とある家族が授かった双子。生まれた瞬間に医者は”すみません”と呟いた・・
ジュリーさんが、二人目の夫であるダンさんと結婚をしたとき、すでに40歳になっていましたが、ふたりは自分たちの子供がどうしても欲しかったのです。
二人が決めた道は、想像以上に厳しいものでした。ジュリーさんが、珍しい双子を妊娠した時に、人生を根底から考え直すような決断をしなければいけませんでした。ジュリーさんとその家族が、どうのようにして多くの人の希望となったのでしょうか?
献身的な夫婦
ダンさんとジュリー・マコーネルさんは、アイダホ州のボイジーで知り合いました。二人とも教会のコミュニティーに参加していて、いつも家族を優先にしていました。でも、ジュリーさんにとっては、これが最初の結婚ではありませんでした。
ジュリーさんは、以前結婚していたことがあり、22歳になるガブリエル、17歳のカーソン、15歳のヘイリーの3人の子供がいました。ジュリーさんは、二回目の結婚が子供たちにどう影響するか心配していました。とりわけ上の二人は、大学に通っていて、ダンさんとは面識があまりなかったのです。
ダンさんは、ジュリーさんの子供たちを自分の家族として受け入れました
ジュリーさんは、少しためらっていましたが、結婚相手は、ダンさんしかいないと考えていました。ダンさんは、自分に子供がいなくても、いつもジュリーさんと一緒に過ごしていました。ダンさんは、ジュリーさんの家族が大好きで、もっと親密になりたいと考えていました。
ジュリーさんの子供たちもダンさんを家族として受け入れていました。ダンさんは、ジュリーさんの子供が大好きでしたが、自分の子供も欲しかったのです。ジュリーさんも彼の希望を受け入れ、子供が好きなこともあり、ダンさんと一人か、ふたり子供を作ることを望むようになりました。
妊娠することは、年齢が高くなるときびしかったのです
ジュリーさんは、すでに41歳で、妊娠するのは簡単ではありませんでした。アメリカの出生異常予防研究報告書によると、40歳以上の女性は、先天性異常の子供を妊娠する確率が高くなると発表しています。
そもそも40歳以上になると妊娠自体が難しくなり、体外受精でも成功率は、20%以下となっています。現在多くの人たちが、不妊症を患い、妊娠しにくくなっています。こういったハイリスクを考慮したうえで、それでもなお、ジュリーさんと、ダンさんは、子供が欲しかったのです。
幸運にも、ジュリーさんはすぐに妊娠できた
年齢の高さにも関わらず、ジュリーさんは、驚くほど速く妊娠することができました。彼女の中でも一番早かったみたいですね。"ほんとに驚いたわ。だって、ちょっと試しただけで、すぐに妊娠しちゃうんだもの。"と、ジュリーさん本人も驚いていました。
妊娠自体もとても楽で、中年女性でもレアなケースのだったようです。“妊娠もほんとに楽だったの。”と、ジュリーさんもとても感謝していたようです。更に幸運なことに、出産もとても楽で、すべてが完璧だったのです。
四人目の子供のアンディーも無事出産
ジュリーさんが、42歳の時に、アンディーと名付けられた愛らしくてブロンドヘアーで青い目の男の子を出産しました。家族もすぐに受け入れ、子供たちもアンディーが大好きで、出産から2-3年の間も、何の問題もなく元気に成長しました。
ジュリーさんと、ダンさんも、こんなに妊娠が楽に行けたので、5番目の子供も考えるようになりました。この時に、アンディーに妹を作ってあげたくなったのです。"その子に、小さなタイツとか、花柄のドレスやリボンをつけてあげたいわ"と、言ったことを今でもジュリーさんも覚えているそうです。結局、二人はまたトライすることに決めたのです。
夫婦も5回目の妊娠も楽にいくと思っていた
ジュリーさんによると、5回目もすぐに妊娠したそうです。はじめの超音波検査のときまで、ふたりとも、次の子供も、アンディーのように元気に育っているものだと確信していました。
