャンディーが入った瓶と共に、それぞれ所定の位置についた。この写真を撮ったときには、これほどまでに5年ごとの集合写真が好評を博すとは思ってもいなかった。

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あっという間に、世界中で大評判に

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The friends' photos in Museum fur Kommunikation in Frankfurt, Germany
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「2012年の写真についた反応は、信じられないほどでした。」と、後にベルブスが語っている。あっという間に、5人の習慣や写真が、世界中の雑誌やインターネット上に掲載されたのだ。「スウェーデンに友人がいたのですが、向こうの新聞の第一面にも僕たちが載っていると教えてくれました」と、JDは言う。

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5人の写真は、2018年、ドイツのフランクフルトにある通信博物館の展示物にまでなった。8枚すべての写真が年代順に並べられ、しっかり見比べられるようになっている。

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5人の評判は、有名人の耳にも入った

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the five friends on The Today Show with Matt Lauer
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「5年写真」が大流行する中で、NBCが5人を「ザ・トゥデイ・ショー」に招待することとなる。5人はマット・ロウアーの番組に出演するため、ニューヨークへ向かった。5人を取り上げたメディアは他にもあり、2012年には「KGWポートランド」と「サンライズ・オン・7・オーストラリア」、2017年には「インサイド・エディション」でも出演を果たしている。

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後に、ウェッジは、CBS、Fox、ABCなどの出演を断らねばならなかったことについて明かしている。

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フィアス・ファイブとの出会い

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Five Year photo guys meet the Fierce Five
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「ザ・トゥデイ・ショー」に出演するためのニューヨーク旅行で、5人はもう1つの5人組「フィアス・ファイブ」に出会う。彼女らは、2012年のロンドンで開催された夏のオリンピックで、アメリカに2つ目のチーム金メダルを獲得した体操競技のチームだ。

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フィアス・ファイブのメンバーは、アリー・ライスマン、ギャビー・ダグラス、カイラ・ロス、ジョルディン・ウィーバー、マケイラ・マロニーだ。5人は、このオリンピックチームのお祝いに駆けつけた。

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8度目の写真(2017)

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The five friends' eighth photo in 2017
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いくつかテレビ等で出演を果たした後、5人は2017年の写真を撮りに集まる。この写真で、5人が集合写真を始めてから35年になる。「ザ・トゥデイ・ショー」の出演を祝って、瓶の中にはマット・ロウアーの写真を入れている。

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1987年以降はじめて、3人のジョンは上半身裸になった。今までの中でこの写真が帽子、サングラス、瓶、キャンディがあるべき位置に収まり、いちばん最初の写真に近いかたちになっている。

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しかしながら、みんながみんな、5人の写真に好感を持ったわけではなかった

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Wedge editing the group's later photo based on the original
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2012年、ベルブスはCNNに対して、インターネットユーザーの反応は様々だと語っている。「写真を見てくれる人の75%は、非常に好意的でポジティブなものです。しかし嫌がらせのようなものもあります。」

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テレビのコメンテーターからも「もし誰かが亡くなったら、どうするおつもりですか?」などといったような難しい質問を投げかけられることもあった。5人はいつも礼儀正しく「骨壺も面白いんじゃないかと思っています」と答えるようにしていた。ウェブサイトにも「僕らにはユーモアのセンスがあるので」と綴っている。

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年を重ねるうちに、5人はそれぞれ家庭を持ち始める...

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the five friends together at Dallas Burney's (Sallad's) wedding
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5人は仕事ばかりで年を重ねたのではなく、それぞれ家庭を築いていた。2012年には、5人のうち2人が結婚し、2017年の写真を撮る頃には、全員が既婚者となっていた。にもかかわらず、5人の配偶者らが5年写真の撮影に現れることは滅多にない。なぜなら、この5年写真は、この5人の仲間だけのものだからだ。

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JDが51歳になった頃、妻のシャロンとの間に子どもが生まれた。今のところ、5人の中で子どもがいるのはJDだけだ。JDはその喜びをCNNに語っている。「子どもがいるのはいいものです。僕はずっと父親になりたかったから。」

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そして現在も、5人の冒険は続いている...

