娘のために購入した車から謎の手紙を発見。その手紙を読んだ父親が車の購入を後悔した理由とは
ケヴィン・デュークには自慢の娘がいた。娘が16歳になって初めて運転免許を取ったため、デュークはそのお祝いとして、初めての車を買ってやろうと考えた。事故や不具合を起こさないよう、車の点検も怠らなかった。すべては娘の安全のために。最後に、車をきれいに清掃していたときにあるものを発見したデュークは、その場で釘付けとなる。娘のために購入した車は、その辺にありふれた普通の車ではなかったのだ…。
16歳の子どもへの典型的なプレゼント
16歳になれば、運転免許を取得できる。16歳の誕生日に親に車を買ってもらえるラッキーな子も多い。ジャダ・デュークもそんなラッキーな子の1人だった。
父親のケヴィンはジャダの誕生日の数週間前に中古車を購入し、誕生日までに車の点検をし、ちゃんと車が走るようにメンテナンスをしていた。そして、この時、予想外の出来事に直面する。
初めての車としてピッタリ
2015年1月、ケヴィンは娘のジャダが3月の誕生日に16歳になるため、中古車を探し始めた。建設会社に勤めるケヴィンが客にその話をしたとき、ちょうど良い車があると聞いた。
「お客さんから、娘が初めて乗る車にピッタリなのがあるって聞かされていたんです。」と、ケヴィンはCNHIニュースで語っている。フォードのフュージョンというシルバーの中古車だった。
ちょっとメンテナンスが必要だった
試乗した後の感想としては「ブレーキを踏むときに少し音がするくらいで、後は状態の良い車」というものだった。数日後、この車を購入すると、娘が安全に乗れるように車の点検をすることにした。
車を隅々まで点検し、それを5回以上繰り返したものの、それでも何かを見落としているような気がするのだった。
見落としていたもの
ケヴィン・デュークは助手席の前にある小物入れを開けてみた。これで6度めだった。当時を回想して「この時、下にあるカバーが取り外せることに気がついたんです。もしかしたら汚くなっていて、掃除する必要があるかもしれないと思った私はカバーを取り外してみました。すると、封筒の端っこのようなものが見えたのです。」と語っている。
何だろうと思いながら、腰を下ろして封筒を開けてみた。「その場で読みながら、大声を出してしまいました」とケヴィンは言った。
車の新しい所有者へ宛てた手紙
封筒には「この車の新しい所有者へ」とあり、さらに「重要な情報が書かれています」とも書かれていた。ひょっとすると何かメンテナンスに関して詳細が記されているのかと思いながら手紙を読んだデュークは、その内容に驚愕した。
その封筒には、その車に関する過去が手書きでしたためられていた。その内容を読みながら、デュークは信じられない思いでいっぱいだった。
特別な思い出がたくさん詰まった車
「この車には特別な思い出がたくさん詰まっています。私は家だけでなく、すべてを失いました。手元に残ったのはこの車だけでした。」と手紙にはあった。たいてい中古車を購入する人が気にするのは、買ってからどのくらい長い間、その車が使えるのかということだけだ。
だが、デュークは手紙を読みながら、娘のために購入した車の前の所有者について知ってしまったのだ。
その車であちこちに出かけた
「私の家族はこの車が大好きでした。窓を全開にして、80年代の曲やカントリーミュージックをガンガンにかけ、2回ほど長距離ドライブに出かけたこともありました。後部座席で何度も数え切れないほどオムツを替えました。子どもが遊んでいた小さなおもちゃやクレヨンがまだ車のどこかにあるかもしれません。」と手紙には書かれていた。
手紙を読み進めたケヴィン・デュークは、この車が大好きだったという前の所有者がどうして車を手放したのか、その理由を知ることになる。
車にはちょっとしたへこみがあった
実際、その手紙を書いた人は、車のへこみについても説明していた。「左後ろのフェンダーにあるへこみと助手席側のドアにあるへこみは、娘が自転車の練習をしているときにぶつけてできたものです」
デュークは自分の娘に運転を教えたときのことを思い出すと、その娘が初めて乗る車にへこみがあることについて、あまり気にならなくなっていた。
車の名前はシルヴィア
その車にはシルヴィアという名前までつけられていた。「この車を母が買ったその日に、みんなで乗ったのですが、その時にラジオでちょうどドクター・フックの『シルヴィアの母』が流れていたんです。その名前が頭に残っていたのですが、娘がこの車の名前はそれにしようと言いました。どうかシルヴィアという名前は変えないでください。」と書かれていた。