"私たちも前回の妊娠のように、不運をすべて回避して、すべてうまくいくものだと思っていたの"と、ジュリーさんも話していました。でも、それも超音波検査ですべて打ち砕かれたのです。
一人じゃない。双子だった
ジュリーさんと、ダンさんは、なんとひとりじゃなくて、双子を授かっていたのです。超音波検査によって、双子は、二卵性双生児であることもわかりました。夫婦は、こういったことが起こることも理解していましたが、驚いたことに違いはありませんでした。
ジュリーさんによると、女性は年をとると、自ずと卵子が排卵されやすくなるらしく、年配の女性は、若い女性と比べると、卵胞刺激ホルモンが放出されやすく、そのため多くの卵子が子宮内に一度に着床することが多くなるのです。でも、夫婦は、このような合併症が起こることも知っていたのです。
双子と言うことは、危険も二倍に
夫婦は、双子を妊娠したと聞いて、嬉しさと同時に恐怖も感じていました。また、年齢が高くなると、女性は遺伝的疾患を持った子供を妊娠しやすいとも知っていたのです。
ジュリーさんによると、彼女たちは、胎児がダウン症になる確率が高いため、妊娠11週目に出生前検査をすることも決めたそうです。この出生前検査は、妊娠中の胎児が健康であるかも調べることができ、ダウン症を予測する確率も99%の正確率で診断できるのです。
診断結果は良くないものでした
出生前検査で、胎児の首ひだ(胎児の首の後ろの皮膚)が、異常に厚くなることを含め、いくつかの合併症があることがわかりました。これは、胎児の異常を示す典型的なサインなのです。
こういった状況にも関わらず、ジュリーさんと、ダンさんは、赤ちゃんたちが、健康で生まれて来てくれることを願っていました。出生前検査を受けて、前向きに祈るように診断を待っていましたが、ダウン症があることもわかったのでした。
一人だけ、それとも二人とも?
ジュリーさんと、ダンさんは、二人の赤ちゃんがダウン症であるのか心配していましたが、どうするか落ち着いてじっくり考えたかったのです。出生前検査は、ダウン症があることを確認しただけで、双子の片方がそうなのか、両方がそうなのかはわからなかったのです。
それを確認するためには、ジュリーさんは、更に羊水検査も受けなければいけませんでした。この検査で、更に費用がかさむだけではなく、とても母体に負担のかかる検査だったのです。
ジュリーさんは、この体に負担の多い検査がとても心配でした
羊水検査は、医師が空洞の針を子宮内に挿入して、子宮内の胎児を守って、子宮内に栄養を与えている羊水を抜き取って行われる検査なのです。この羊水を調べることで、性別や胎児への感染症、もちろん遺伝子レベルでの疾患など、胎児の状態をとてもよく理解することができるのです。
ジュリーさんも、羊水を採取するという、この苦痛を伴う検査を受けるかどうか何週間も悩んだそうです。とても怖かったのですが、ジュリーさんは、赤ちゃんのために、この診断を受けることを決めたのです。
診断結果は、予想もしていないことに
羊水診断の結果は、最悪な結果をもたらしました。ダウン症だったのは、ひとりではなく、双子両方だったのです。また、これ以上に更に悪い知らせもありました。
それは、胎児の二人とも男の子だったことです。まあ、そんなことは笑って済ませれるけど、女の子がほしかったのに、更に男の子が二人も増えたのです。その時、夫婦は、どうしていいのかわからなかったそうです。
マコーネル夫妻は、ふたりとも双子を世話するのには年をとりすぎたと考えていました
ダウン症の子供を世話をするのは、想像以上に過酷で大変なものです。夫妻は、年齢のことを考えると、それができるのか心配だったのです。当時、ジュリーさんは、44歳で、ダンさんが、45歳だったのです。
