海底に沈んだ思わず背筋がぞっとするような光景とは
暗い海の底と聞くと、たとえ海洋恐怖症じゃなくとも少しぞくっとしてしまうのではないだろうか。スキューバダイビングが好きな人だって、多くの場合は色鮮やかな魚や珊瑚などを目当てに海に潜ることだろう。しかし、場所によっては思わず目を疑うような光景が目の前に広がることさえある。これからご紹介するのは、そんな不気味な光景の数々。さぁ、あなたは、思わず背筋が凍りそうになる海の世界を目にする覚悟はできただろうか?
おびただしい無数の人物像
メキシコの海の底で見つかったのは、無数の人物像。人々は、様々な表情を浮かべ、立ちすくんでいる。手前の銅像は、どこかに向かって祈りを捧げているのか、それともあくびをしているのか、悩ましい表情だが、見れば見るほど奇妙である。
このおびただしい数の銅像に、なんとも言えない恐怖を覚えることだろう。この銅像たちを、もし暗い海の中、一人で見つけたと考えたら・・。想像しただけでも私には出来そうもない。
珊瑚にまみれる寝そべった人の像
珊瑚に紛れて見にくいかもしれないが、ここにもまた一体の人物像が横たわっている。頭の周りには、藻がびっしりと生えている。この銅像たちは、どうやら海の生き物たちの住処になっているようだ。
この薄暗い海の中に横たわる人物像は、どことなく薄気味悪いが、魚や珊瑚たちはそう思っていないのかもしれない。もう少し他の場所も探ってみよう。この異常な海の空間の謎が解けるかもしれない。
子供から大人まで女性の像
どうやらここには、かなり年数が経った銅像たちが並んでいる。藻や珊瑚でびっしりと囲まれた様子からそれはわかるだろう。また、この銅像達は、女性のように見える。背の小さな銅像から、腰の曲がった銅像などから、年代はさまざまなようだ。
真ん中の女性は、なにか考え込んでいるようにも見える。ここがどこだか思い出そうとしているのだろうか?全ての銅像は、外側に向かって立っている。これには果たして意味があるのだろうか。
考え込む子供
考え込んでいる子供の銅像とは裏腹に、魚たちは近くを気持ちよさそうに泳いでいる。そして、ちらりと見える後ろの海の様子は、さっきまでの写真ではわからなかったが青々と澄み切っているようだ。
どうやらここは、メキシコの海がきれいな場所らしい。もしかしたら、あなたもここに一度は来たことあるかもしれない。しかし、メキシコのその場所になぜこんなにも色々な種類の銅像が並べられているのだろうか。気味が悪くて仕方ない。。
ブランコに乗る男性
真っ青な海の中で優雅にブランコに乗る姿は、少しシュールだ。しかし、曇りのないこの澄み切った海の中でブランコを独り占め出来たら、もしかしたら極上の気分なのかもしれない。ブランコを海の中に設置するという発想は誰がしたのだろうか。
今までの写真を振り返ってみても、やはり銅像には、藻がびっしりと生えている。やはり、どこかの芸術家が気に入らない作品達をこのメキシコの海に、不法投棄したのだろうか。やはり、この海には何かが隠されているに違いない。
海底に浮かび上がる人の輪
この写真のような光景が目の前に浮かび上がってきたら、どんなに度胸のある人でも縮みあがってしまうかもしれない。それくらい気味が悪く、でもどこか神聖な空間が保たれているように見える。
なんとここは、常夏のリゾート地でお馴染みのメキシコのカンクンのようだ。このカンクンの海のある一帯には、多くの銅像が無造作に置かれている。しかし、これは決して不法投棄や、ランダムに置かれたものではない。この銅像達には、重要な意味があるのだ。
無残に放置された人の像
いくら理由があるからといって、こんな風に無残に置かれていたら、本当の人間の姿と疑わずにはいられない。もし、私だったら気が動転して通報してしまうかもしれない。しかし、よくこの写真を見て欲しい。
銅像の上側には、うっすらと、しかし多くの魚たちが泳いでいるのだ。そう、この銅像の周りに付いた藻を食べているみたい。勘のいいひとは、もうこの銅像達がなんのために置かれているのか察したかもしれない。
バーカウンターの前で悩む男性
この男性は、どうやら、飲み物などの瓶が詰まった棚の前で、どれにしようか迷っているように思える。今日は、何を飲もうか注文に迷っているようだ。
この写真では、今まではっきりと見ることの出来なかった銅像の服の様子がはっきりと伺える。どうやら、この銅像は現代と同じような服を着ているようだ。ということは、現代の何かがテーマになっているのか?
