30年近くお宝を探す素人男性、世界中の人々を驚かせる金色の何かを発見?

人生が一変することになろう日、30年もの月日を費やした熱心なトレジャーハンターは、金属探知機を片手に、イギリスの小さな街、マーケットハーバラ近くを探索していた。木の下の近くを金属探知機でスキャンしていたとき、何か金色のものが目にとまった。そして、それは本人だけでなく、世界中の人々を驚かせる発見となる。

30年近く、お宝さがしをしている男性

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Henry 8th crown jewel/Facebook
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30年以上も趣味で宝探しをしているケヴィン・ダケットは、これまでにもイギリスのあちこちの田舎へ行ってはちょっとした発見をしていた。そして、2017年、ダケットは自身の名前を世界に知らしめる発見をする。

30年も宝探しをする中で、ダケットはそれなりに興味深いものを見つけてきた。しかし、この発見はこれまでのものとは比べようもないものだった。

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とてつもない発見だったことは分かっていた

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Brianna Soukup/Portland Press Herald via Getty Images
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それを手に取った瞬間から、とんでもない発見をしたのだと分かっていた。それでも、自分が発見したものが本当に何であるかが分かったのは、それから数年後のことだった。なんと、そのお宝はイギリスの王室が所有していたものかもしれなかったのだ。

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そのお宝が、どのようにしてダケットが発見した場所に行きついたのかは分からないが、重要なのは、それがあるべき場所に戻ったということだった。

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イギリスの長い歴史

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Pawel Libera/LightRocket via Getty Images
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何世紀もの間、イギリスは多くの君主が統治してきた。そして、良きにつけ悪しきにつけ、歴史にその名前を残している。幸いにも、これまでにも多くの遺物が見つかっており、博物館に展示されている。

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遠い昔から歴史学者らによって、宝石や原石、兵器、衣服など多くの発見がなされ、一般にも公開されている。こうして発見された多くのもので、歴史は繋げられていくのだ。

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リチャード3世との繋がり

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Universal History Archive/Universal Images Group via Getty Images
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当初、ダケットが発見したものはリチャード3世のものだと信じられていた。リチャード3世は、ヨーク朝最後のイングランド王であり、ボズワースの戦いで戦死した中世最期の王だった。

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ダケットがお宝を発見する以前の2012年、ダケットが宝物を発見した場所から30キロメートルも離れていないレスター市中心部の駐車場の地下において、リチャード3世の遺骨が発見されていたことから、こうした推測がされたのだった。

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歴史の中で失われた宝物に取りつかれたダケット

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Warren Little/Getty Images
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ノーサンプトンシャー・イブニング・テレグラフによると、ダケットが金属探知機を使ってイギリスの田舎で宝探しを始めたのは1980年代だったという。しかしながら、ニュースの一面を飾るような発見はそれまでまったくなかった。

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このことからも、何か重要な発見をしたいと思っても、どれほど確固たる意志を持ち続け、辛抱強くいなければならないかが分かるだろう。ダケットが市の中心地からさほど離れていないマーケットハーバラ・ゴルフクラブの裏手を捜索してもいいと許可を得たのは、2017年になってからのことだった。

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自宅からさほど離れていない場所で

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David Alexander/Getty Images
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幸いにも、ダケットの家からゴルフ場までおよそ15キロメートルほどしか離れておらず、移動は苦にならなかった。それまで、誰にもこの場所を探索する機会を与えられていなかったため、ダケットはワクワクしていた。

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2021年2月、ノーサンプトンシャー・イブニング・テレグラフのインタビューに答えて、「これまで探索したこともない場所だったし、試しに1人で様子を見てみたいのもあって、1人で行きました。」と語っている。

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遺跡

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The Print Collector/Print Collector/Getty Images
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ダケットはそれほど期待していなかったが、1人で初めての場所で探索するため、何かを見つける機会はあるかもしれないと思っていた。

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というのも、このマーケットハーバラの歴史はサクソン人までさかのぼることができるからだ。さらに、ダケットが探索しようとしていた場所の近くには、中世村落の遺跡まであった。そのため、あまり多くは期待していなかったものの、それでも何かが見つかるかもしれない可能性は高かった。

