約15億円のヘンリー王子とメーガンのバンクーバー島の家での生活を大公開
2020年の初め、ヘンリー王子とサセックス公爵夫人メーガンは、誰もが、そう、女王でさえも予想だにしなかった発表を行ったのです。サセックス公爵夫妻は、生まれた赤ちゃんと家族への恩恵を最優先して、王室の主要メンバーとしての地位を退くことを決意したのだといいます。この決断には、北米と英国を行き来する生活を送る計画も含まれています。発表から数日後にメーガンはカナダへ渡航し、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー島の海岸沿いにある豪華な邸宅へと移り住みました。その後、ヘンリー王子もメーガンに続き、サセックス公爵夫妻は新たな人生へと踏み出したのです。
カナダ、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー島のミルフルール・エステート
ヘンリー王子とメーガンは、ブリティッシュコロンビア州はバンクーバー島にある、ミルフルール・エステートとして知られていた私有地に滞在している。ゲートから邸宅まで距離があり、夫妻のプライバシーを守るには最適とされるこの敷地には、ビーチへと続く私有道路まである。
この写真は、まだこの邸宅が売りに出されていた頃に撮影されたものだが、その売却価格は約15億円を超えていた。ヘンリー王子がバッキンガム宮殿で育ったことを考えても、母屋だけで約1,000㎡以上もあるこの広大な屋敷であれば、これまでと変わらない生活が送れると考えたのではなかろうか。
母屋だけでも約1,000㎡の住まい
この物件は、フレンチ・カントリースタイルのデザインで、家具もすべて備えつけられている。家中のあちこちに、時代を超えたアンティーク家具や上品な照明が見られる。2階にわたるリビングルームの1階部分は明るい色のフローリングで、ダークウッドのドア枠や窓枠、梁などとの調和がとれている。
この物件が即入居可能物件だったことも、ヘンリー王子とメーガンにはピッタリだった。プライバシーを確保したい夫妻にとって、この広大な敷地からなる物件は外界から隔てられているため、プライバシーのある生活をするには最適だったのだ。
フレンチ・カントリー風のインテリア
5つの部屋と8つの洗面室を備えた本邸宅のほぼすべての窓からは、海を臨むことができるようになっている。リビングルームからは、裏庭のテラスの向こうに素晴らしい景色が広がっている。ビーチへも住人だけが通れる私用道路を通って行くことができ、バンクーバー島の静かで穏やかな場所を楽しめる物件だ。
さらに、このミルフルール・エステートは、ブリティッシュコロンビア州に来る友人や家族を迎え入れるにも十分な広さだ。サザビーズによると、この敷地内には離れに200㎡以上の広さのゲスト用のコテージがあるという。
だだっ広い、2階建てのリビングルーム
ミルフルール・エステートのインテリアデザインも見事なものだ。高い天井に、ダークウッドの梁が荘厳な雰囲気をつくりだしており、さらに壮大なシャンデリアが夜には上品さを醸し出す。下の階にある暖炉は、寒い日に本を読むにはぴったりの場所だろう。
サセックス公爵夫妻がアーチーを連れて、いつこの邸宅に移り住むことを決意したのかは定かではないが、ここで年末年始を過ごしていたのだという。
フレンチ・カントリーのディテールにこだわったダイニングルーム
フォーマルなダイニングルームは、美しいヘリンボーンのウッドフロアに暖炉が備わっている。大きなテーブルは10人掛けで、豪奢な照明やシャンデリアもただただ美しい。
「グレイト・ルーム」と呼ばれるこのダイニングルームは、2階分の高さの天井と、フレンチ・カントリースタイルに忠実な温かみのある赤とゴールドの彩りが特徴的だ。オーシャンホームマグによると、この邸宅を元々所有していたのは、ドイツ人の映画スターだったという。
素晴らしいキッチン
夫妻はケンジントン宮殿にあるヘンリー王子の邸宅で「鶏をローストしようとしていた」ときに婚約したと、ヘンリーは冗談まじりに話していた。それは、「私たちにとっては、何ら変わったこともない、普通の晩の日のこと」だったとヘンリーは述べている。この豪華な素晴らしいキッチンで、夫妻はこれから家族の思い出をたくさん作っていけることだろう。