マコーネル夫妻は、年齢の高い両親になって、双子の男の子たちを十分に世話ができるほど長生きできるのか心配だったのです。ジュリーさんは、"私が心配しているのは、赤ちゃんの世話だとか、ダウン症の子供の世話のことを言っているんじゃないの。もっと怖いのは、その子供たちが、ティーネージャーになって、それからダウン症の大人になったときのことを心配しているの"と念を押していました。
この決断で、他の家族にも迷惑がかかるのでは。。。
もう一つ心配なのは、他の子供たちが、このダウン症の双子で、人生がどう影響されるかが、心配でした。"この私たちよりもずっと若くて、長生きする子供たちをどうやって世話するの?他の兄弟たちにどうやって迷惑をかけなくて済むの?"と、ジュリーさんは、悲観していたのです。
夫婦はまた、このダウン症の双子の世話で、もうひとりの小さな子供であるアンディーの世話も十分にできるか心配でした。年上の子供たちが、この幼い子供たちの世話もしてくれるかもしれないが、それも大変なことなのです。
夫婦には、選択が二つあった
"人生の中で、一番ストレスが多くて、つらい時期が何か月も続いたわ"と、ジュリーさんは、後に述べています。家族と赤ちゃんたちをどうするかについて、いくつか選択肢をいろいろ考えて、中絶することも可能であったが、ジュリーさんは、それをしませんでした。
その代わり、二つの選択肢が残りました。一つ目は、その赤ちゃんたちを養子に出すこと。そしてもう一つは、自分たちでしっかり育てること、でした。でも、どうするか決めるのは、容易なことではなく、一方で、その双子にすでに愛着を感じていて、また一方で、本当にちゃんと赤ちゃんの世話ができるのか心配だったのも事実でした。
苦しんで悩むより、そのことについて理解することが大事
しかし、ジュリーさんと、ダンさんも、二人だけで悩むことはなかったのです。ナショナル・ダウンシンドローム・アドプション・ネットワーク(NDSAN)に連絡して、ダウン症の二人の男の子を引き取ってもいいという家族がいるか確認できたのです。
"数時間で、いろいろな家族のリストが送られてきたわ。どの人たちも、とても素晴らしい人たちで、私たちの子供たちを惜しげもなくかわいがってくれそうだと感じたわ"と、ジュリーさんも回顧しています。どちらにしろ、素晴らしい家族がこの子達を愛してくれると思えるだけで、気持ちが楽になったのです。
ある家族が子供たちを引き取りたいと申し出てくれた
ジュリーさんも、ダンさんも、何組かの家族が、子供たちを引き取りたいと言ってくれたおかげで、希望が持てるようにもなったのです。"最終決断をするずっと前から、子供たちを養子に出すことは、とても現実的な選択のひとつだったの。"と、ジュリーさんも言っていました。
マコーネル夫妻は、それから、ある一組の家族と話をするようになりました。その家族も、ダンさんと、ジュリーさんが、とても難しい選択をしなければならないこともわかっていて、決断するまで、辛抱強く待ってくれたのです。その間、マコーネル夫妻は、どの選択が、子供たちにとって一番いい選択なのか、苦しみながら考えていました。
ジュリーさんは、この経験をオンラインでシェアし始めました
ジュリーさんの葛藤の中で、大きく変わることとなった分岐点は、これまでの経験をフェイスブックやインスタグラムでシェアし始めたことでした。ジュリーさんは、自分自身の考えや、話したい事、妊娠の状況などを世界に発信することで、いろいろ違った見方ができるようになりたかったのです。
それから、ジュリーさんは、同じボイジーに住むダウン症の子供たちを育てる親御さんと連絡を取るようになりました。びっくりすることに、遥々スコットランドの家族からも連絡があり、その家族は、ジュリーさんのように、二卵性双生児でダウン症の双子を育てているのです。それから、いろいろと話を繰り返すことで、ジュリーさんの心の不安が和らいでいったのでした。