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そんなに長い時間かからなかった

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David Bathgate/Corbis via Getty Images
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ダケットによると、「探索を開始して、そんなに時間は経っていませんでした。すぐに金属探知機が大きな音で鳴り始め、振動を始めたのです。」もちろん、30年間もの宝探しの間に、これまでにも金属探知機がこうして鳴ったりすることはあり、ダケットは慣れていた。そのため、鳴ったからといって宝物が見つかった!と興奮しすぎることはなかった。

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しかしながら、10センチほど地面を掘り進めたとき、何かを発見したことに気がついた。ただ、それが正確に何なのかは分からなかった。

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特に何かすごい発見があるとは思っていなかった

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Hauke-Christian Dittrich/picture alliance via Getty Images
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金属探知機が鳴り始めたとき、ダケットは牛乳瓶のフタや金属片など、何かゴミに出くわしたのだと思った。

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それでも身をかがめて顔を近づけると、とんでもない勘違いをしていたことに気づく。報道に対し、「ブラシで土を落とすと、すぐにテューダー朝のものだと分かりました。」と述べている。

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知識をフル活用して出した答え

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Man with a rock
Hauke-Christian Dittrich/picture alliance via Getty Images
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発見したものを詳しく見ながら、自身の知識と照らし合わせ、それが15~17世紀のものではないかと推測した。しかし、発見したものがそれほど古いものだという点以外にも、驚くべき点があった。

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さらに、その色と重さから、発見したものが黄金だということに気づいた。これまで散々宝探しをしてきたが、ついに、本当の宝を見つけたのだ!だが、これは一体何なのだろうか。どんな重要な価値があるのだろうか。

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ただの黄金ではなかった

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Henry 8th crown jewel/Facebook
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ダケットは発見したものを詳しく調べていくと、それがわずか6cmほどの像だということが分かった。

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レポーターに答えて、「ブラシで土を落としながら、驚きのあまり座り込みました。それからどんどんとアドレナリンが出てきて、興奮が体中を駆け巡っていくのを感じました。黄金とほうろう加工された像を握りしめたままでした。」だが、この像は何なのだろうか。誰を模したものだろうか。誰か重要な人物の持ち物だったのだろうか。

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良識的な行い

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Picture of the British Museum
William Thomas Cain/Getty Images
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ダケットは自分が発見したものが一体何なのか、どんな歴史的価値があるものか分からなかったものの、何か重要なものであることには間違いないと確信していた。「本当にびっくりしました。すぐにこれは本当に特別なものだと思いました。」とコメントしている。

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良識ある人として、ダケットは発見したものを保管のため大英博物館に引き渡している。自分は一体何を発見したのだろうか、知りたくてたまらなかったダケットは自身で調査を開始した。

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広範囲に及んだ調査

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H. Armstrong Roberts/Retrofile/Getty Images
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ノーサンプトンシャー・イブニング・テレグラフのインタビューに答えながら、ダケットはこう認めている。「私が発見したものが一体何だったのか、真実を知りたくて、3年以上にわたって何百通ものメールを世界中の学術機関や歴史学者、専門家に宛てて送りました。来る日も来る日も、気になって調査をし続けました。そう、まるでシャーロック・ホームズにでもなったかのような気分でした。」

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しかし、その試みもむなしく、何の成果も得られなかった。それでもダケットは諦めたくはなかった。

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ヘンリー6世につきあたる…

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Picture of King Henry VI
CM Dixon/Heritage Images/Getty Images
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調査を進めていたダケットは、ついにヘンリー6世にたどり着いた。ヘンリー5世の子で、1422年にわずか生後9ヶ月で即位し、15世紀の同国の君主となった人だ。

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その後、祖父にあたるシャルル6世の死により、フランス王位をも継ぐこととなったが、これは父であるヘンリー5世がずっと熱望していたことだった。

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王位にふさわしい人物ではなかった

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Picture of Henry
Culture Club/Getty Images
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父王は偉大な戦士としても知られていたが、ヘンリー6世はその勇猛さを受け継いでいなかったようだ。その上、ヘンリー6世が王位についた当時は、イギリスとフランスとの間で百年戦争が続いており、国内が安定していなかった。

