映画『しあわせの隠れ場所』の舞台裏の実話
人生が180度変わったとき、マイケル・オアーはたったの16歳でした。彼は、数年の間に、麻薬中毒の母親との生活から、プロのアメフト選手へと転身します。そのマイケルを今の生活へと導いてくれたのは、特別な家族と彼の周りの人達でした。
そして、彼のストーリーは、オスカー受賞作の『しあわせの隠れ場所』で映画化されました。映画ではたくさんの事実が語られているものの、実際とは異なる部分もあります。今回は、マイケル・オアー本人が事実と異なっていると違和感を受けた真実をご紹介しましょう。
観客受けは良かった映画
2009年の映画、『しあわせの隠れ場所』では、貧困から救われて、リー・アン・テューイ(サンドラ・ブロック)とショーン・テューイ(ティム・マグロウ)に引き取られたマイケル・オアーを、クィントン・アーロンが演じています。マイケルは、大学アメフトでかなり注目を集めた期待の星となり、NFLのボルチモア・レイブンズでプレーするようになりました。
映画は、2006年に出版されたマイケル・ルイスの『ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟』に基づいており、ジョン・リー・ハンコックが脚本・監督を務めています。興行収入は3億ドルにも及び、サンドラ・ブロックはこの役でアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞しました。
見た目の違いが明らか
現実味を持たせるため、サンドラ・ブロックはリー・アン・テューイ役を演じる際に、髪をブロンドに染めました。彼女の映画上の子どもである、S・J・テューイとコリンズ・テューイは、それぞれジェイ・ヘッドとリリー・コリンズが演じています。
非難の対象の一つになっているのが、映画の中のマイケルとS・Jが、実際とはかなり異なる見た目であるということです。特に、S・Jは小さい子どもが演じていますが、映画の最後に映し出される写真を見てみると、S・Jはそれほど小さな子どもではないことがわかります。なんと、現在では183センチの高身長!マイケルは確かに体格が良いですが、実際は映画で見るよりももっと筋肉質なのです。
マイケルにとって簡単なことではなかった高校入学
映画の中では、マイケルは出席にかなりムラがあるにも関わらず、ブライアクレスト・クリスチャンスクールのコーチが、宗教的な観点から、マイケルを学校に転入させることを認めるように同僚を説得します。
他の教師たちは、マイケルの成績や寡黙な性格に不満気でしたが、すぐに彼は頭が悪いわけでも、話ができないわけでもないと気づいたのです。実際、確かにバート・コットン(レイ・マッキノン演)はマイケルを編入させるよう学校に説得しました。しかし、校長は、マイケルが高校に入学する前に、家で数か月の勉強をする必要がある、という決断を下していたのです。
バレーボールの試合で彼に気付いた訳ではないショーン
映画では、ショーン・テューイがオアーに初めて出会ったのは、娘のコリンズのバレーボールの試合のあとです。ショーンは、マイケルがスタンドに残されたポップコーンの袋を拾っていることに気づきます。ショーンは、自ら彼に近づき、自己紹介をします。この後、感謝祭までは、2人は会うことがありませんでした。
しかし、実際には、ショーンは娘からマイケルの話を聞いていたのです。それから、ショーンは、ブライアクレスト・クリスチャンスクールへ赴き、毎日マイケルが食べるものに困らないように、食費専用の口座を開設しました。はじめから、テューイ家は、マイケルの生活を気にかけていたのです。
すぐに家に住むように誘ってはいないリー・アン・テューイ
テューイ家が、道端を歩いているマイケルを目撃した際、どしゃぶりで夜中にも関わらず、短パンとTシャツで歩き回っていたのです。リー・アンは、その彼の置かれている環境に衝撃を受けて、一晩泊っていくようにすぐに家に招き入れます。