車の上でうずくまる人
この写真には、私たちと同じように興味津々に近寄って行こうとするダイバーの姿が写っている。確かに、この銅像が大きな車であることは間違いなく認識できるが、そのボンネットに乗っているのは、誰なのか、これも銅像なのか、一応きちんと確かめておく必要があるだろう。
しがみつく様に座っているその人物は、子供だろうか?必死にこの時間をやり過ごそうと、うつむいたまま耐えているように見えなくもない。そして、この車や人物像に付いていたのは藻だけではないようだ。小さな穴がぽこぽこと空いているその様子は、どこかで見たことがある。
井戸に縛られた子供と親の像
そう、この石像にびっしりと付いているのは、珊瑚だ。長い間沈められたこの石像達には、藻と珊瑚がびっしりと付いているのだ。どうやら、このカンクンの海の謎は、珊瑚に関係しているらしい。
人の像と珊瑚とメキシコのカンクン。一体何が関わっているというのだろうか。この石像エリア一帯は、かなり広い。ダイバーも奥が気になって仕方のない様子だ。さぁ、我々も後に続いてみよう。
この彫刻の目的は
年間約750,000人もの観光客が、毎年訪れるカンクンでは、ほとんどの観光客がその海を目当てにやってくる。しかし、観光客が増える一方でメキシコの海では珊瑚の破壊が深刻的な問題となっているのだ。
そこで思いついたのが、この石像への取り組みだ。メインのビーチとは異なる場所にこれらの不気味な石像達を設置することで、観光客を引き寄せ、野生の珊瑚に休息を与えようとしたのだ。この石像の取り組みには、まだ目的がある。
作品と環境保護
この石像達は、単に置かれているわけではない。これらの石像が置かれたのは、今から約10年ほど前、2010年のこと。当初は、480以上もの彫像が沈められた。これらの像は海の生物が発育しやすいような素材で作られており、珊瑚の繁殖も促進する。
そう、月日が経つとともに海の環境を守るだけではなく、作品としても海の生き物の新しい住処としても成り立つように綿密に工夫されているのだ。では、一体だれがどのような思い出作ったのだろうか。
この作品の作者とは
実は、これらの作品はすべてイギリスの彫刻家のジェイソン・デカイレス・テイラーさんによって、作られた。彼は、2006年ころから海底アートを世に発信し続けている。長い年月をかけて作られ、年々増えていっていることから、古いものほど、完全に珊瑚に覆われているのだ。
これらの彫刻は、ダイビング中のダイバーやスノーケルをする人々が気軽に楽しめるように、浅瀬の海底に設置されている。また、底がガラス張りの船などでも簡単に見られるように、サンゴが生育するための人口岩礁となっているのだ。
何かに祈りを捧げる男性
そう、これらの作品はただ置かれているのではない。カンクンでは、海底美術館として立派な作品となっているのだ。スケールの大きさは、屋内の美術館とは比べ物にならない。何せ、海の底一帯が作品の会場なのだから。
珊瑚礁を守るために始められたこの取り組みだが、人や海、そして魚と珊瑚がアートとして共存するこの空間は今までに見たことのない神秘的な美術館で、不気味さとぞくっとするような感覚が訪れる人を虜にする。
何かに懺悔する彫刻
地上では、なんの変哲もないこの彫刻達が、海の底に沈むと一気に神秘的になるのがおもしろい。この青白い光と珊瑚、魚たちが絶妙な空気感を醸し出しているのだ。しかし、この銅像は、なぜ懺悔するような恰好をしているのだろうか。
実際、これらの作品にはかなり謎が多い。海の底に銅像がおいてあるだけなので、もちろん説明書きなども一切ない。だからこそ自分で想像し、意味を考えて楽しむことの出来る美術館にもなるのだろう。
テレビ前でくつろぐ男性