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the five friends toasting at the Copco Lake cabin
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2019年には、5人は8枚の写真を撮った。これらの写真は、長きに渡る人生や友情をよく写し出している。「写真を見て、今までの仲間関係について色々思い出します。」とJDは語っている。「よく見ると、結婚指輪があったり無かったりしますよ。」

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2022年に予定している次の5年写真では、誰の写真を瓶の中に入れるかについて、5人は人々に投票してもらう予定でいる。さらに、今はこの5年写真の後継者もいる。JDは、このコプコ湖での習慣を、2歳の息子ジミーに継いでもらうつもりでいる。2022年が楽しみだ!それまでの詳しい情報や最新情報は、5人のウェブサイトfiveyearphotos.comをご覧いただきたい。

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40年間の写真を見て、その変化に驚くことだろう

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Nicholas Nixon
Nicholas Nixon
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ミシガン州デトロイトに住むニコラス・ニクソンは、ポートレートと記録写真で知られているが、あるとき思いつきで、後にもっとも有名なポートレート作品のひとつとなる『ブラウン姉妹』を撮り始めた。1975年の夏、ニコラスは妻と共に妻の実家を訪問しているとき、妻とその3人の姉妹に、姉妹みんなの写真を撮っても構わないかと尋ねたのだ。

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この写真は、1975年にコネチカット州ニューケーナンで撮影されたものだ。ニコラスの妻ビービーは25歳、ヘザーは23歳、ローリーは21歳、ミミはまだ15歳だった。彼女らの40年間に起こる変化をご覧いただきたい。

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1977年

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Nicholas Nixon
Nicholas Nixon
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『ブラウン姉妹』を撮り始めたとき、ニコラス・ニクソンは26歳だった。妻のべバリー(あだ名はビービー)と既に結婚して3年が経っていた。この写真は、初めの写真を撮ってから2年後の1977年、マサチューセッツ州ケンブリッジで撮影された。

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「この作品(ブラウン姉妹)は、ちょっとした暇つぶしから生まれたんです。週末にはビービーの両親に会いに行っていたんですが、ちょっとつまらないんですよね。色んな人に会って、毎晩ディナーには顔を出さなくてはいけなくて。ニコニコしているのに疲れてきて『写真を撮ろうよ』って誘ったんです。」と、ニクソンは言う。

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1978年

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Nicholas Nixon
Nicholas Nixon
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実際のところ、ニクソンが初めて妻と姉妹の写真を撮ったのは、1974年の8月だった。ところが、ニクソンは、それがおもしろい作品にはならないと感じて、その集合写真を破棄したのだった。そのため、このブラウン姉妹シリーズの初めての写真として登場するのは、1975年のものとなっている。

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姉妹を被写体にして2年目、写真を撮るのに「交渉術」が必要になったとニクソンは説明している。4人のうち2人が真ん中に立ちたいと言ったため、立つ順番を決めることになったのだ。左から順にへザー、ミミ、ビービー、ローリーだ。これは1978年、マサチューセッツ州ハリッジポートで撮影されている。

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1980年

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Nicholas Nixon
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ニコラス・ニクソンに広角レンズを使わせれば、彼の右に出るものはいない。ブラウン姉妹シリーズは、8×10カメラで、かつ白黒で、撮り続けられた。さらにニクソンは三脚も使用して、姉妹の写真をより魅力的に仕上げている。

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この写真は1980年、ロードアイランド州イーストグレニッチで撮影したものだ。ヘザー、ミミ、ビービー、ローリーの写真を撮り始めてから、5年経っていた。姉妹の写真を撮り始めたときには、彼女らは10代から20代前半だったが、みんな大人の女性になったように見える。だが、姉妹シリーズはまだまだ終わらない。