しかし、実際は、テューイ家は夜道でマイケルを見かけたのではありません。彼に会ったのは朝で、しかもその時に、リー・アンから家に来るように誘ってはいないのです。本当のところは、リー・アンは同じ日の午後に、ブライアクレスト・クリスチャンスクールへ行き、服を買ってあげるためにマイケルを買い物に連れ出しただけだったです。
テューイ家を選ぶまでにいくつかの家族の家で過ごしたマイケル
マイケルは、感謝祭休暇中にテューイ家に出会ってから数か月後、テューイ家と暮らすことを決めます。それまでに、整備士のトニー・ヘンダーソン(ビッグ・トニー)のところにしばらく住んでいました。マイケルがホームレスであることに、コーチが気づくまでに、マイケルは少なくとも5つの家族と暮らしていたのです。
「マイケルは、時々家に泊まりに来て、いなくなるんだ。でも、だんだんここにいるのが居心地よくなって来たみたいだったよ。」と、アメリカの番組『20/20』に話したショーン・テューイ。マイケルは「リー・アンとショーンと暮らし始めたとき、愛されていると感じたんだ。家族の一員としてね。他の家では家族の一員のようには感じなかった。望まれていないように感じたんだ。」と語りました。
臆病ではないマイケル
映画では、マイケルはあまり積極的ではなく、かなり臆病に描かれています。そのため、リー・アンは、「チームは、守るべき家族のようだ」と話して、マイケルを鼓舞させます。
しかし、実際のマイケルは、既に積極的になる方法を分かっていましたし、マイケルに試合のプレーの仕方を教えたのは、出会った当初8歳だったS・Jではありません。マイケルは『20/20』にこう話しています。「フィールドでは、常に炎と情熱を感じていたんだ。その攻撃性を誰かに植え付けるのことは出来ないよ。そんなの無理だ。屈強さや攻撃性は、持っているか持っていないかのどちらかさ。」
すぐにマイケルと絆を形成したテューイ家
映画の中で、何の問題もなく、マイケルが簡単にテューイ家に溶け込んだかのように描かれています。S・Jは新しいお兄ちゃんを迎え入れることにワクワクしていて、コリンズはクラスメートがマイケルに対して言うことを無視してくれていました。ショーンとリー・アンは、マイケルに大きなハグをして、すぐに順応します。
これは真実で、実際に、テューイ家はマイケルを大歓迎して、家族の一員として抱きしめた、と報道されています。S・Jは、のちにマイケルを親友と呼ぶようになり、コリンズは、2人が通った高校とミシシッピ大学時代に、マイケルとかなり仲良くなったと認めています。
さて、ではなぜマイケルは、映画が気に食わないのでしょうか?
マイケルの勉強を手伝うために、クラス変更をしたコリンズ
実際のコリンズは、後にこのように語っています。「私の友達は、マイケルに対してオープンだったの。みんな彼にやさしくしてくれたし、私たちみんなすごく仲が良かったんだ。」さらに、コリンズは映画内で描かれている以上の支援を、実際にマイケルにはしていました。彼女は、マイケルを助けるために、自分の学校の時間割りをわざわざ変更した成績優秀者。
コリンズは、同じ宿題を出されてマイケルを手伝ってあげられるように、いくつかをマイケルのクラスに変更したのです。「人生で一番勉強した時ね。」と、コリンズは『20/20』に語っています。
高校を卒業して大学に行くことを楽しみにしていたマイケル
マイケルは、高校を卒業できることにワクワクしていた、と『20/20』に話しています。「信じられなかったよ。ステージに上がって行って、校長に握手して。卒業したことある人なんて、家族で俺が初めてなんだ。素晴らしい経験だったよ。」 その後、テューイ家に近いという理由から、彼はミシシッピ大学へ進学します。
マイケルは「家族のためにいいと思ったんだ。友達もオックスフォード(アメリカのミシシッピ州の町)の試合を見に来れるから。」と言っています。実は、そんなマイケルは、1,000通以上のオファーの手紙をスカウトから受け取っていたそうです。
