アパラチア・トレイルで行方不明になった女性、2年後に判明したこととは

メイン州のアパラチア山脈のハイキングコース沿いで、森林作業員は、作業中に思いがけないものに出くわしました。木々の間にボロボロになったテントを見つけたのです。そこは、ちょうど2年前に行方不明になったハイカーのキャンプ跡でした。

壊れたテントの中で行方不明になったハイカーの日記を見つけ、彼女の最期がどのようなものだったのかを知ることができました。さて、彼女に何が起こったのでしょうか。

ジェリー、アパラチア山脈のハイキングコースに挑む

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Maine Department of Inland Fisheries & Wildlife/Facebook
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ジェラルディン・ラーゲイ(ジェリー)がアメリカで最も有名なハイキングコースの1つ、アパラチア・トレイルに挑戦しようと決めたのは、66歳の時でした。

ジョージア州のスプリンガー山からメイン州のカタディン山に延びるこのハイキングコースは長さおよそ3,500キロメートルにも及び、気の弱い人には不向きなコースです。

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アウトドアが大好き

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Gerry Largay/Facebook
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アウトドアが好きだったジェリーは、ジョージア州アトランタのコミュニティに深く関わっていました。地元の自然保護団体にも参加していました。このグループは、キルト作りやジョージア州の数多くのハイキングコースでハイキングをするなど、市だけでなく、州全体で多くの活動をしていました。

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そんなジェリーがアパラチア・トレイルに挑戦しようとするのは時間の問題だったと言えるでしょう。

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家族も一緒にアウトドアを楽しんでいた

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ariyawu/Facebook
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ジェリーがハイキングに他の人たちを連れて行くのも珍しいことではありませんでした。夫のジョージや娘のケリーが孫たちと一緒に参加することもありました。家族も、みんなで一緒にハイキングに行くのを楽しんでいました。

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ところが、そのうち、ジェリーの目標は家族がついていけない場所になりました。時間だけでなく、たくさんの労力を必要とするからです。そう、アパラチア・トレイルでした。

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ジェリー、旅の計画を立て始める

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Exploring Great Smoky Mountains National Park
George Rose/Getty Images
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ジェリーは決意していました。アパラチア・トレイルを達成するため、歩くコースを計画していました。夫のジョージはこのハイキングについて行くつもりはありませんでしたが、とても協力的でした。

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2人はアトランタの家を売却し、テネシー州ブレントウッドにいる娘の家に引っ越しました。そこで、ジェリーは旅の計画を立て始めたのです。

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腰を痛めていた

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Horns Pond offers views, snooze
Ben McCanna/Portland Portland Press Herald via Getty Images
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アパラチア・トレイルは、長く困難な旅になると予想されました。そして、ジェリーには何とかしなければならない問題が1つありました。というのも数年前、ジェリーは腰を痛めており、それ以来、大きくて重いリュックを背負うのが難しくなっていたのです。

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幸い、夫のジョージにいい考えがありました。

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ジョージがチェックポイントまで荷物を運んでくれることに

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ジョージは、ジェリーが旅に必要なものすべてをリュックに入れて持ち運ぶのではなく、彼が定期的にあらかじめ決めておいたチェックポイントまで荷物を運ぶから、と話しました。これは完璧な解決策だったのです!

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こうして、ジェリーはアパラチア・トレイルに挑む前に、他のハイキングコースを歩いて備えました。

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2013年4月23日、ハイキングを開始

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Shirley Gamble of St. Petersburg, Florida and Arlene Petty of Ava, Missouri hike on the Appalachian ...
Derek Davis/Portland Press Herald via Getty Images
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ジェリーと友人のジェーン・リーは、2013年4月23日に旅を始めました。2人はウェストバージニア州のハーパーズフェリーから、カタディン山の町まで北へ向かって行こうとしていたはずだと言われています。

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計画によると、そこから出発地点まで車で戻ってから、トレイルの南半分を通ってスプリンガー山まで行くことになっていました。

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すべてが順調

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A long established hiking trail follows along Nesowadnehunk Stream as it courses through Baxter Stat
John Ewing/Portland Press Herald via Getty Images
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2人はとても楽しんでいました。小雨が降っても気を落とすこともなかったようでした。ジェリーの日記の初めの記録からは、彼女がさまざまな植物を見たり、他のハイカーたちに会ったりして、楽しく過ごしていたことは明らかでした。

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ジェリーは自分たちが歩いているトレイルに「インチワーム(シャクトリムシ)」という名前までつけていました。

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ジェーン・リー、緊急事態で家に戻ることに

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7/20/2007 Appalachian Trail Story A segment of the trail on the Appalachian trail, Friday afternoon. Photo by Ben Hasty
Ben Hasty/MediaNews Group/Reading Eagle via Getty Images
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残念ながら、ジェリーの運は低下します。旅を始めて2カ月後の6月下旬、ジェーン・リーは身内の不幸の知らせを受けたのです。ジェーン・リーはやむなくジェリーを1人残して家に帰らざるを得ませんでした。

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ジェリーはジェーン・リーがいなくなった後も、1人で進み続けました。