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1983年

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Nicholas Nixon
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1983年、ニコラス・ニクソンはブラウン姉妹をマサチューセッツ州オールストンで撮影した。ニクソンは写真家として、広い画角でオブジェクトや静物画、ポートレート、一風変わったパロディーを撮った20世紀のアメリカの写真家エドワード=ヘンリー・ウェストンの影響を受けている。彼のスタイルは「典型的なアメリカ、特にカリフォルニア人」だと言われている。

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さらにニクソンは、農業安定局(FSA)のプロジェクトで、世界恐慌の影響について記録するために写真を撮ったことで知られる、アメリカの写真ジャーナリスト、ウォーカー・エバンスの影響も受けていた。エバンスは、ニクソンがこの姉妹シリーズに用いたように、多くの作品に8×10カメラを用いていた。

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1985年

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Nicholas Nixon
Nicholas Nixon
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周囲が35ミリフィルムの携帯カメラを好むようになる中で、ニコラス・ニクソンは相変わらず大判カメラを好んで使用していた。その理由として、ニクソンは、ネガから作り出せるフォーマットの方が好きだからと述べている。

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ニクソンは「写真撮影が小さいカメラですばやく済めば済むほど、そこに写るのは、写真技術が生まれた頃のように、時が止まったような画ではなく、もっともっと薄い、ほんのわずかな一瞬でしかないのです。僕は、より厚みがある方が好きなのです。僕にとって30秒と1,000分の1秒の差はとても大きいのです。」これは1985年、マサチューセッツ州オールストンで撮られた『ブラウン姉妹』だが、確実に1,000分の1秒よりもずっと多くのものを捉えている。

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1987年

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Nicholas Nixon
Nicholas Nixon
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『ブラウン姉妹』のすべての写真が初めて、国際的な写真イベントであるパリフォトに出展された。その直後に、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、セントルイス美術館、ハーバード大学フォグ美術館、シンシナティ美術館、フォートワース現代美術館、そしてナショナル・ギャラリーで展示された。

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このシリーズはインターネット上でも人気を博した。インパクトのある一連の写真は、老い、時の流れ、姉妹そして家族の絆、どんなに変わっても、写真を撮るために何度でも集まることなど、様々なテーマを取り上げている。しかし、このシリーズは、それらのテーマの何よりも、1つの重要な考えの力について証明してみせている。

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1988年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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1988年の写真は、マサチューセッツ州ウェルズリーで撮影されている。何年も撮影を続けるうちに、最終的には、ブラウン姉妹がこのシリーズについて決定権を持つようになっていた。写真を選ぶときには毎回、4人全員が納得しなければならなかった。

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ただ隣同士に4人が並んでいるだけの写真もあれば、お互いに抱き合ったり、手をつないだり、みんなで腰に手を回して並んでいたり、ブラウン姉妹の仲の良さが垣間見れるものもある。写真の一番素晴らしいパワーというのは、見る人に、カメラの向こう側に広がるストーリーを想像させるところであり、前回からの12か月の間に何があったのだろうかと考えさせるところだ。

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1990年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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『ブラウン姉妹』がデビューした2014年、ニコラス・ニクソンは既に何十年ものキャリアを築き、写真家としてとても高い評価を受けていた。初めての展覧会を、4人のブラウン姉妹の撮影を始めた翌年1976年に、ニューヨーク近代美術館で開催している。この展覧会の監督はジョン・シャーカフスキーだった。

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ニクソンの個展の前には、1970年代半ばに、ニューヨークとボストンの早朝の様子を撮影した写真が、ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で開催された展覧会『ニュー・トポグラフィックス-人間によって変貌した風景写真-』に展示された。この展示はこの10年で最も影響力のあるものだとして称賛を受けている。この写真は、ニクソンの初めての個展から14年後に撮影されたものだ。

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1992年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ニコラス・ニクソンは、ブラウン姉妹の撮影を始めてから20~30年のうちに、他にも成功を収めている。1976年、1980年、そして1987年、ニクソンは全米芸術基金からフォトグラフィーフェローシップ賞を受賞したのだ。1977年と1986年には、グッゲンハイム・フェローシップ賞も受賞している。