『白い壁』のエッセイを書いた時期
映画の中で、マイケルが書いたエッセイを、教師が読み上げるシーンがあります。実際、マイケルがエッセイを執筆したの最終学年の時。「周り全てどこを見ても真っ白なんだ。白い壁、白い床、たくさんの白人…先生たちは俺が全く理解していないことをわかってない。」
「誰の話も聞きたくない。特に先生の話は。先生なんか、宿題を出して、勝手に問題を解決するよう期待するだけだ。俺は人生の中で宿題なんかしたことないって言うのに。俺はトイレに行って、鏡を見てこう言うんだ。"俺はマイケル・オアーじゃない。この場所から抜け出したい"って。」
人種差別主義者だったリー・アンの家族
映画でも人種問題について、時折触れられています。映画のワンシーンで、別のプレーヤーが試合中にマイケルを馬鹿にする場面があります。人種問題は始め、テューイ家では特に問題のないことかのように思われました。しかし、民主党の知り合いに出会うことで「黒人の息子」を持つことに違和感をに感じたと、ショーンが告白します。
原作では、リー・アンが人種差別的な家庭で育てられたことについて言及されています。人種に関する見方が、いつどのように変わったのかについては、本人も覚えていませんが、いつからか、皮膚の色への境界線があいまいになって来たそうです。リー・アンは、「私は自分の色すらわからないような人と結婚したんだから。」と語っています。
映画がマイケルのキャリアに与えたネガティブな影響
マイケルは、オール・アメリカのレフトタックルとなり、2009年、ボルチモア・レイブンズから一巡指名を受けました。しかし、映画は世の人のマイケルに対する見方に影響を及ぼしたのです。「俺は何かを証明しようとしているわけではない。でも、人々は俺を見て、映画を理由に俺からものを奪っていくんだ。」と、2015年に『ESPN』に語りました。
「俺のスキルやどんなプレーヤーかなんて本当は見てないんだ。だから、フィールド外で起こったことでけなされる。俺のことを胸像なんて呼んだりするのは、俺がプレーできるできないに関係なく言われることだ…アメフトとは何の関係もない。フィールド外のことだ。だから、俺はあの映画が好きじゃない。」
実際に麻薬中毒者だったマイケルの母親
映画の中で、コカイン中毒者として描かれている、マイケルの母親であるデニース・オアー。本物のマイケルは 、『20/20』とのインタビューで次のように明かしています。「俺の母親はほとんど側にいてくれなかった。俺はほとんど自分で自分の面倒を見てたよ。」マイケルは、子どもたちに寝床を提供するプロジェクトの一環の、犯罪がはびこるノース・メンフィスのエリアにあるハート・ヴィレッジという場所で生活していた12人の子どものひとりだったのです。
2013年、デニースは『WMC-TV』へのインタビューで次のように語りました。「中毒症状は、やめられないほどひどかったの。祈って祈って、そこから人生を変えたいと自分に思わせなきゃいけなかったの。」
実際に殺されたマイケルの実の父親
映画で明かされているように、マイケルの実の父親は殺害されています。マイケルの成長中、父親がそばにいることはなく、父親はマイケルのことをほとんど知りませんでした。マイケルの父親は射殺され、遺体はメンフィスの高架道路下に投げ捨てられている状態で発見されています。マイケルは、死後3カ月後まで父親の死を知りませんでした。その理由のひとつは、彼の遺体の身元確認に時間を要したためです。
『ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟』によれば、マイケルが高校に編入する手助けをしたトニー・アンダーソンが、彼の父親の死を学校に伝えたとされています。
映画で描かれていたよりもさらに良いプレーヤーであるマイケル