ジュリーさんは、自分の葛藤を正直に打ち明ける
ジュリーさんは、親御さん友達からのサポートもあったものの、それでもすべてが解決するわけではありませんでした。ジュリーさんたちも、赤ちゃんたちをどうするのか、まだ決めかねていたので、普通の親が妊娠時期に得る幸福感みたいなものを、心の底から喜ぶことができなかったのです。
"赤ちゃんの性別を発表するパーティーもしなかったし、ベイビーシャワーもしなかったわ。双子用にお揃いのものを揃えるというようなこともしなかったし、とにかく、何もかもやらなかったわ。"と、ジュリーさんは、回顧しています。妊娠時期の大半は、何がこの赤ちゃんたちにとって一番いい選択なのか、そればかり考えて、ストレスを感じていました。
転換期:ピクニック
マコーネル夫妻にとって、転換期ともいうべき時が、NDSANの催しの時にやってきました。ダウン症の子供を持つ親御さんたちが集い、ボイジーでピクニックを開いたのです。ジュリーさんたちも招待され、喜んで参加しました。
ピクニックに参加していた親御さんたちは、ダウン症の子供を育てることは、他の親御さんがしていることと、あまり変わらないとのことだと話してくれたのです。ジュリーさんと、ダンさんは、そこで、親である自分たちが、子供たちに幸せを与えることができると知ったのです。"私は、そこで自分のすべき正しい選択を見つけることができたわ。"と、ジュリーさんも話していました。
恐怖感を捨てなければ
ジュリーさんの心の中から、恐怖心が消えてから、赤ちゃんたちを自分たちの手で育てる決心をようやくしました。"自分の考えをまとめて決断をすることは、とても怖かったの。私は、一人だけではなく、二人の子供たちが、そう運命づけられて生まれてきた宝物だったのに、私はそれを受け入れることができなかったの。"と、ジュリーさんは、シダー・ストーリーで話してくれました。
特別な世話が必要な子供たちを目のあたりにすると、もちろん平常心ではいられません。ジュリーさんと、ダンさんは、噂に耳を傾けずに、事実だけを見ることにしたのです。
妊娠は順調
マコーネル夫妻は、赤ちゃんたちを自ら育てると決めてからは、その準備で忙しくしていました。ベイビーシャワーも計画し、揺りかご、赤ちゃんの服、おむつ、双子用の乳母車も用意しました。
すべて予定通り進み、陣痛も少し早めに来ました。赤ちゃんたちは37週半で無事生まれ、2015年に、ジュリーさんは、双子の男の子、チャーリーとマイロを出産しました。しかしながら、出産は、アンディーの時より少し難しい状態にはありました。
双子のうち一人は、集中治療室へ
チャーリーは出産時、元気だったのですが、双子のもう一人のマイロに少し問題があったのです。マイロは、チャーリーと比べると、400グラムほど体重が少なく、腸内にねじれも見つかったのです。マイロは、出産後、すぐに手術をしなければなりませんでした。
まず、チャーリーだけは、家に帰宅し、マイロは、集中治療室へ残りました。運よく、マイロも元気になり、家族のもとへ帰ることができたのです。マイロにミルクを与えるのは少し困難でしたが、時とともに、それも改善されていきました。
全然違う双子の男の子
双子ちゃんたちは、全く性格が違っていました。チャーリーは、とても活発な子供で、すぐに歩き出して、飛び跳ねるようになりました。また、ボールで遊んだり、父親と相撲ごっこをしたりするのが好きでした。
それに対してマイロは、お座りや、歩き始めるのに少し時間がかかりましたが、結果的には、チャーリーに追いつくことができました。マイロは、チャーリーよりおしゃべりで、手話的な会話を好みました。"チャーリーは、うちのわんぱく坊主で、マイロは、がり勉君かしら。二人とも性格が全く違うの"と、ジュリーさんも言っていました。
おまぬけな兄弟