その手紙をさらに読み続け、デュークはシルヴィアについて、そして、見知らぬ家族がシルヴィアと共に作った思い出について知っていく。
所有者の命を奪った悲劇
「あなたが購入したこの車が、どんなに特別な車かということをお伝えしたいだけなのです。この車は私の母のものでした。母は、2015年2月25日、私の6歳の娘と叔母と共に家が火事になって亡くなりました。最後に母がこの車を運転したのは、私たちを残していった正にその日でした。」
この車がそんな悲劇と繋がっていたなんて。ケヴィンは打ちのめされた思いだった。そんなに大切な思い出がある車なのに、どうして売りに出されていたのだろう…。
手紙の差出人
その手紙を書いたのは、サブリナ・アーチーという名前の女性だった。家が炎に包まれ、母親だけでなく、娘や叔母の命まで奪われたとき、アーチーは職場にいた。人生で最も大切な人達を失った悲しみに加えて、この事故による後始末に追われることとなっていた。
突如としてホームレスになったアーチーだったが、それでも火災時に家におらず難を逃れたもう1人の娘を養っていかなければならなかった。
母と娘が残してくれた唯一の車だった
火災の後に残ったのは、母親の車と亡き娘が車の中に置いたままにしていたリュックサックだけだった。火災事故による悲劇にかかわらず、その形見となる車も差し押さえられることとなっていた。
「書類がごちゃごちゃになっていたせいで、車を保険で完済することができませんでした。家族だけでなく、家まで失ってしまったのに、私が何をしたわけでもないのに母や娘の思い出がたくさん詰まっている車まで失ってしまうことに苛立ちました。」とアーチーは手紙にしたためていた。
車が差し押さえられるのを止めることはできなかった
アーチーが住んでいた地域は家族の葬式代などを寄付してくれたりと、心優しいコミュニティではあったものの、それでもアーチーには経済的な負担が多く残されていた。車のローン会社でさえ、できる範囲でアーチーを助けようとしてくれたものの、結局、アーチーは車を手放さなければならなかったのだ。
車が引き取られる前に、もう一度アーチーは車の中をすべて見て回った。何も形見となるものが残っていないか、もう一度確かめるために。
手紙をしたためることに
最後に車の中を確認しているとき、亡き娘がかつて座っていた座席の前にあるダッシュボードに、子どもの足跡がわずかに残っていることに気づいた。そして、それに気づいた瞬間、思い出があふれて涙が止まらなくなったのだ。
アーチーは、亡き母の愛したフォードのフュージョンを新しく所有することになる人に宛てて手紙を書こうと決意した。夢にも思わなかったことだが、その新しい所有者はアーチーが住んでいるところからさほど離れてはいなかったのだ。
車を手放すことについて、嫌な気持ちでいたわけではなかった
自分の意志に反して亡き母の車を手放さなければならなくなったものの、だからといって、新しい所有者に嫌な気持ちを抱くということはなかった。手紙にも、「腹を立てているわけではありません。この車があなたがこれまでに所有した車の中でも最高のものでありますようにと願っています。これから100年後にも動きますように。後ろの席に子ども達やおもちゃなどをいっぱい乗せてもらえますように。」と書いた。
手紙の最後に、願いごとを書いて結んだ。
新しい所有者に対するお願い
さらに「この車で私たちの人生は綴られていったんです。愛、喜び、冒険をこの車で経験してきました。今、あなたがこの車の所有者になったわけですが、どうか、この車がただの車ではないということを覚えておいてください。思い出なんです。クセのあるこの車だけが、私にとっては家族の一部なので、どうか、大事に扱ってください。」
アーチーにとって、思い出は常にこの車と共にあり、手放すのは大変つらいことだったのだ。だがまもなく、物事は一巡する。
アーチーは、新しい所有者にもその車を楽しんでほしいと願っていた
アーチーは胸が張り裂けるような気持ちで車を手放したが、新しい所有者が自分達のようにこの車を楽しんでくれることを心から願っていた。そして、手紙にこうも書いていた。「カントリーミュージックをガンガンにかけてみてください。娘が大好きだったのはビッグ・グリーン・トラクターですが、レーナード・スキナードのフリー・バードもお勧めです。この歌はすごく私たちにとっては思い出深い曲で、お葬式のときもこの曲をかけたほどです。」
これはすべて、新しい所有者にこの車がどれだけ大切な車だったのかを伝えたいという思いからだった。
車を取り戻したいと願っていた