『スー・シティ・ジャーナル』とのインタビューにて、本があまりにも早く映画化されたことに驚いていると話したリー・アン。「本当にすぐに映画化されたのよ。」
「なんでこんなに大事になっているか、私たちは理解もできなくて…。国中の人が私たちよりずっと大層なことをしてるって言うのにね。でも、それでも現実に起こったの。不思議な感じで前例もないもんだから、事故なんじゃないかっておもっちゃったわ。神様のお導きね。」それから、リー・アンは映画のセリフに関しても口にしています。「ハリウッドにしてはそこそこ正しいと思うわ。マイケルは、映画で描かれているよりもいいプレーヤーだけど、事実をめちゃめちゃにしなかっただけでも奇跡ね。」
そこまで「無能」ではないマイケルのコーチ
映画のコットンコーチのキャラクターは、実際のマイケルのコーチのヒュー・フリーズに基づいています。マイケルのやる気を出させるために奮闘しますが、コットンは、リー・アンからアドバイスを必要とするような間抜けなキャラです。しかし、実際のフリーズは、かなり腕の良いコーチ。高校のアメフトをコーチした後、アメリカで第3位のアメフトチームを指揮しています。
「映画のこの男よりは、自分は間抜けじゃないことを願うよ、というのが僕の感想。コーチングに関しては、それほどのアドバイスは必要なかったと思うよ。でも、結局この映画は、チャンスを信じて、実行してくれる家族を得た若者の話だからね。 人生の軌道を変えるような出来事だよ。」
細かいところに変更はあったものの、実際に起こった交通事故
映画では小さな事実が変更されてます。実際には、コリンズ・テューイがバレーボールをプレーしていたことはなく、棒高跳びの選手でした。また、コリンズは、マイケルと同学年に所属しています。交通事故に関しては、事故が起こった場所が異なります。映画のシーンでは、S・Jのヘアバッグへの衝突を、マイケルが防ぎ、深刻な怪我につながるのを防いでいます。実は、これは本当に起こったことなのです。
ショーン・テューイは『NewsOK』に次のように語っています。「あれは100%本当だ。後ろを走っていた車に乗っていたのは、バスケットボールチームの子でね。目撃者がいたんだ。全体のコンセプトはまさにその通りだよ。ハリウッドにしては本当に正確だよ。」
健康的な懸念からカロライナ・パンサーズから解雇
マイケルは、5年間ボルチモア・レイブンズでプレーします。カロライナ・パンサーズに移籍する前は、テネシー・タイタンズにも所属していました。しかし、2017年7月、身体的な規定を満たすことが出来ず、マイケルは解雇。彼のコーチのロン・リヴェラは、「最も重要なのは彼の健康だ。」と話していました。
「我々の心配は、彼の健康状態を回復させることだ。マイケルの健康が第一。問題を無視することは出来ないよ。マイケルは理解してくれたし、私たちもその懸念を彼にしっかり伝えたんだ。」マイケルは、前シーズンに受けた脳震盪から療養中でした。マイケルは、7月に投稿したツイッターで「脳は恐ろしいものだ。気をつけないといけない。」と話しています。
啓蒙のために自分の名前を利用したリー・アン
2015年、今でも映画の影響を受けていると吐露したリー・アン。「映画で5年間を奪われた感じで、今でも熱気はおさまってないの。」と『スー・シティ・ジャーナル』に話しています。『エクストリーム・メイクオーバー:ホーム・エディション』で自身のデザインスキルを披露し、人種差別や養子制度などに関してアメリカ国内で、今も講演を行っています。
「気が遠くなるような話よね。でも、私たちには使命があると気づいていたの。人生を変える機会だって。ナルシストに聞こえるかもしれないけど、構わないわ。人種差別は、この国に実際に生き続けているの。私は、自分達のように見えない人を愛する方法を、学ばないといけないわ。」
高い評価を受けた自伝で記録を樹立したオアー