双子ちゃんは、家族からだけでなく、みんなから好かれていました。ジュリーによると、チャーリーとマイロに会った人みんな、ふたりの可愛さにやられてしまうそうです。ふたりが、あまりにもかわいくて、おまぬけなので、そういったあだ名がついたのです。
ジュリーさんによると、二人とも、おまぬけにふるまうのがとても好きで、"ウエディングシンガー"という映画からきた”おまぬけ兄弟“と呼ばれるようになったようですね。でも、夫婦は、双子ちゃんが大きくなったら、周りの人が同じようには接してくれないのではないかとも心配しているのも事実です。
アンディーと双子ちゃんは、ベストフレンド
アンディーも、双子ちゃんとすぐに仲良くなりました。アンディーは、いつも二人と一緒に遊んで、二人のことばかり話します。ジュリーさんによると、3歳になるアンディーは、みんなに双子ちゃんを紹介していて、二人を担いで歩き回っているようです。
今は、大きい上の子供たちは、すでに自分で生活をしていますが、ジュリーさんは、3人のわんぱくキッズで忙しい日々を送っています。チャーリーとマイロを手放していたら、毎日寂しく感じていたでしょうし、双子ちゃんのいない生活は考えられないと、ジュリーさんは感じているそうです。
上の兄弟も双子ちゃんが大好き
アンディーが、双子ちゃんと友達的な関係を築いているのに対して、上の兄弟たちは、"お兄ちゃん、お姉ちゃん"的な存在となっています。マコーネル夫妻の子供たちは、とてもしかっりしていて、夫婦が出かけているときには、ちゃんとベビーシッターとして面倒を見てくれています。
ジュリーさんの下の娘のヘイリーさんは、18歳で、他の兄弟よりも、ずっとはやく双子ちゃんと仲良くなっています。“たまに、この双子、私より、ヘイリーの方が好きなんじゃないの?”と、ジュリーさんもジョークっぽく話していました。家族みんなが、双子ちゃんのことが大好きみたいですが、双子ちゃんを大好きな人は、家族以外にもいるんですよ。
双子を育てることの本心も共有
双子ちゃんが生まれてから、ジュリーさんは、自分の人生をSNSでシェアしています。フェイスブックやインスタグラムで、双子のことや、他の子供たちのことを時系列でまとめています。
"これが、私のシェアの仕方で、これが、私の人生で、これが本当の姿なんです。これが、ダウン症の子供がいる現実なんです。この今の現実が、私が双子がダウン症であると診断されたときに知りたかった、本当の私の人生なんです。"と、ジュリーさんは、インタビューで話してくれました。
でも、子供たちの将来は心配
ジュリーさんは、双子ちゃんが、ダウン症であるからと言って、差別されるのがとても怖いのです。"中には、ダウン症のことをあまり知らない人が、ひどいことを口にしたりすることもあると思います。私はただ、この双子が成長して、友達を作って、自分の人生に感謝して、理解してほしいと思っているだけなんです。"と、ジュリーさんは話してくれました。
マコーネル夫妻は、双子ちゃんが大きくなったら、普通の公立学校に行かせたいと考えていて、チャーリーとマイロが友達を作って、みんなと一緒に社会に溶け込んでほしいと思っているのです。
ひとを勇気づけられたり、情報を提供できたりしたい
現在も、ジュリーさんは、インスタグラムで、双子ちゃんとの生活を配信しており、8万9千人のフォロワーがいます。ジュリーさんが、SNSで配信しているただ一つの理由は、ダウン症のことを多くの人に知ってもらいたいからなのです。
ジュリーさんによると、ダウン症の子供を育てることを恐怖と感じるのは、全く普通のことで、オンラインで知り合う人たちに、少しでもその恐怖を取り除いてあげたいのです。"チャーリーとマイロに出会ったのも意味があることだと信じているし、スコットランドのダウン症の子供を持った方のように、今度は、私が"誰か“のためになることができると信じています。”とジュリーさんには、語ってくれました。