アーチーは、新しい所有者がしばらくしてシルヴィアを手放してしまうかもしれないと考えていた。そのため、手紙の最後に「シルヴィアを売却したいと思ったとき、どうか私に声をかけていただけませんか?今は3人分のお葬式代を支払ったばかりで、とてもこの車を買い戻すことはできませんが、後々にあなたがシルヴィアを手放そうと考える頃には、財政的に今よりは少しはマシになっているのではないかと思うので…。」
その文章を読みながら、デュークは娘のために買った車の経緯を知って、引き裂かれるような心の痛みを覚えた。
デューク、手紙を読み終わった後、アーチーに連絡することに
アーチーはケンタッキー州グリーンアップ出身で、ケヴィン・デュークはそこからわずか15分ほど離れたフラットウッドに住んでいた。手紙を読み終えた後、デュークはアーチーを探し出して、母親の形見の車は大事に扱うから心配しなくても大丈夫だとを伝えたいという気持ちでいっぱいだった。
幸いにもアーチーはすぐに見つかった。手紙に気持ちを大きく揺さぶられたデュークは、自分のフェイスブック上で手紙をシェアしてもいいかとアーチーに許可を求めた。ここから、物事が好転し始める。
オンラインで手紙が拡散される
デュークがフェイスブック上で悲痛な思いが綴られた手紙をシェアすると、すぐに拡散されていった。特に『ラブ・ワット・マターズ(大事なことを大切にしよう)』というページでシェアされると、オーストラリアのように離れたところに住む人々からも19,000件もの反応を得た。
サブリナ・アーチーの境遇に同情し、デュークはその車をアーチーに返すべきだという人も多かった。その時、自らの手でこの問題を解決しようという人が現れた。SNSで単にストーリーをシェアするだけでは十分ではないと考えた人だった。
タミ・ワリントン、何とかしたいと思う
カンザス州からおよそ1,300キロメートル以上も離れたところに住むタミ・ワリントンはアーチーの手紙にすっかり心を動かされていた。ネットで拡散されていた手紙を読んだとき、アーチーがどんな想いで車を手放さなければならなかったかということに胸を打たれたという。「彼女の身になって考えただけでも胸が張り裂けそうでした。」とCJオンラインに語っている。
ワリントンは自身の父が亡くなったときのことを思い出していた。そして、最愛の父ばかりかもしその時に5歳の息子まで亡くなっていたらと思うと、やり切れなかった。アーチーの手元に車を取り戻してあげたいと強く考えた。
ワリントン、元々の投稿者に連絡する
ワリントンが初めて手紙を目にしたとき、元々誰が書いたのかなどについてまったく知らなかった。だが、シェアをした人はすぐに見つかった。ケヴィン・デュークだった。ワリントンはフォードのフュージョンを前の所有者に戻すために、何かできることはないかとデュークに連絡をした。
デュークがすでにアーチーに連絡を取っていたことを知って、ワリントンは驚いた。
ワリントン、車を買い戻すための資金を募る
ワリントンはデュークと相談し、デュークの娘に別の車を購入し、アーチーが金銭的な負担を負うことなく母親の形見であるフォードのフュージョンを取り戻すにはどのくらいの費用がかかるだろうか考えた。
結局、アーチーに車を返却するために支払うべき税金や、クレジットカードの手数料、デュークの娘が初めて運転するための車を購入する費用などを考慮して、必要となる資金額はおよそ125万円くらいになると見積もった。
資金調達に成功し、テレビに出演
必要な資金を調達するためにオンラインでの募金運動が始まった。最初のうちには、数万円ほどしか集められなかったものの、突如として35万円以上にもなった。ワリントンのメールボックスには次々とメッセージが集まっていた。どうやら、オーストラリアのテレビがこの募金について紹介してくれたようだった。
やがてTLCメディアから、番組『This is Life Live』でアーチーとデュークとの繋がりを特集したいと、ワリントンに連絡があった。ケヴィン・デュークは車のカギを自分の手でアーチーに返すという条件の下、テレビに出ることを了承した。
車は無事にアーチーのもとへ
デュークからすれば、娘のために買った中古車に大切な思い出があり、興味深いと思ってSNSでシェアしただけだった。「そうすることでお金を得ようと思ったわけではありません。もし別の中古車を娘に買ってやれる余裕が私たちにあれば、この車をアーチーにそのまま返してあげたことでしょう。」とCNHIニュースに語っている。
結局、シルヴィアはアーチーの手元に戻ってきた。母親がかつて運転していた車のハンドルを再び握ることができたアーチーは喜びで胸がいっぱいだった。そしてケヴィン・デュークも娘に別の車を買ってやることができた。なんとデュークの娘は、自分の車をシルヴィア2号と名付けている!