映画での自分の描かれ方に、100%は満足していないマイケル・オアー。彼の自伝、『I Beat The Odds: From Homelessness To The Blindside』では、より真実を語っています。NFLプレーヤーの成長期の受難を直接語っているこの著書は、ニューヨークタイムズのベストセラーともなりました。アマゾンのレビューでは、5つ星中4.5星の評価がされています。
ワシントンポストも彼の本を賞賛。「この回想録の出版によって、オアーは自分のストーリーを取り戻した。話の隙間を埋めて、道端からスター街道へ駆け上がった彼の旅を自身の言葉で語っている。素晴らしくて人を引き付ける…」
実際の人物たちを取り込んだ映画
『しあわせの隠れ場所』では、全てが事実に基づいているわけではないですが、映画のプロデューサーは、実際の大学のコーチ陣も出演させています。それは、マイケル・オアーを引き入れようと彼の元をたずねる人達です。彼らは、実際にオアーにオファーをかけていたスカウトマンたちだったのです。
実際のコーチ陣の中には、元ノートルダム大学&サウスカロライナ大学のコーチであるルー・ホルツ、元ルイジアナ州立大学のコーチであるニック・セイバン、元アーカンソー大学&ミシシッピ大学のコーチであるヒューストン・ナット、元オーバーン大学のコーチであるトミー・タバービル、元テネシー大学のコーチであるフィリップ・フルマー、元ミシシッピ大学コーチのエド・オージェロンなどがいます。ミシシッピ大学にマイケルを奪われたにも関わらず出演するなんて、皆さん気の良い人達ですね。
自分の友人の前でオアーを擁護したリー・アン
映画の中で、リー・アン・テューイ(サンドラ・ブロック)の友人は、オアーに関するおせっかいな質問をするシーンがあります。マイケル・ルイスの著書『ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟』の中で、リー・アンは次のように話しています。「同じ年の娘がいるということで、他の人が問題視するだろうってことはわかってたの。」疑問を投げかける声は、お店、レストラン、学校のイベントなど町中に広がっていたそうです。
最も失礼な人達は、「同じ年のコリンズと、同じ屋根の下に住んでいるマイケルの性的衝動を、どのように対処するのか」というような質問を投げかけてきました。こういった人達に対して、リー・アンは、次ように忠告するようにしていたそうです。「”自分のことをもっと気にかけた方がいいわ。あなたは自分のことを気にして、私は私自身のことを気にするから”ってね。 」
実際の家族、オアーと友人関係になったサンドラ・ブロック
オアーは『しあわせの隠れ場所』での自分の個人的なストーリーの描かれ方が気に入らなかったものの、役を演じた役者たちには何の恨みもありません。実際、サンドラ・ブロックはオアーとテューイ家と友達になったと報道されています。
時間があれば、ブロックはマイケルの試合にも顔を出し、テューイ家と時間を過ごしているとのこと。この役を演じてアカデミー賞を受賞したブロック。これによって、特別な感情がこの作品に芽生え、家族と一生に渡る友情を築くことになったようです。2013年2月、ボルチモア・レイブンズが、スーパーボウルに出場した際にブロックは、試合を観戦してマイケルとチームメイトを応援しました。
リー・アン・テューイがギャングに冷やかされたという事実はない
映画の最も印象の残るシーンの一つと言えば、マイケル・オアーが自分が育ったハート・ビレッジに用がある際、リー・アンに車に残るように指示するシーンです。オアーが戻ってくるのを待つ間、ギャングのメンバーがこのような場所にいるリー・アンをからかいます。 実際には、リー・アンがそのよう扱いを受けたことはありません。
ギャングのリーダー格であるアルトンは、地元の犯罪者グループのリーダー、デルヴィン・レーンをモデルにしています。実際のマイケルの親友は、クレイグ・ヴェイルと言います。彼は、マイケルにとって、この場所で一番頼れて、何も見返りを求めない友人です。