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ジェリー、1人でも旅を続ける

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Ben Hasty/MediaNews Group/Reading Eagle via Getty Images
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ジェリーは1人でしたが、それを最大限に利用してハイキングコースから離れた場所に間に合わせのテントを立てて休みました。さらに、チェックポイントでジョージがジェリーのために荷物を持ってきたのを確認しました。ジョージはジェリーをキャンプ場やモーテルに連れて行って、ゆっくり休ませたりもしました。

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全体的には、すべてうまくいっているように思われたのです。

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これから先、起伏の多いコース

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Following the Appalachian Trail
Carol M. Highsmith/Buyenlarge/Getty Images
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7月の終わりまでに、ジェリーはアパラチア・トレイルのうち、およそ1,500キロメートルを達成していました。そこからカタディン山までおよそ320キロメートルほどでした。北側のトレイル達成まで、もう少しのところに来ていたのです。

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ジョージが残り数百キロメートル分の物資を運んでくれているチェックポイントまで、ジェリーはおよそ35キロメートルにも及ぶ起伏の多いコースを歩かなければなりませんでした。

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ジョージと落ち合う地点までおよそ35キロメートル

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BlueBloodedHiker/Imgur
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ジョージと落ち合う地点まで、およそ35キロメートル。ジェリーはそこにたどり着くまで少なくとも2日はかかると予想していました。そこで、険しい道のりの道中に寝る場所が確保できなかった場合に備えて、ジェリーはテントを持って行くことにしました。

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結局のところ、7月21日の夜、ポプラリッジに簡易ベッドを設置することになりました。

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7月22日、事態は悪化することに

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Garrett Parker/Unsplash
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そこで少し休んだ後、前の晩に会ったハイカー仲間に別れを告げ、ジェリーはこれから自身に何が起ころうとしているのか予想だにせず、再びトレイルに戻って歩き始めました。

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7月22日、ジェリーにとって、事態は悪くなり始めたのです。

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ジェリー、道に迷う

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Marc Rafanell Lopez/Unsplash
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7月22日、ジェリーが小用を足すためにトレイルから少し外れて、林の中に入っていきました。しかし、ジェリーが選んだ場所は古い伐採跡地で、木々が生い茂っていて、周りの景色はすべてが同じように見えるところだったのです。

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自分が迷子になったことに気づくまで、そう時間はかかりませんでした。

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ジョージにメールを送ろうとした

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Frankie Spontelli/Unsplash
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言うまでもなく、ジェリーは自分がどこにいるのか見当もつかない中、必死に平静を保とうとしていました。ジョージに、アパラチア山岳クラブに連絡するようにとメッセージを送ったのです。

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メールには「困ったことになったわ。道を外れてしまって...迷っているの。AMCに電話して、トレイルのメンテ作業員に助けてもらえるか聞いてみてくれる?森の道の北の方にいるはずなんだけど。」とありました。

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SOSのメッセージ、送信されず

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Dmitri Vaccinium/Unsplash
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残念ながら、ジェリーは森の奥深くに入っていたため、携帯電話の電波が届かないところにおり、S.O.S.のメッセージを送信できませんでした。ジェリーは1人きりでした。メールがが送信されていないことに気付いたジェリーは、携帯電話の電波が届くのではないかと思い、高台を探しました。

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悲しいことに、何も見つけられなかったのです。

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ジェリー、2度目のメールを送ろうとするも

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Maddy Baker/Unsplash
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高台を探してみたものの見つけられなかったジェリーは、近くにテントを設置して一晩明かすことにしました。翌日目が覚めたジェリーは、再びジョージにメッセージを送ろうとします。今度は彼に地元の警察に連絡するように頼みました。

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そして今回も、メールは送信されなかったのです。

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ジョージ、チェックポイントにて妻を待つ

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Tennessean/YouTube
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一方、ジョージは指定されたチェックポイントで妻を待っていました。ジェリーが約束した時間になっても姿を現さなかったけれども、前の晩は天気が悪かったから遅れているのかもしれないと、ジョージはあまり心配していませんでした。

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ジョージはふと、もしかしたらジェリーは携帯電話の電波を探そうとして森の中で迷子になったのではなかろうかと考えました。

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メイン州森林警備隊とボランティアによる捜索の開始

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Ashim D Silva/Unsplash
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2日目の朝になると、ジョージは何か起こったに違いないと思いました。そこで警察当局に通報し、ほどなくして、メイン州森林警備隊が大規模な捜索救助チームを立ち上げることとなります。複数のボランティアの協力を得て、トレイル沿いの地域まで捜索したのです。

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皆がジェリーが無事に戻ってきてほしいと願っていました。

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捜索隊、誤った情報に振り回される

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Ben Hasty/MediaNews Group/Reading Eagle via Getty Images
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捜索隊はポプラリッジの北のトレイルから捜索を始めました。ジェリーのハイキングコース上にあり、ジョージと落ち合う前にジェリーが最後にいたはずの場所でした。

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不幸にも、誤った情報が入りったため、捜索隊は少し混乱してしまいました。というのも、スポールディングでジェリーを見たというハイカーがいる一方で、トレイルのもっと先の方で見たというハイカーも現れたからです。