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残念ながら、ヘンリー6世はこうした熾烈な状況にうまく対応できるような人ではなく、気弱で、戦いなど暴力的なことを避ける人物として描かれている。当時のイギリスに必要とされる君主ではなかったようだ。

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精神的にもふさわしくなかった王

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Medieval painting
Heritage Art/Heritage Images via Getty Images
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複数の資料によると、ヘンリー6世は気弱だっただけでなく、成人してからほとんどの間、精神疾患に陥っていたとされる。当時の国はすでに弱体化しており、強い君主が不在だったことから、権力争いを引き起こすことになる。

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結果的に、イギリス国内ではランカスター家とヨーク家の権力闘争とも言えるばら戦争が起こる。

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ヘンリー、この世界にさほど望まれず…

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Picture of Henry VI
Print Collector/Getty Images
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ひとたび権力争いが起こるとヘンリーは退位させられ、宿敵のエドワード4世によってロンドン塔に幽閉されたが、おそらく暗殺によって1471年に亡くなっている。

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エドワードのヘンリーに対する扱いが酷かったため、国民はヘンリーに同情的で、ヘンリーを殉教者と見なし、その功績を称えた。その後まもなく、ヘンリーは王室の聖人とされる。後年になって、ヘンリーは奇跡を起こしたとまで言われている。

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死後、人気が高まる

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Gold figurine
Henry 8ths crown jewel/Facebook
Henry 8ths crown jewel/Facebook
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結局のところ、ヘンリー6世の殉教と、王の死後イギリス国民から得られた支持によって、その後ヘンリー6世の異父弟エドマンドの息子、ヘンリー・テューダーがイギリス王位を継ぐこととなる。

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この時点で、黄金の像がヘンリーの姿を模したものであったり、または聖ヘンリーを意味して「SH(Saint Henry)」の文字が彫られていたとしても不思議ではない。発見した像を見ながら、ダケットはこれはヘンリー6世を模したものだと確信した。

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ヒストリック・ロイヤル・パレスの動画

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NPO法人によって運営される慈善財団ヒストリック・ロイヤル・パレスの動画の中で、テューダー朝初代の王の息子で悪名高いヘンリー8世がかつて頭に冠したと言われる王冠を再現したものを見ることができる。貴重な宝石をふんだんに使い、贅を尽くした王冠だ。

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また、フルール・ド・リスと呼ばれるユリの紋章も5つ見られる。その上、それぞれの紋章の中には小さな像が見てとれる。

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王冠はヘンリー8世以前に着用されていた

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Picture of Henry VIII
DeAgostini/Getty Images
DeAgostini/Getty Images
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ヘンリー8世が冠していた王冠は、最初に作られていたものと異なっていた。元々は、キリストを表すしるしが3つあり、聖母マリアと聖ジョージも描かれていた。

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しかし、ヘンリー8世が王位を継承したときに、デザインを自身で変えたようだ。おそらくそれはローマ・カトリック教会からの分離によるもので、3つあったキリスト像の代わりに、イギリスの聖人となった王の像をあつらえたのだった。

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王冠は、特別な行事のときのみに着用されていた

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Picture of Henry VII
English Heritage/Getty Images
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ヘンリー8世の好みに合わせて変えられた王冠だが、最も重要な行事などで使われ続けた。1540年、アン・オブ・クレーヴズとの婚姻の際にも身につけられていた。

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その後ヘンリー8世の崩御に伴い、王冠はイギリス君主に代々受け継がれていった。合計6回の戴冠式で着用されている。1つの王冠にしては、比較的長い間使われていたと言える。

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その王冠を最後に着用した君主

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Picture of Charles I
Heritage Art/Heritage Images via Getty Images
Heritage Art/Heritage Images via Getty Images
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最後にその王冠を身につけたのは、チャールズ1世だったということが判明した。さらに、信じられないことに、1631年に描かれたとされる、チャールズ1世と王冠の絵まで存在している。ヒストリック・ロイヤル・パレスの研究チームは、この絵を基にして王冠を再現したのだろう。

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残念ながら、チャールズ1世の治世は1642年に第一次イングランド内線が勃発して失敗に終わる。しかし、チャールズ1世がこの王冠を身につけた最後のイングランド王ということになれば、この後、王冠は一体どうなってしまったのだろうか。