2012年にこの邸宅を所有していたとされるベルナデット・ヴォルフスウィンケルは、オーシャンホームマグのインタビューに答え、「数日とか数週間この家で過ごしたゲストは、みんな帰りたくないって言ってたわ」と語っている。
サセックス公爵にインスピレーションを与えるような書斎
サセックス公爵夫妻のウェブサイトに記載されている通り、ヘンリー王子とメーガンには慈善活動やプロダクション会社の講演など、将来的な計画がいくつかあるようだ。ミルフルール・エステートにあるこのきちんと片付いた書斎は、彼らが将来について考えるときにも、素晴らしいインスピレーションを与えてくれることだろう。
書斎には大きな窓が備わっており、周りの自然を見渡せるようになっているばかりか、素敵な暖炉が快適な空間を生み出している。さらに、木枠の天井やゴージャスなシャンデリアが、邸宅の至るところに見られるフレンチ・カントリーのテイストを引き出している。
邸宅の周りには、整形庭園が
既に、ヘンリーとメーガンがアーチーを連れて島を散策しているところを目撃されているが、敷地内にも丁寧に刈り込まれた庭園があり、ここを散策することもできる。どうやらミルフルール・エステートのすべての部屋にある窓から、素晴らしい景色を望むことができそうだし、太平洋の一部と周りの土地までもがこの敷地に含まれているようだ。
もう少し暖かくなれば、サセックス公爵夫妻は日中ばかりでなく、夜にも外で楽しむことができるのではなかろうか。
ビーチへと続く私有道路は2本
2012年に邸宅を所有していたとされるヴォルフスウィンケルは、園芸家のジム・ドーソンを雇って、邸宅の周りの自然や、目前に広がる海の景色を損なうことのないように植物や花を選んで庭園を整備したと語っている。
さらに、サセックス公爵夫妻の前の所有者は、綺麗に刈り込まれた地面や整形庭園の周りに道を整備していたため、アーチーを連れて静かに散歩するのにうってつけだ。この敷地は、カナダの自然史跡としても知られ、世界的にも有名なブッチャートガーデンの近くに位置している。
200㎡以上のゲスト用コテージ
この素敵なゲスト用コテージは200㎡以上ある。これは、一般家庭の母屋よりもずっと広い。コテージには3つの部屋と2つの洗面室が備えつけられており、たとえウィリアム王子とケイト、そして子ども達が訪ねてきたとしても、十分な広さなのではなかろうか。
さらに母屋と同じく、このコテージも豊かな緑に囲まれ、少し歩けば水辺に行くこともできる。このコテージは、敷地に入るためのゲートを通過すると最初に目にする建物でもある。
たっぷりと気持ちのいい日差しを楽しめる場所
以前の邸宅所有者であるヴォルフスウィンケルは、フレンチ・カントリーのデザインについて深く研究し、この邸宅のインテリアが本物のフレンチ・カントリースタイルになるようにした。ヴォルフスウィンケルはオーシャンホームマグに対し、「現代的な快適さも追求する一方で、まるでここに100年も前からあったかのような重みのある家にしたかった」と、そのこだわりについて語っている。
「日当たりの良い部屋」とヴォルフスウィンケルが呼ぶこの部屋は、一日中、日が差し込むように、窓の角度にいたるまで計算されている。さらには職人をよび、この部屋に贅沢でありながらも年代の重みを感じさせるために梁を作らせた。
海を臨む敷地
この敷地は300度の方向から海を臨むことができる。邸宅の元所有者は、「禅のように、静かでとても落ち着いて過ごすことができる」と説明する。邸宅の設計も、周りの自然の美しさや土地を尊重して行われている。
オーシャンホームマグによると、この敷地は4エーカー弱で、りんごや梨、アプリコットといった果物がなる樹も植えられているという。長い間、この敷地はウェディングやその他お祝い事などで貸し出されていた。
プライバシーを守るために遮蔽されたゲート
王室の主要メンバーとしての地位を退き、イギリスを去ることを発表して以来、サセックス公爵夫妻は私生活について厳重に封鎖しようとしている。メーガンはすでに女性のための避難所を訪問するためにこの敷地から出入りしており、サセックス公爵夫妻はこの敷地が持つ邸宅周りの自然やプライバシーを守れることをその理由に、バンクーバー島に決めたのだった。