おそらくこの彫刻は、新しいものだろう。というのも、他の彫刻に比べて珊瑚や藻の数が少なく、あまり不気味さも感じない。しかし、逆に今までの写真を見て来ただけにどことなく違和感を覚える。
それは、この彫刻があまりにも日常を表し過ぎているからだ。今までの作品は、どことなく私達には理解しにくい部分があった。しかし、この作品は、私たちの日常の一部でしかない。ただ、この違和感こそが、作品に対する狙いなのかもしれない。
モデルは地元の人々
これらの人物像は、地元の人々をモデルに造られたという。熱烈なダイビングファンだったデカイレス・テイラーは、イギリスからカンクン近郊にわざわざ住居を移し、地元住民5人とチームを組んで、このプログラムを進めていった。
そして、街中でモデルを探して声をかけては、その人々を作品にしていったという。地元の人々は、自分の顔が彫刻になり、海の中に住んでいるなんて少し複雑な気分だったに違いない。
人の上に人、人、人
これらの彫刻には、環境に優しい素材を用いており、その素材がサンゴが生殖することによって、色がいくつも変化していくが面白い。つまり同じ素材を使ったからといって、同じような色や珊瑚の付き方がするとは限らないのだ。
とあるインタビューによると、「中性(pHニュートラル)のコンクリートと不活性のファイバーグラスで作品を制作し、ダメージを受けたサンゴ礁からサンゴの破片を移植している。」と答えている。
暗い海の中を歩く人々の像
どこかの方向を目指して歩く彼らの姿は、かなり薄気味が悪い。特にフードをかぶって歩いている男性は、今にもこちらに近寄ってきそうだ。奥には、小さな男の子も立っている。皆が目指す方向には、何が待っているのだろうか。
海中に置かれる彫像は、常に混雑している国立海洋公園のサンゴ礁の代替地としての役割も果たしている。海中で行われる沈没船の探検、エンゼルフィッシュの鑑賞、ウナギの餌付けなど、どんな活動も、珊瑚礁には大きな負担なのだ。
船の上で談笑する人々
珊瑚礁は、海の複雑な環境システムにおいて、生命の土台となっているとても重要な生き物なのだ。つまりは、珊瑚礁なくては、カンクンでの素敵な海の時間もあり得ないのである。だからこそ、珊瑚礁へかかるストレスを減らし、いかに守ることができるのかが重要になってくる。
また、これらの美術館がどう保たれるのかも、自然の摂理に委ねられているのである。人間たちは、自然になじむ彫刻を用意しただけで、その作品をどうアートに化けさせるかは、自然の生き物たちに任されているのだ。
シーソーで遊ぶ男性たち
この彫刻は、おそらく大の大人がシーソーで楽しく遊んでいる姿が印象に残り、作品になったのだろう。おそらく、普段の日常でこの光景を見ても、きっと多くの人がなんとも思わないとは思うが、これが海の中にあるからこそまた違った味が出てくる。
どことなく彼らは時の流れを知らずに、公園で遊んだまま歳をとってしまった大人たちのように見える。遊具と大人という対比が、この海の中では、私たちに何かを訴えかけている気がしてならない。
彫刻の形の意味
この彫刻は、地元の人々がモデルになっているといいながら、どことなく薄気味悪いSFの世界のような雰囲気も醸し出している。また、それぞれの顔の特徴や体つきもどことなく何か意味がある気がしてならない。
そう、この彫刻は、魚の住処になるようにも考えられているため、手の長さ、服の大きさ、銅像のくぼみなど、全てが魚の様々な種類に対応できるように設計されているのだ。つまりは、何気ない彼らの格好も、生物ありきの設計なのだ。
神秘的な空間にたたずむ男性たち
この写真は、実に神秘的な習慣を捉えた写真である。というのも、下から舞い上がる砂の煙が、よりおとぎの国や神話にでてきそうな空気を漂わせている。更には、腕を組んで考える男性たちの力強さもより強調されているように見える。