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食料がなくなっていく…

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Augie Buchheit, Shenandoah Park Ridge Runner along the trails in Shenandoah National Park
Benjamin C. Tankersley For The Washington Post via Getty Images
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捜索隊はポプラリッジ周辺の地域に照準を合わせ、何とか手がかりを見つけようとしていました。懸命なジェリーの捜索活動が行われていた一方で、ジェリーは何とか生き延びようとしていました。

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ジェリーが持っていた食料はすぐに無くなっていきました。しかし、捜索隊の航空機などから見える場所にテントを張るなど、自分にできる限りのことをしていました。

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開けた場所にテントを張るも…

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Scott Goodwill/Unsplash
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樹木が生い茂っていない場所を見つけると、ジェリーはテントを張り、人目を引くために切り取った緊急用毛布の一部を木に結びつけました。悲しいことに捜索活動の日々が長引き、誰も彼女を見つけることができなかったのです。

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最悪だったのは、ジェリーは頭上で救援機やヘリコプターの音を聞いていたということでした。近くを通ったにもかかわらず、誰もジェリーを見つけられなかったのです。

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ジェリー、再びジョージにメールを送ろうとする

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Bruce Bisping/Star Tribune via Getty Images
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ジェリーは捜査隊が見つけてくれるまでの間、時間をつぶすものを見つけていました。持っていた小説を読んだり、デンタルフロスで複雑な模様を縫ったりしました。日記を書くことも、時間をつぶすのに役立ったようでした。

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道に迷ってから15日が過ぎた8月6日、ジェリーは再びジョージにメールを送ろうとしました。

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7月30日、捜索活動を中止

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Triston Dunn/Unsplash
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捜索隊はトレイルから非常に離れたところまで、ジェリーがさまよっていたかもしれないと考え、約60平方キロメートルのエリアを捜索しました。残念ながら、誰も何の手がかりを見つけることもできなかったのです。

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7月30日、行方不明となった女性の痕跡がまったく見当たらないため、地元当局は捜索活動を中止せざるを得なくなりました。

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2年後、寝袋に入った遺体を発見

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Animal Planet/YouTube
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ジェリーと、ジェリーのテントは発見されるまでに2年かかりました。2015年10月14日、このエリアで作業をしていた森林作業員が、寝袋に包まれた遺体のように見えるものを偶然発見したのです。

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作業員はすぐに地元の警察当局に連絡しましたが、実際に何を見つけたのか、よくわかっていませんでした。

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当初の捜索隊に加わっていた警察官、現場に入る

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NEWSCENTER 26/YouTube
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アメリカのリアリティ番組「ノース・ウッズ・ロー」を撮影していた警察官のケビン・アダムとテレビ局のクルーは、作業員が遺体を発見した現場までわざわざ足を運びました。アダムは、それが数年前に捜索していたジェリーの遺体だったとは信じられませんでした。

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しかし、現場に近づくにつれて、すべてが明らかになったのです。

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ジェリーの遺体と特定される

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Animal Planet/YouTube
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ジェリーの名前などが書かれたIDバッジが遺体のすぐ隣にあったバッグの中から見つかったため、その遺体はジェリーだとすぐに特定されました。ウォーデン・クリス・マッケーブをはじめ、当初の捜索隊に加わっていた人にとっては、とても辛い瞬間でした。

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「アニマルプラネット」のインタビューで、マッケーブは「ジェリーを探して家に連れて帰ってあげたかったです。ご家族の方には…ご冥福をお祈りするしかできません。」と語っています。

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ジェリーの日記が見つかる

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Animal Planet/YouTube
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また、ジェリーが森で1人で過ごした最後の日々を記した日記も見つかりました。その内容から、ジェリーはもう生きて帰ることはできないと悟っていたかのようでした。

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日記の中にはこんな一文もありました。「私の遺体を見つけたら、夫のジョージと娘のケリーに知らせてください。たとえそれが今から何年後だとしても、私が死んだこと、そして私をどこで見つけてくれたかを知らせることこそ、2人にとって、最大の親切となりますから。」

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ジェリー、最期まで家族を思う

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Animal Planet/YouTube
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最後の日記が書かれたのは8月18日で、行方不明になってから丸27日が経っていました。悲しいことに、ジェリーはトレイルからさほど遠くなく、レイルロード・トレイルからはわずか700メートルしか離れていなかったのです。

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ジェリーは最期の望みを日記に記していました。「どうか、このバッグの中身をその中の1人に郵送してください。」ジェリーの家族が知らせを受けたときに言ったように、ジェリーは亡くなる最期まで、人のことを考えていたのです。

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ジェリーは好きなように生きた

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ST-Trail Photos by Michael Williamson NEG#201954 6/25/08: WE
Michael Williamson/The The Washington Post via Getty Images
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ジェリーの家族はやっと捜索が終わったことに安堵していました。文書の中で、家族は「ジェリーは自分が思うように生きられたと思います。」と述べ、ジェリーの思いやりについても触れています。

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「森林警備隊の報告書にもあるように、ジェリーはいつも、そして最期まで、人のことを思いやっていました。」