家族の夕食の時間を感化するマイケル
『しあわせの隠れ場所』では、夕食の席で自分と座るように家族を説得するマイケル・オアー。実際、これは頻繁に行われていたそうです。 ショーン・テューイは、冗談交じりで『20/20』のインタビューに答えています。「マイケルは、私たちをテーブルの前に座らせるんだ。彼と時間を過ごすなら、私たちはみんなでテーブルの前に座って食べるよ。でも、実は彼がいなくなってから、テーブルではもう食べていないんだ。」
ハリウッドは感動的なインパクトをより大げさに加える傾向にあります。しかし、実際のオアーも、望んでいた家族をやっと手に入れて、機会があればいつでも本気でそれに感謝しようとする青年だったのです。
実際に養子になったマイケル
マイケルがテューイ家に住むようになってからも、彼は生まれ育った地域へ戻ってしまうようことが何度かありました。しかし、すでにお話ししたように、最終的には、テューイ家で住むようになります。リー・アンとショーンは、オアーを養子にして、正式に彼は家族の一員となります。
『トゥデイ』に出演した際、リー・アンは、養子にした息子との関係を上手に説明しています。「生物学的な子どもたちと同じくらい、マイケル・オアーを愛しているわ。私の子どもたちの間に違いはないの。」映画は完全に事実に沿っているわけではないものの、家族の間の愛情は本物であるようです。
家族のクリスマスカードの写真にのって周りの人を困惑させたオアー
『しあわせの隠れ場所』の中で、クリスマスカード向けの写真撮影の際に、家族と並んで撮影をしたマイケル。これは、実際にも行われていた出来事です。しかし、実際の写真に映っていたのは、家族全員ではなく、子どもだけでした。困惑した彼女のいとこが、わざわざ電話してきて、写真について聞いてきたということを、後に明かしているリー・アン。
「"失礼を働くつもりはないんだけど、クリスマスカードの黒人の青年は誰?"って聞かれたの。」親戚や友人に新しい家族をお知らせする方法としては、少し遠回しだったかもしれませんが、印象に残る方法なのではないでしょうか。
実際にタコ・ベルや他のチェーンレストランが大好きなテューイ家
映画の中で、マイケルは、ショーン・テューイが所有していているタコ・ベルのフランチャイズ店で食事ができることを知ります。実際、ショーンは3人いるパートナーのひとりであり、RGTマネジメントを経営。彼の会社は80店舗のタコ・ベル、ロング・ジョン・シルヴァース、キーフレンド・フライド・チキン、オフ・ザ・グリルを管理しています。
テネシー、ミシシッピ、ケンタッキー、オハイオ、ミズーリまでに拡大している、ショーンのビジネスベンチャー。2009年に公開された同映画では(※日本公開は2010年)、NBAのメンフィス・グリズリーズのスポーツコメンテーターと、ミシシッピ大学のラジオプログラムの放送アナリストという彼の別の仕事に関しては触れられていません。
映画では語られなかったオアーのバスケの才能
何百万ドルもつぎ込んで、成長していくアメフト選手の青春映画を売り出すのであれば、メインキャラクターの別の部分を多少省くのには、正当な理由があったと言えるでしょう。実際のマイケル・オアーは、100%アメフト一筋だったわけではありません。スターバスケ選手でもあったオアーは、テネシー州の最優秀高校バスケ選手賞では次点でした。
彼は、静かで臆病者の若者として、映画では描かれていたかもしれませんが、本物のオアーは、どのチームメイトよりも輝いているスターアスリートでした。ミシシッピ大学でアメフトを続けることを決めたマイケルですが、バスケットボールを選んでいたら、また違う道があったのかもしれません。
S・Jは本当に大学のスカウトたちを調査したのか