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ブラウン姉妹に加えて、ニクソンはもう1つの有名なシリーズ『人々の姿(People With AIDS)』も撮影していた。このシリーズは、しぶとい病気であるエイズと共に生きる16人の患者を8×10カメラで追ったものだ。被写体が自分の子どもやパートナー、両親と抱き合う姿を、自宅の玄関先から病院のベッドまで、体の縮みゆく様を写したものだった。シリーズは1986年に始まり、1991年には1冊の本となった。

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1994年

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Nixon, Nicholas
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『人々の姿』以降、ニコラス・ニクソンは、ボストン周辺の小学生らの写真撮影を始め、1998年には写真集『学校』を出版した。写真には、子どもらが机についてふざけている姿、手で隠しながらこそこそ話をする姿、黒板の前でいら立っている姿、照れくさそうにお腹の前で腕を組む姿などが捉えられている。

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また、同時期に、ニコラス・ニクソンとビービーの子ども達、サムとクレメンタインの撮影もしている。この時期に撮影された写真は、ボストン美術館の『ニコラス・ニクソン-ブラウン姉妹も含む、家族のアルバム-』展で展示された。

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1999年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ニコラス・ニクソンは『アーホルン・マガジン』に、自身が写真家になる決意をしたのは「ミシガン大学でフォトグラフィーの授業を取った最初の日だった」と、語っている。写真に興味を持つ以前には、英文学を専攻しており、多くの作家の影響を受け、ウィラ・キャザー、マルセル・プルースト、ウィリアム・フォークナー、アーネスト・ヘミングウェーらを敬服していた。

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2002年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ニクソンの『ブラウン姉妹』が、ニューヨーク近代美術館でデビューしたとき、ニクソンはカメラマンとして、写真にまつわる話と1974年の写真を除外した経緯を説明した。「翌年まで、撮影した写真を作品として、あまり真剣には考えていませんでした。翌年、写真右側に写るローリーが大学を卒業した年、僕は2枚目の写真を撮影し、ふと思いつきで『同じ順番でしよう』と言ったのです。」

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さらにニクソンはこう続けている。「こうしたわけで、僕の手元には2枚の写真があって、その2枚のギャップによって、これをずっと撮り続けたら面白いんじゃないかというアイディアが生まれたんです。だから彼女たちにそうしても良いかと相談しました。みんな笑って、もちろんだと答えてくれました。」

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2006年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ブラウン姉妹の許可を得て、ニコラス・ニクソンの有名なポートレート作品シリーズは続いた。ニクソンが姉妹の写真を撮り続けるモチベーションになったものに、妻ビービーの家族の温かさと愛情を何年にもわたって感じていたことが挙げられる。

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「僕自身はひとりっ子なので、この家族に受け入れられたことは、とても喜ばしいし、嬉しいことでした。」ニコラス・ニクソンはこう説明している。「妻の家族は、未だに僕に愛情を注いでくれますし、支えてくれています。この(当時)30数枚の写真を見返しいると、自分の本当の姉や妹のように思えてきます。自分もいっしょに年を重ねているんだという実感があります。僕は彼女たちの一部でもあるし、彼女たちは僕の愛情の一部なのです。」こう説明するニクソンの気持ちは、ニクソンの作品を見る人たちにも伝わっている。

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2008年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ニクソンはブラウン姉妹への感謝の意を何度も表しているが、最も感動的な発言はこれだろう。「僕には4人、お礼を言いたい人がいます。ブラウン姉妹です。

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これらの写真は、僕を自分たちの人生に受け入れ、写真を撮ることを許可し、そしてその後も1年に1度、僕のわがままにずっと付き合ってくれた称賛すべき美しく強い女性たちへの好奇心から生まれたものでした。義妹であるミミ、ローリー、そしてヘザーが大好きだし、心の底から彼女たちの愛情と忍耐力に感謝しています。そして、僕の愛するビービーは親友でもあり、僕の人生の中心です。一緒にいれる事を幸運に感じていますし、感謝しています。」