敷地にはいくつか出入口としてゲートが備えつけられているが、そのうちの1つのゲートは、以前は通行人が敷地を垣間見ることができていたが、今やまったく敷地を見ることができないように塞がれている。サセックス公爵夫妻には、イギリスにいたときと同じセキュリティが敷かれている。
フログモア・コテージよりもプライバシーを守れる
サセックス公爵夫妻は経済的に自立するために働くことを発表したが、この発表では、ウィンザー城の敷地内にあるフログモア・コテージを改修するために夫妻が使用したおよそ3億円もイギリスの納税者に返還するとしている。
およそ15億円のミルフルール・エステートをサセックス公爵夫妻が購入したのか、もしくは単に借りているだけなのかは明らかにされていない。しかし、ヘンリーとメーガンのそれぞれの純資産を考えれば、買おうと思えば買えることだろう。サセックス公爵夫人はドラマ「スーツ」の撮影中、数年間カナダに住んでいたことがあるという。そのため、カナダに居住するという考えにも納得できる。
メディアルーム、ゲームルーム、ワインのテイスティングルーム
居住者や訪問者が、5つある部屋や8つある洗面室のどの窓から外を眺めても、様々な植物や花が楽しめるように邸宅周りの景観も設計されている。この写真に写っていないのは、ウェット・バーが備えつけられているゲームルームとメディアルームだ。
この邸宅には、ワインのテイスティングルームやピザ用のオーブンまで設計されており、人をもてなすには完璧だ。約200㎡以上のゲスト用コテージも敷地内にあることから、ヘンリーとメーガンに必要なものすべてがこの15億円の邸宅にあると言えるだろう。
美しいハイキングコースもたくさん
バンクーバー島は、世界でも43番目に大きい島で、カナダでも11番目に大きな島だ。ここはカナダの中でも最も暖かく、冬にも寒さがそこまで厳しくならないため、ブリティッシュコロンビア州の海岸線沿いにもたくさんの植物が繁茂している。
ヘラジカ、シロイワヤギ、ツキノワグマ、ヤマアラシ等、島には野生動物もたくさんいる。ミルフルール・エステートの近隣住民らは、アーチーを連れてヘンリー王子とメーガンが近くのハイキングコースを歩いているのを目撃した、と語っている。
バンクーバー島には素晴らしい釣場も
バンクーバー島にはたくさんの川や湖もあり、魚が生息している。地域の住民の多くが働く地元漁協には、マス、サーモン、スチールヘッド等が並ぶ。毎年、たくさんのアトランティックサーモンがこの地域で養殖されている。
バンクーバー島には数か所の港があり、そのほとんどが林業で使われている。しかしながら環境活動家らは、島の自然資源を守るため、切り倒す木の数を減らすよう活動している。
4エーカーの敷地はブッチャートガーデンからすぐ
ミルフルール・エステートは、世界でも最も有名な庭園の1つ、ブッチャートガーデンから道をまっすぐ行ってすぐのところにある。毎年、数百万人もの人々が、100年以上もバンクーバー島に存在する安らぎの場所を訪れている。
ブッチャートガーデンには26棟もの温室があり、900種類もの植物が55エーカーもの敷地に植えられている。ブリティッシュコロンビア州にある敷地からすぐ近くにある、この素晴らしい庭園をサセックス公爵夫妻は間違いなく訪れることだろう。
バンクーバー島にはフェリーや空港がある
カナダ南西部に位置し、太平洋に囲まれていることからも、バンクーバー島と本土を繋ぐ橋はない。メーガンが本土にある女性のための避難所を訪れたときにも使用したように、居住者や訪問者は、フェリーか旅客機、プライベートジェット、または水上飛行機に乗るしかない。
ヘンリー王子は飛行機に乗って12時間かけて、バンクーバー島の空港に到着し、家族に合流している。ウィリアム王子、ケイト・ミドルトン、そして彼らの3人の子ども達が訪れる可能性もある。2016年、8日間にわたるカナダの訪問中に水上飛行機を利用したように。
報道によると、夫妻は幸せでリラックスできているということだ