映画の中の最も面白いシーンの一つと言えば、幼いS・J・テューイが大学のスカウトに対して、「さて、資料を見せてもらおうか」と言うシーンです。この有名なシーンに関して本物のS・Jに尋ねてみると、冗談交じりにこう答えています。「あんな感じだったかは覚えてないけど…ジェイ(S・Jを演じた子役)の方が、俺よりずっと俺をうまく演じられるんじゃないかな。」
テューイ夫妻はこれに関して、「S・Jはコーチたちを結構研究してたんだ。」と話しています。S・J自身が奨学金を受けることはありませんでしたが、ザ・グローブ(有名なキャンパス内のエリア)に行ったり、ミシシッピ大学のコーチのエド・オージェロンに会ったり、個人的にツアーをしてもらったそうです。ただ、S・Jの交渉スキルは、映画のS・Jには及ばなかったようですね。
大学までついてきてくれた高校時代の家庭教師
『しあわせの隠れ場所』の最後の方で、マイケルの家庭教師のスー夫人(キャシー・ベイツ演)が、大学のキャンパス内で近くのアパートに引っ越すというようなコメントをしているシーンがあります。実際、スー夫人はマイケル・オアーの家庭教師を続け、彼の教育をサポートし続けました。
ブライアクレスト・クリスチャンスクールに通い始めたときは、DやF(落第)ばかりだったオアー。しかし、高校はAとBで終えています。 ミシシッピ大学に入学する際は、少し他の生徒に追いつく必要があったオアーですが、彼の養子縁組の両親は、成功を支援するだけの手段を持っていたのです。
「イカした」ユーモアのセンスを持った外向的なオアー
実際のオアーは、フィールド上で臆病だったことはない、ということはすでにお話ししました。それでは、フィールド外ではどうだったのでしょうか?彼のチームメイトは、オアーの面白い性格と人生への愛着を讃えています。
彼のチームメイトの多くは、報道陣に対して、「オアーは、恥ずかしがらずに会話ができるとても面白いヤツ」と答えています。オアーのニューヨークタイムズのベストセラー本の中では、彼のユーモアセンスが見え隠れし、『しあわせの隠れ場所』で描かれていたような愛すべき無骨者だけではなかったことがわかります。どうやら、貧しい黒人エリア出身の無知な青年というのは、映画プロデューサーにとって、良いセールスポイントになるということだったようです。
映画で説明されていたより議論を呼んだオアーの成績
『しあわせの隠れ場所』の後半で、NCAAディビジョンI FBSに所属するためには、マイケル・オアーの成績がGPA2.5以上でなくてはいけないということが明かされます。リー・アンは、高校の卒業式への参加中に、マイケルがGPA2.52を取得したことを伝えました。
実際には、オアーが必要だったスコアはGPA2.65であり、BYUプログラムに参加後に、この成績がわかったそうです。同プログラムは、オアーに簡単なテストを含む10日間のコースを受けさせて、その代わりに1年次のDとFをAにするという措置を取りました。全米大学体育協会からの調査が入ったものの、最終的にはオアーが間違ったことをしたという結論には至らなかったとのことです。
「間抜け」な青年ではなかったオアー
マイケル・オアーは、テューイ家に出会う前は高校で落第していたものの、彼の知性に問題があったわけではありません。オアーは自伝の中でこう話しています。「映画では、ただの間抜けとして俺が描かれていたんだ。安定した教育指針を与えられなかっただけで、それを手にしたら成功をおさめたヤツではなくね。」彼のキャラクターにアメフトを説明する際に、映画監督が基本的な視覚的資料が必要であると考えた理由も、理解できない、と話しています。 例えば、フィールドでのポジションを説明するのにケチャップのボトルを使用する、などです。
現実には、オアーは幼い時からアメフトの複雑性を理解していました。さらに、NFLに参加する前には大学も卒業しています。オアーは、短期間で自身の幼い時の教育的な挑戦を乗り越えるということが出来たということです。「間抜けな」ヤツには思えないですよね?