1万円で中古のドレッサーを購入した男性、その中からお宝を見つける
リサイクルショップやフリーマーケット、ヤード・セールが好きな人には共通点がある。それは、「ピッタリ」のものを見つける喜びを知っているということだ。それはまるで、だだっ広い場所でたった一粒のダイヤモンドを見つけるような喜びだ!エミール・ノーデルはテキサス州ミズーリ・シティでエステートセール(住宅を公開して遺品を売ったり、引越し前に家中の不要品を売ったりするセール)に行き、そんなお宝を見つけた男性だ。
すでに安く売られているために掘り出し物なのだが、ノーデルは購入したときにその中にお宝が隠されていたなんて、思いもしなかった。運命の日、安く家具を買えた上にお宝まで見つけたノーデルは大当たりをしたと言えるだろう。
エステートセール、知識のある人には金脈となることも
エステートセールは、一般的に、誰かが亡くなったときに遺品整理のために行われるものだ。たいていの場合、故人の所有物でその家族にとって不要なものが売却されるが、しばしば家族には故人が所有していた物の価値が分からず、ただただ早く売って処分してしまいたいと思っていることが多い。つまり、手間ひまさえ惜しまないのであれば、掘り出し物が見つかる可能性は高いのだ。
かつてマーケティング部長を務め、今や退職して悠々自適に暮らしている67歳のエミール・ノーデルがテキサス州ミズーリ・シティでエステートセールに向かったのも、正にそうした理由からだった。掘り出し物を見つけ出せるかもしれないと考えていた。
ノーデル、先入観を持たずにエステートセールに向かう
この日のエステートセールは、プレミア・エステーツ・セールス・ネットワークという会社によって運営されていた。同社には商品の価値を鑑定して価格設定をする専門のスタッフがいるため、ノーデルがこのセールで珍しいものや価値のある物を安く手に入れる確率は低かった。
しかし、ノーデルは自分の可能性を信じ、望みを捨てずにいた。「いつも先入観を持たないようにしてセールに来ています。だって(何が見つかるかなんて)分からないでしょう?」とインタビューで語っている。敷地に並べられたすべての商品を品定めしようとする努力は、今報われようとしていた。
ノーデル、好みのドレッサーに目をとめる
ノーデルは数多くの商品を1つ1つ丹念に調べていったが、ふと、あるドレッサーに目がとまった。特に華美な飾りがついているというわけでもなく、天板が大理石で、3つの引き出しがついている普通の木製のタンスだった。ただ、1890年頃のものと記載があり、本物のアンティークであることは間違いなかった。
このドレッサーには元々3万円の値がつけられていたものの、ノーデルがエステートセールに来たときには値下げされており、1万円以下になっていた。間違いなく、掘り出し物だった。しかし、ノーデルの幸運はドレッサーを安く買えただけではなかった。
ドレッサーは重く、男2人の力が必要だった
このセールはプロのエステートセール会社によって行われていたものの、関係者は誰もこのドレッサーの本当の価値に気がついていなかった。ノーデルは、プレミア・エステーツ・セールス・ネットワークのスタッフのジェフ・アレンに、ドレッサーをトラックに積み込むのを手伝ってほしいと頼んだ。
アレンは承諾し、2人で大きなドレッサーを待機しているトラックのところまで運び始めた。2人がこのアンティーク家具が何か普通ではないと気がついたのも、この時だった。
なぜか分からないが音がすることに気づく
エステートセールのスタッフであるジェフ・アレンは、この日のことをよく覚えていた。「ノーデルさんにドレッサーを積むのを手伝ってほしいと言われました。」とインタビューに答えている。何か奇妙なことが起こったのは、運び終えた後のことだったのだ。
アレンは語る。「ドレッサーを置くとすぐに中で何かガチャガチャと音がしたんです。もちろん、何事かと私たちは不思議に思いました。」誰でも不思議に思うに違いない。音がなる家具なんて、聞いたこともない。さて、なぜこのアンティーク家具は『ガチャガチャ』と音を立てていたのだろうか?