報道によると、ヘンリーとメーガンはブリティッシュコロンビア州に移り住んでから幸せでリラックスしている様子だという。ヘンリー王子は2020年1月中旬にバンクーバー島の空港で飛行機から降り立ったときに、満面の笑みを浮かべていたところを目撃されている。
身内で話をし、大きな発表をした後、夫婦は当初の話が終息したことにほっとしているようだ。サセックス公爵夫妻はカナダに第2の家に移ることに何の躊躇もないようだ。
2016年7月 – ロンドンにてブラインド・デートで出会う
2016年、メーガン・マークルとヘンリー王子は、互いをよく知る友人がセッティングしたブラインド・デート(知らない相手とデートをすること)で出会った。メーガンはアメリカで育ったために、王室についてよく知らなかった。「彼のことをあまり知らなかったので、友人に聞いたことと言えば…『良い人なの?』って聞いたくらいでした」とBBCに語っている。ヘンリー王子の方はと言えば、メーガン・マークルの名前を友人に出されるまで、メーガンについて聞いたこともなかったという。
すぐに意気投合し、ヘンリーは数週間後にメーガンをアフリカ旅行へと誘った。「それから私たちは2人っきりでした。これは私たちにとって互いを知る機会となったため、私にとってはすごく大事なことでした」とヘンリーは語っている。
2016年10月 – 関係性が公になる
「私たちの関係を秘密に保てたのは、5ヶ月~6ヶ月くらいだったでしょうか」後にメーガンは言った。2016年10月31日、2人の関係はニュースとなって世間に広がった。情報筋はサンデー・エクスプレスに対し、ヘンリー王子がメーガン・マークルという名のアメリカ人女優とデートしていること、さらに「ヘンリーはメーガンを怯えさせたくないため、自分達の関係を秘密にするのに必死だ」と伝えた。
同日、メーガン・マークルは2本のバナナを寄り添わすようにして撮った写真をインスタグラムに投稿している。そして、これを見た多くの人は、メーガンに誰か特別な人がいることを示唆しているのではないかと考えた。ちょうどこの頃、People誌はメーガンがすでにヘンリーの父、チャールズ皇太子と会っていると報じた。
彼らの関係に対する世間の反応は大きかった
ヘンリー王子とメーガン・マークルは、自分達の関係に対する世間の大きな反響に不意打ちを食らった。マークルはBBCに対し、「私は芸能界にいるから、こうしたことにもなれっこだろうと思われていましたが、それは誤解です。私はタブロイド紙とは無縁だったのです。そんな大衆文化にそこまで深く関わったこともないし、静かに暮らしていたんです。」と語った。
マークルはさらに続けた。メディアの記事を良いものであれ悪いものであれ、読まないようにし、代わりに、ヘンリーとの関係を育てることのみに集中したのだという。
2016年11月 – ヘンリー王子、声明を発表する
彼らの関係性が世間に広まった直後に、メディアや世間はひどく怒っていた。あまりにも反響が大きく、メーガン・マークルとその身近な友人には、迷惑なメディアや嫌がらせが殺到した。
状況はかなり深刻だった。そのため、ヘンリー王子は王室から公式声明を発表し、その状況を止めようとした。「ヘンリー王子はマークル女史の安全を心配し、彼女を守れないことに失望していました。ヘンリー王子と数ヶ月付き合ったからといって、マークル女史がこんな攻撃の対象となるなんて、正しいことではありません。」声明をまとめると、こんな内容だった。
ウィリアム王子でさえも言いたいことがあった
声明が発表された後、ウィリアム王子は弟が世間にした口実について喜ばしく思っていないという噂まで流れた。こうした噂によって、王室からもう1つ公式声明が出されることとなった。これはケンブリッジ公爵からだった。
声明の内容は、「ケンブリッジ公爵はプライバシーについて状況を完全に理解し、ヘンリー王子がその近しい人を支えたいという気持ちを支えます。」というものだった。当時、両王子と近しい情報筋はメディアに対し、「あのような声明を出したい人はいません…ただ、1週間のうちに、事態がエスカレートしていって、ヘンリー王子は何とかしないといけないと思ったようです。」と語っている。
2016年12月 – メーガン、女王陛下の承認を得る