400体にも及ぶこれらの銅像は、何も一か所に固められているわけではない。他の作品を邪魔しないように、所々に配置されているのだ。この美術館に訪れたダイバーの人たちは、常に背筋が凍る緊張感と宝探しのような感覚が融合していると答えている。
この美術館のタイトルは
そういえばこの美術館のタイトルは、ジェイソン・デカイレス・テイラー氏によって、付けられたのだろうか。芸術家の中には、タイトルを付けたがらない人も多い。しかし、この美術館は、彼自身が「海底における史上最大の現代彫刻美術館」と自画自賛する。
そして、タイトルは「音のない進化(The Silent Evolution)」と名付けられたのだ。カンクン国立海洋公園は、天然の珊瑚礁を人間の手からどうにか保護する方法として、ジェイソン・デカイレス・テイラー氏に頼んだのだが、このタイトルにはかなり大満足だったようだ。
後ろ姿が寂しそう
この写真は、あえて後ろから撮影されている。横には薄っすらとクラゲも写っている。一瞬なんてことない日常風景に思えるが、どことなくこの彫刻の後ろ姿は、寂しさが感じられる。
どこかのバーで一人過ごす地元の人々を映し出した姿なのだろうか?この作品の基のモデルは、はっきりとはしていないが、毎日の日常の中で何かしら感じることがあったからこそ、この海底の美術館で作品にされたのだろう。
人々の反応
当初は、ただ珊瑚礁を守る取り組みとして始まったこの企画だが、公園側も、単に人工魚礁を設置するよりも、「海中美術館」として、この海一体を作品にするというアイデアはとても魅力的だと答えている。
恐い物見たさなのか、この不思議で奇妙な空間を一度は目にしたいと、各国から訪れる人々も年々増えているようだ。また、彫刻と同時に魚も一緒に鑑賞できるので、ダイバーには持ってこいである。
色のついた彫刻
当初は、色の付いた彫刻の設置も考えられたらしいが、自然を邪魔しない塗料の使用がなかなか難しく、また自然と一緒にこの作品を完成させたいという思いからあえて彫刻は、白一択になった。
しかし、その選択こそが正解だったといえるだろう。というのも、真っ青な海にこの白い彫刻がくっきりと映え、より奇妙さを際立たせているからだ。また、珊瑚礁によって、色が変化するのも、まさに自然と一体化させた状態で作品が創り上げられているといえる。
恐ろしいけど見たくなる人間の本質
作者であるジェイソン・デュケー・テイラーさんは、環境問題に非常に敏感なようだった。だからこそ、自分の好きな彫刻とダイビングを掛け合わせて何かできないかと模索していたようだった。
そして、その思いを基に全ての作品には、人間と自然の共存、海洋と人間の共存をテーマにつくられている。だからこそ、人間の怖い物見たさの深層心理に訴えかけてくるものがあるのだろう。
本物そっくり
ジェイソン・デカイレス・テイラー氏の作品は、奇妙な彫刻像だけではなく、かなり細かいところにもこだわって作られているのが特徴だ。この電話機も今ではなかなか見かけることはないが、ダイヤルを回すところなどもとても丁寧に作られている。
また、人物像にいたっても、しわや目のくぼみなど本当の人間そっくりなところも驚きである。このようにいかに本物にそっくりな彫刻をつくり上げることで、海の底に沈んだ時によりリアルな世界感が出来上がるのだろう。
びんの中は魚の住処
これは銅像の棚の中に実際に収納されている瓶である。これもただ置かれているのではなく、狭く暗いところが好きな魚たちが、好きな瓶を選んで住むことが出来るように工夫されているものだ。
こういった小さな工夫が海の生き物たちに快適な場所を与え、またその空間を一緒に人間たちも楽しむことが出来る。あなたも機会があればぜひこのカンクンの海底美術館に足を運んで見ていただきたい。