調査が始まる
好奇心旺盛な人なら誰でもそうしただろうが、アレンとノーデルも、古いドレッサーから聞こえる音が何なのか正体を突き止めることにした。
重い家具の中を詳しく調べるには、ひっくり返して置くより他はない。そして、こうすることによって、2人はなっていた音の正体を突き止めたのだが、それを見て2人はとても驚く。
ある秘密が明かされる
そのドレッサーは一見したところ、古いものだという以外には何も変わったところはなかった。しかし、この1万円ほどしかしなかったミステリアスな家具には隠された事実があったのだ。
「ドレッサーを前から見ると、3つの引き出しがついているように見えます。」とノーデルは説明する。「でも、下の部分はただ単なる木枠ではなく、引き出せるようになっていたんです。」なんてこった!秘密の引き出しには何が入っていたのだろうか?
どうして誰も秘密の引き出しに気がつかなかったのだろう?
ノーデルが買う前に、故人の家族はこのドレッサーを見ていたはずだし、さらにプレミア・エステーツ・セールス・ネットワークのプロ鑑定士らが鑑定していたはずだった。それだけの人の目に触れていながら、どうして誰も秘密の引き出しに気がつかなかったのだろうか?!
この秘密の引き出しを見つけたことは、氷山の一角でしかなかった。ノーデルとアレンは秘密の引き出しを開け、中に何が隠されているのかを知ることになる。
秘密の引き出しはうまく隠されていた
このドレッサーをデザインしたのが誰であれ、貴重品を安全に隠しておけるようにしたかったのだろう。それは、この秘密の引き出しが一見しただけでは分からなかったことからも明らかだ。ノーデルとアレンもこのアンティーク家具から奇妙な音が聞こえなければ、仕掛けに気づくことはなかったかもしれない。
この時点では、ノーデルは単に3つしかないと思っていたドレッサーに4つ目があったということに喜んでいただけだっただろう。これから何を見つけるのかなど知る由もなかったが、ノーデルは思ってもみなかったほどの掘り出し物を見つけたのだった。
引き出しがついに開けられる…
ノーデルは後にドレッサーの引き出しを開けたときのことについて語っている。「それはもう、大興奮でした。」さらに、自分だけでなく、アレンも『一瞬、驚きのため固まった』と付け加えている。そりゃそうだろう。一見したところ普通のドレッサーに、実は秘密の引き出しがあったなど、予想外のことが起こったときには誰でもこうした反応になる。
2人が引き出しを開けて中身を見たとき、ノーデルの強運ぶりは明らかとなった。
うわぁ、本物のお宝!
さて、この魔法の引き出しには何が入っていたのだろうか?実は、引き出しの中には、宝石やお金、古くなった思い出の品など、本当の意味でのお宝でいっぱいだったのだ!アレンとノーデルは、引き出しの中から歴史の一部も発見している。世界中の紙幣、南北戦争の勲章、ドッグタグ(キーホルダーなど)、さらには保存状態のいい髪の房までが見つかったのだ!
それだけではなかった。指輪やブレスレットなどの高価な宝石類、エメラルドやダイヤモンドなどのルースまであった。1万円ほどに値下げをされた木製のドレッサーの中に、こんな宝物が隠されていたなんて、誰が思っただろうか。
年代の推定
ノーデルが新たに購入したドレッサーが1890年頃のものという鑑定は、当たっているようだった。そして、本当にそうだった場合、歴史的な宝物を手に入れたいと思うコレクターはたくさんいるはずだ。
隠されていた宝物の数々にかなりの金額を払ってもいいと思うコレクターはいることだろう。さて、このミステリーの真相を探るべく、プロの意見をあおぐ時がきた。
ジェフ・アレン、宝物の調査に加わる
ノーデルにとっては幸運なことに、ジェフ・アレンはプレミア・エステーツ・セールス・ネットワークに勤務するプロの鑑定士だった。アレンはドレッサーと中に隠されていた宝物の価値を見定めるべく、調査を開始した。
アレンは専門家として、ドレッサーと中身を合わせると、その価値はおよそ150万円にもなると言った!ノーデルがわずか1万円で買ったドレッサーが、150万円!つまり、投資した金額の150倍にもなったのだ!