報道によると、2016年の年末までにエリザベス二世はメーガンを認めたという。王室に近い情報筋がUs Weeklyに語ったところによると、「(女王陛下は)ヘンリー王子が良い関係を築いていることをお喜びになっていらっしゃる」ということだった。この時点で、マークル女史はまだ女王陛下に謁見していなかったにもかかわらず、だ。
後に、メーガンはBBCに女王陛下に謁見したときのことについて明かしている。「(ヘンリー王子からお聞きしていた)女王陛下にお会いできるなんて、本当に素晴らしいことでした。君主として、ヘンリー王子が誇らしく、尊敬しているだけでなく、おばあちゃんとしても愛している女王陛下に。こうしたすべての要素が私にとってはとても大切なことでした。女王陛下は素晴らしい女性でした。」
2016年年末 – ロマンチックな休暇を共に過ごす
2人は付き合いだして初めてのクリスマス休暇を、それぞれの家族と過ごしたが、その後年末年始を共に過ごすため、ノルウェーに向かった。過去には極端にプライベートを守ろうとしていたものの、この時点で2人はこそこそせずとも、行きたいところに行くことができていた。
報道によると、ヘンリー王子はオーロラをはじめ、北極圏で様々なロマンチックな体験をしにノルウェーにマークル女史を連れて行ったのだという。この頃までには、2人の友人らはこの2人が婚約すると感じていた。「春までには婚約すると思います。彼はメーガンに夢中でした。」と情報筋は2017年1月にUs Weeklyに語った。
2017年1月 – メーガン、将来の王と女王に謁見する
ノルウェー旅行の後、メーガン・マークルはヘンリー王子の近しい家族に会うようになった。2017年1月、メーガンはケンジントン宮殿のアパートで、ケイト・ミドルトンとシャーロット王女と会った。情報筋がUs Weeklyに語ったところによると、これは「うまくいった」そうで、「メーガンはヘンリーの最も近くて、愛する人を知ることができて喜んでいた」そうだ。
メーガンはすでに11月にウィリアム王子に会っており、ヘンリーの兄ともうまくいったようだ。情報筋はメディアに対し、「当然、ウィリアムは弟のために喜んでいた」と語っている。
ヘンリー王子、親と会う(少なくとも片方には)
2017年まで、メーガン・マークルは女王にも会っていなかったばかりか、ケンブリッジ公爵夫妻にもお会いしていなかった。今度はヘンリー王子がメーガンの家族に会うのも時間の問題だった。
メーガン・マークルは母であるドリア・ラグランドをロンドンに連れて行き、ヘンリー王子と会わせた。王子はBBCに「彼女のお母さまは素晴らしい方だった」と語っている。ラグランドは引き続き、メーガンとヘンリーに何度か会っている。後に、メーガンはBBCに対し、ヘンリーはメーガンの父親に会ったことはないと明かしている。「数回、父とは話したことがありますが、まだ会えていないんです。」
2017年3月 – メーガンは結婚式でヘンリーのプラスワンだった
2人は遠く離れているにもかかわらず、関係性はどんどんと密になっていくようだった。当時、メーガンは「スーツ」の撮影のために多くの時間をトロントで過ごしていたが、自由になる時間ができると、ヘンリー王子のいるケンジントン宮殿のコテージで「事実上共に暮らしていた」と言える。
その後、2人はジャマイカでヘンリー王子の親友の結婚式に出席しているところを目撃されている。ヘンリーがメーガンを結婚式の「プラスワン」として連れてきていることで、多くの人が2人の関係を世間に「知らせている」ようだと見ていた。結婚式の場でイチャイチャしている2人の写真は、2人の関係をしっかりと裏付けるものだった。
2017年4月 – メーガン・マークルに見られた驚きの変化
メーガン・マークルは、2017年4月、自身のライフスタイルブログ「The Tig」を閉鎖する。ファンに「(私の小さなエンジンで)情熱をもって行ってきたプロジェクトは、素晴らしいインスピレーション、サポート、楽しさ、遊び心のつまった素晴らしいコミュニティに発展しました」と語っている。