マイケルの偽の赤ちゃん時代の写真を偽造したリー・アン
リー・アン・テューイは、高校の卒業式でオアーの赤ちゃん時代の写真を見せたいと思っていました。彼の麻薬中毒の母親は写真を持っていなかったため、リー・アンはこれを偽造。黒人の赤ちゃんのネットで検索したそうです。
最終的に、かわいいと思った黒人の赤ちゃんの写真を発見し、「マイケルの過去の写真」をして提出。その写真は卒業式で披露されました。しかし、実際には、映画の中のようにステージ上でバレるということはなかったようです。
幼いころから、スポーツは「抜け道」であると信じていたオアー
オアーは、幼いころからスポーツが抜け出すための最大のチャンスであると思っていました。元々はバスケに集中して、すぐに頭角を現し始めます。スポーツ熱と体格のお陰で、オアーはアメフトでもバスケでも高いレベルでプレーすることが出来ました。
オアーは自分の強みが十分ではないと感じ、スポーツの知識を読みふけり、大学レベルに到達する以前にアメフトでもバスケでもエキスパートになっていました。『しあわせの隠れ場所』では、オアーのスポーツ知識への興味が語られておらず、トラブルばかりの彼の人生に骨組みを作り出すための方法として、アメフトに触れさせられた青年、として描かれています。
映画のクレジットで映し出された家族写真
リー・アン・テューイは、卒業式のためにマイケルの赤ちゃん時代の写真を偽造せざるを得ませんでした。しかし、映画で使用された家族写真は違います。映画のクレジットの中での家族、学校、スポーツの写真は、本物のマイケル・オアーとテューイ家です。
安定した愛のある環境に落ち着いたオアーは、養子縁組の家族と新しい幸せな瞬間を共有しました。よく見てみると、マイケルが家族の一員になってからの、テューイ家の本当の生活の一部が垣間見えます。
ミシシッピ大学がヒュー・フリーズを雇ったことで議論に
同映画では、オアーが基本合意書にサインしてから20日後にミシシッピ大学が彼の高校のコーチであるヒュー・フリーズを雇ったことに関して、うまくごまかされています。フリーズ本人は、これが条件だったということはなく、彼がすでにミシシッピ大学のオフェンシブコーディネーターのノエル・マッツォーネを知っていたため採用された、と話しています。
一方テューイ家は、オアーがどの大学に進学するかという決断に影響を及ぼそうとしたことはない、と長きにわたって主張しています。ミシシッピ大学のフリーズの採用は、多くの人に疑問を残しました。このため、映画ではこの状況が完全に省かれています。
2004年なのにWindows版Safari?
事実に基づいていない映画の部分すべてが単なる嘘として作り出されたわけでなく、映画製作チームが単に見過ごしてしまった間違いもあります。例えば、ショーン・テューイは、当時は存在していないはずのコンピューターブラウザを使用。ショーンはコンピューターで情報を検索する際に、Windows版のSafariを使用しているのです。
Windows版サファリがリリースされたのは、2007年。マイケル・オアーがテューイ家と暮らしていたのは2004年です。映画にとって重要なシーンというわけではないですが、すでに事実を脚色しているオアーの個人的なストーリーにさらにうそを重ねる結果になっています。
社会改革運動家になったリー・アン・テューイ
たくさんのインタビューの中で、マイケル・オアーが家族の世界の味方を変えた、と話すリー・アン。そのような変化は、彼女がFacebookでシェアしたストーリーにも見られます。その一つは、ショーンのファストフード店で、お客に差別を受けた2人の黒人青年のお話です。
「彼らは携帯を見せて、高校でのバスケの試合のために、各友達から3ドルかき集めようしたテキストメッセージ見せてきたの!その後、ポップコーンとバス代のお金を置いて、にこやかに帰って行ったわ。 私たちは、自分の物差しで他人を判断したり、勝手に憶測をすることをやめないと!人を見た目だけで判断してはいけないわ。思いやりを見せないと!他人との違いを受け入れて、自分の見たいように、相手を見るのをやめましょう!」テューイ家がマイケルの人生を変えたように、マイケルもテューイ家の人生を変えたようです。
最終的に映画を受け入れたオアー
マイケル・オアーは、公開当初、映画『しあわせの隠れ場所』を気に入ってはいませんでした。それは、NFLでのキャリアについて話す時に、障害となったからです。しかし、2016年の『ESPN』のインタビューでは、映画を受け入れたと話しています。「いい話だとは思うよ。素晴らしいストーリーさ。」
「テューイ家は、俺がここまでたどり着く手助けをしてくれたんだ。彼らは、俺の家族で、テューイ家がいなかったら、俺は今ここにいない。たくさんのことを教えてくれて、いろんなことを見せてくれたんだ。この映画は、誰かを助けること、チャンスを与えること、目に見える表面だけで、人を判断しないことを教えてくれると思う。」