問題が発生
「うますぎる話」にはよくあるように、この話にも問題があった。というのも、引き出しの中にお宝が入っていたことを誰も知らなかったので、厳密には、販売したのはドレッサーだけであって、中身はセールには含まれていなかったというものだ。
ノーデルはドレッサーを正式に購入したため、中に入っていたお宝もすべてノーデルが所有者となるはずだ。「やったー!150万も儲けちゃった!」というだけの人もいるかもしれない。だが、ジェフ・アレンは見つけたお宝をそのままにすることが正しいことなのかどうか分からなかった。
倫理的ジレンマ
さて、エミール・ノーデルはたった1万円で買ったドレッサーの中から見つけたお宝について、「拾ったものは自分のもの」という心持ちになれるだろうか?繰り返すが、お宝を売り払って、そのお金をポケットにしまうことをためらわない人もいる。
ただ、ノーデルはそうすることが正しいとも思えなかった。そのため、自分が正しいと信じることをしたのだ。さて、ノーデルはどのように考えて、何をすることに決めたのだろうか。
ノーデル、善悪の判断を間違えない
その後インタビューで、ノーデルはドレッサーと中から見つかった貴重品が150万円ほどの価値になると分かった時の気持ちについて話している。
「私はドレッサーを買ったんです。貴金属を買ったわけではありません。たとえばこのお宝を自分のものにしてしまっていたら、ずっと気が咎めていたことでしょう。何をするにもこのときのことがついて回ることになったでしょう。気持ちの問題です。」ノーデルは自分の中にある『正しい』・『間違っている』という感覚を信じて、決断を下した。
調査の開始
どうやら、ノーデルの経歴も決断を下す上で役立ったようだった。「私は元々海兵隊員だったんです。そして、正しいことをするようにしています。」と語っている。ジェフ・アレンもノーデルと同じように感じていた。「「持ち主を探そう」となりました。この宝物が誰のものになるかといった話は一切ありませんでした。「なんてこった!持ち主に連絡して本来の持ち主に返してあげよう」って言ったんです。」
そう、2人は持ち主を探して返すことにしたのだ。だが、返すためにはまず持ち主を探さなければならない…。
故人の家族、調査を手伝う
実は、隠されていた宝物の持ち主を見つけることは、思っていたほど難しいことでもなかった。故人(ドレッサーの持ち主)の息子が遺産管理人となっていたのだ。そして幸い、この男性はかつてミシガンの祖父母の家でこのドレッサーを見たことがあると証言した。
もちろん、ドレッサーの中に貴重品があったことに驚いていた。こうしたものが家にあったことさえも知らなかったようだ。
心の平安は正しいことをすることで得られる
エミール・ノーデルの正しいことをするべきで、持ち主に宝物を戻すべきだという直感は報われた。これは金銭的にというわけではない。150万円相当の宝物を自分のものだと主張して、退職後の貯蓄の一部にすることが法的に認められていたのだから。
しかし、元海兵隊員として、そうした行為をすることは受け入れがたいことだった。ノーデルは1つ残らず宝物を遺族に返したのだ。「正しいことをした」ことによって心の平安が得られ、それはノーデルにとってはお金よりも価値のあることだった。
遺族、感謝の気持ちでいっぱい
個人的に犠牲を払ってでも、正しいことをした話を聞くととても気分がいい。エミール・ノーデルはその気になれば合法的に150万円を手に入れることができたが、道徳的な信条に従って、宝物の正式な継承者である遺族を探して、形見を返している。
遺族は故人に宝物があることさえ知らなかったとは言え、形見を返してもらって、おそらく言葉では言い表せないほど感謝しているはずだ。ノーデルの誠実な行動に遺族が心からの感謝を伝えたことだろう。そして、私たちはノーデルがこれからもエステートセールで掘り出し物を見つけることができることを願っている。