これを受けて、人々は、メーガンがヘンリー王子との交際のためにブログを閉鎖したと見たが、実際にはメーガンは単に忙しくなり過ぎて維持管理できなくなっただけのようだった。「『The Tig』はメーガンにとっては好きでやっていたことでしたが、フルタイムの仕事のようなものでもありました。メーガンはちょうど撮影が始まった『スーツ』に集中し、慈善活動にもっと時間を割きたかったのです。」と情報筋はPeople誌に明かしている。
2017年5月 – 交際は真剣なものに
メーガン・マークルとヘンリー王子との交際が一段と真剣なものに発展していることを示すサインとして、2017年5月、ピッパ・ミドルトンの結婚式の時期に、メーガンがロンドンに渡航したことが挙げられる。報道によると、メーガンはヒースロー空港に到着するや否やケンジントン宮殿に向かったという。
メーガンはピッパ・ミドルトンの結婚式には出席しなかったようだが、披露宴には出席したようだ。メーガンがこれまでに家族のイベントに呼ばれたことはなかったため、多くの人は衝撃を受けた。メーガンがイギリスに行った本当の理由は、ヘンリー王子が出場するアウディ・ポロ・チャレンジを応援するためだった。そして、これがカップルとして公の場に2人揃って出た初めてのイベントとなった。
2017年8月 – 再びアフリカ旅行へ
2017年8月、メーガン・マークルとヘンリー王子は交際を始めて1年ちょっとが経過したころだった。メーガンは36歳の誕生日を迎えただけでなく、2人が初めてアフリカ旅行をしてから1年が経っていた。これを祝うため、2人は再び思い出のあるアフリカ大陸へと旅行に出かけたのだった。
アフリカで、2人は初めて互いが慈善活動に関心が高いことに気づき、結びつきを強めていったと言われている。ヘンリーにとってアフリカは特別な場所だった。というのも、ヘンリーは故ダイアナ妃に敬意を表して、自身の慈善団体「サンタバリー」(レソトの公用語で『私のことを忘れないで』という意味)を設立した場所だったのだ。
2017年9月 – メーガン、インヴィクタス・ゲームに出席
メーガン・マークルは、2017年9月、正式な王室メンバーとして出席するヘンリー王子に初めて同行した。共に、インヴィクタス・ゲームの開会式に出席したのだ。インヴィクタス・ゲームは、ヘンリー王子が負傷し、障害を負った退役兵や傷病兵らのためにイギリスで設立したスポーツイベントだ。
2017年、インヴィクタス・ゲームはトロントで開催されたが、メーガンも「スーツ」の撮影のためにトロントに滞在していた。試合の最中、2人は手を繋いだり、イチャイチャしているところを目撃されている。メーガンの母、ドリア・ラグランドもいくつかの試合を観戦していた。
2017年10月 – メーガン、バニティーフェア誌に告白
数ヶ月後、メーガン・マークルはバニティーフェア誌の2017年10月号の表紙を飾り、ヘンリー王子との交際に関して、初めて口を開いた。
「私たちはお付き合いをしています。とても愛し合っているんです。いつか皆さんの前に出て、すべて私たちについてお話しなければならないとは思っていますが、それが私たちのタイミングでできることを望んでいますし、それをご理解いただけたらいいなと考えています。これはだって、私たちのことなのです。だからこんなに特別なことなのです。私たち2人だけのことなのですから。ただ、私たちは幸せです。個人的には素晴らしいラブストーリーが大好きです。」メーガンは語っている。
2017年11月 – ヘンリー王子、ついにプロポーズ
2017年の終わりには、ヘンリー王子とメーガン・マークルが婚約したことを聞いて、人々は歓喜した。2017年11月27日、このニュースは、ヘンリー王子の父、チャールズ皇太子によって本当のことだと確認された。
チャールズ皇太子は公邸であるクラレンス・ハウスから正式声明を発表した。それは「(ウェールズ公)殿下は、ヘンリー王子とメーガン・マークル女史との婚約を発表について喜んでお知らせいたします。ヘンリー王子とマークル女史はロンドンにて、今月の初めころに婚約したようです。ヘンリー王子は女王陛下をはじめ、他の主要王室メンバーにもその旨伝えました。ヘンリー王子はさらに、マークル女史のご両親からもお許しをいただいたとのことです。」というものだった。
ヘンリー王子はどうやって指輪をはめたのだろうか?