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チャールズ1世、処刑される

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Picture of Oliver Cromwell
Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images
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わずか7年後にチャールズ1世は処刑され、空位期間(イングランド共和国とも)が始まる。1660年に王政復古が起こるまでの間、ヘンリー8世の王冠を含む多くの王家の宝物が失われている。

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何年もの間、歴史学者らは、王冠(土台部分の黄金)は溶かされてコインとなり、埋め込まれていた宝石類は裕福な者に売られたのだろうと認識していた。

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ダケット、王冠のレプリカを見に行く

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Picture of Hampton Court
Matt Kent/WireImage
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ダケットは、王冠のレプリカを見に行くことにした。自分の発見した像が本当に王冠にあしらわれたものだったのかを確認したかったのだ。当時、レプリカはヘンリー8世の旧家でもあったハンプトン・コート宮殿に展示されていた。

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王冠の一部だったに違いないと確信しながらも、ダケットの胸は色々な感情でいっぱいだった。「王冠のレプリカが展示されているグランドホールに近づいていくときの、あのドキドキとした高揚感を忘れることはないでしょう。」と語っている。

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自分の目を疑った!

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Picture of Charles I
CCulture Club/Getty Images
CCulture Club/Getty Images
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ダケットはついに王冠が展示されている部屋にたどり着くと、2つの像がまったく一致していることを確認した。「部屋に足を踏み入れると、私が持つ像とまったく同じ像がこちらを見ていたのです。」それでは、なぜ王冠の一部がマーケットハーバラで見つかったのだろうか。

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チャールズ1世について書かれた伝記によると、イングランド内戦前に、王冠はバラバラされていたのだという。さらに、ある絵画の中では、すでに王冠の一部がなくなった様子が描かれていた。

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チャールズ1世が持っていたものかも

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Ann Ronan Pictures/Print Collector/Getty Images
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チャールズ1世は何らかの理由で、ヘンリー6世の像を持ち続けていたのかもしれないと推測されている。1645年、ネイズビーの戦いで大敗を喫した後、オリバー・クロムウェルの議会軍から逃げるとき、マーケットハーバラそばの道を通ったのだろう。

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マーケットハーバラにあった理由として考えられるのは、チャールズ1世が急いで移動しているうちに落としてしまったのか、もしくは議会派が同地区を移動中の従者らを捕らえたときに取られたのかもしれない。

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ダケット、王冠の失われた一部だと確信する

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Henry 8th crown jewel/Facebook
Henry 8th crown jewel/Facebook
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大英博物館側は未だにダケットが発見した像が、実際にヘンリー8世が着用した王冠の一部であることを認めていないものの、ダケットはそうだと確信している。専門家らは、遺物がまさにヘンリーの悪名高い治世が始まろうとする中世後期にまでさかのぼることができると主張している。

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さらに専門家らは、ダケットが発見した像は、プロでもないトレジャーハンターが金属探知機を使ってこれまでに見つけたお宝の中でも最も素晴らしいものの1つだとしている。しかしながら、まずは骨董品評価委員会の評価にかけなければならない。

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本物であれば、その価値は数億に

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Henry 8ths crown jewel/Facebook
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もし、このお宝が本物だと判明した場合、大英博物館はこれを購入する権利を持っている。スミソニアン・マガジンによると、本物であればその価値はおよそ3億円ほどの価値があるという。

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さらに、このお宝がこうした額で売られた場合には、お金はダケットとダケットが発見した土地の所有者で分けられる。しかしながら、ダケットには何か別の考えがあるようだった。

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ダケット、この像をみんなに見てほしいと思う

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お宝を見つけたならば、それを売って大金を手にする人が大半だろう。しかし、ダケットもしこのお宝が本物であれば、それを売ることが正しいことには思えなかった。「今や、世界中の人々が鑑賞し、調査をすることができるこの像を発見したことを誇りに思っています」と語っている。

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ヒストリック・ロイヤル・パレスの主任学芸員のルーシー・ワーズリーは、「何世紀もの間眠っていた黄金像がこうして見つかるなんて、本当にすごいニュースです。本当の歴史はどんな様子だったのかと想像したくなります。」と語っている。