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2009年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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2009年の写真はマサチューセッツ州トルローで撮影された。この写真には、4人のブラウン姉妹がまじめな顔をして、お互いにもたれかかっている姿が写されている。この年、姉妹に何があったのかは分からないが、困難な時期をお互いに支え合っているように見える。

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『ブラウン姉妹』はニコラス・ニクソンの作品の中でも軽めの題材の1つだ。『人々の姿』に加え、ニクソンは何年も盲目の人、病気の人、老人ホームに入所する人々も追いかけてきた。ニクソンは、写真を見る人と題材をうまく繋げるように、長年にわたって被写体を記録している。

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2011年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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『ブラウン姉妹』を鑑賞する上で興味深いことの1つに、ニコラス・ニクソンが40年以上にわたり写真家として成長する様を見ることができる点だ。ニクソンは、当初とは自身のアプローチの仕方が変わったと述べている。

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ニクソンは『ザ・デイリー・ビースト』に「年を重ねるごとに『今まさにこの瞬間』という瞬間はすぐ終わってしまうように感じるので、一瞬一瞬を中途半端なものにせず、もっと充実させて生きなければと思っています。僕は『いま』にもう少しありがたみを抱けるように、より強烈で、より見る人に訴えかける力のある作品が作れるように努めています。」と語っている。ブラウン姉妹の人生のどの瞬間をとらえた写真にも、見る人にこの時の流れを考えさせる力がある。

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2012年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ニコラス・ニクソンがブラウン姉妹の撮影をしている間にフォトグラフィーの世界では大きな変化があった。アナログフィルムはいつしか廃れ、フォトショップが人気となった。「フォトショップは、誰かと電話で話しながら運転するのとどこか似ています。」とニクソンは言う。「かつてはできなかったことができるようになっているのだから。」

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ニクソンはフォトショップが気に入らないようで「写真の瞬間を捉えるという機能に暗雲を投げかけていますし、逆に、それが一層僕にアナログ写真の役割や存在価値、信頼性に気づかせてくれますね、最初からそうだったように。」と述べている。ニクソンにとって信頼性を生み出すということは、見る人にも親密さが伝わるポートレート作品を作り上げる上で、常に重要な要素だった。

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2013年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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ニクソンは『ブラウン姉妹』を「他とは異なるもの」としてとらえてきた。それは「ただ長きにわたる作品なだけでなく、僕自身の役割は協力することだったからです。家族というものについて、一緒にいるということが、どういったことなのかをはっきりさせた作品だと思っています。僕は利己的な、相手を説得するようなアーティスト気質を控え、家族の一員としての役割に集中するということ、それはカメラマン対被写体の関係ではなく、同じ目線にいる、つまり、公平でいなければならないと感じていました。

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写真自体よりももっと大きなことに敬意を払っていると、やがてそれは、もっと大きな意味をもつようになります。たいていの場合、写真に写っている時間というのは明らかに短い時間なのです。」しかしながら、『ブラウン姉妹』は、ニクソンの家族の人生に40年間も関わってきたのだ。

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2014年

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Nixon, Nicholas
Nixon, Nicholas
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『ブラウン姉妹』の最後のポートレート作品は2014年に撮影された。ミミ、ローリー、ヘザーそしてビービーは、最初の作品を撮り始めてからそれぞれが40歳年を重ねている。姉妹が20代前半と10代の少女だった頃から、60代までの驚くべき変化は印象的だが、もっと印象的なのは、姉妹の強い絆だろう。

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最後の写真はマサチューセッツ州ウェルフリートで撮影され、4姉妹は一列になりお互いを抱き合いながら、優しく、自信をもってカメラに微笑んでいる。1975年7月のある日に撮った最初の写真のようなはしゃいだ感じはなく、姉妹の目には、これまでの人生経験が映されているようだ。