彼らがBBCのインタビューに答えた様子は、正式な婚約発表と同じ日に放送された。このインタビューは、2人がプロポーズの様子を詳しく話すところから始まっている。
ヘンリー王子は数週間前にケンジントン宮殿にある自分のコテージでプロポーズしたばかりだった。「その日はまったく自分達にとって、何ら他の日と変わりない普通の日でした。」と、メーガンがその日のことを振り返りながら話すと、ヘンリー王子は付け足した。「くつろいでいた日の夜でした…鶏をローストしようとしていたんです。」夕食を作っている最中だったそうだ。メーガンは「本当に素晴らしいサプライズでした。すごく自然で、素敵で、本当にロマンチックでした。」と語っている。
メーガン、プロポーズの最後まで聞かずに返事?
「彼がひざまずいたんです。」とメーガンは嬉しそうにBBCに答えている。何が起ころうとしているのかを理解した彼女は、興奮してしまって、ヘンリー王子がプロポーズを最後まで終えることができなかったそうだ。「もう本当に素晴らしい瞬間でした。2人っきりでしたし、サプライズは成功したと思います。」ヘンリーもメーガンを見やりながら答えた。
この時までに、交際期間は1年半。婚約後の報道用写真撮影会で、ヘンリー王子はメーガンが運命の人だといつ分かったのかという質問に、「出会った初日です。」と答えている。
2018年5月 – ヘンリー王子とメーガン・マークルのロイヤル・ウェディング
ヘンリー王子とメーガン・マークルは、2018年5月19日に、ウィンザー城にて挙式した。招待客には、オプラ・ウィンフリー、セリーナ・ウィリアムズ、デービット・ベッカムとビクトリア・ベッカム夫妻がいたが、世界中の何百万人もの人々もテレビの前で見守っていた。
メーガンは美しいジバンシーのガウンを着て、女王陛下からダイアモンドとプラチナで作られたティアラをお借りしていた。ヘンリー王子とメーガン・マークルの近しい友人や家族はみんな揃っていたという。メーガンの父親、トーマス・シニアを除いて。メーガンの父親が出席していないことから、チャールズ皇太子がメーガンとバージンロードを歩いた。
2018年10月 – サセックス公爵夫人メーガン、ご懐妊
結婚式の後まもなく、多くの人が期待していたであろうメーガンのご懐妊ニュースが、世界中の人に届けられた。2018年10月15日、ケンジントン宮殿にて、サセックス公爵も期待していたことが公式に発表されたとき、たくさんの人は笑顔に包まれたのだ!
その発表当時、夫婦はオーストラリアに到着したばかりで、初めての王室ツアーに乗り出していた。メーガンマークルは、健康状態も良好であり、2019年5月6日についに待望の息子を出産した。
2019年5月6日ーベイビーアーチー誕生
アーチー・ハリソン・マウントバッテン・ウィンザーは、2019年5月6日にロンドンのウェストミンスター地区のポートランド病院で生まれた。 エリザベス女王2世の8人目の孫であるアーチーは、5月8日のウィンザー城での誕生から2日後に世界にお披露目されたのである。
王室の伝統に伴い、赤ちゃんの性別は出生後すぐには明らかにされなかった。 アーチーが生まれた後、ハリーとメーガンは、フロッグモアコテージの住居に戻り、メーガンの母親ドリアがアーチーの世話に加わった。
2019年10月–夫婦の私生活はプライベートなし
英国のタブロイド紙はメーガンを常に追い、彼女の私生活を徹底的に掘り下げた。そして、メーガンがメキシコの父親に送った手書きの手紙の内容をも発表したのである。ハリーはその後、「私は彼女の私的な苦しみをあまりにも長い間、黙って見守ってきた」と述べた。
夫として、これ以上の彼女の悲しみに我慢ができなかったのだろう。また、誤解を招くような父親の行動も許しがたいものだったのだ。このような家庭の事情も公にしなくてはいけないのが、一般人ではないことの辛さだろう。。
2020年1月8日-ハリーとメーガンがシニアロイヤルズとしての辞任計画を発表
2020年1月8日に、サセックス公爵と公爵夫人は、英国王室の上級メンバーとしての役割を辞任するという驚くべき発表を行った。夫婦はInstagramの投稿でこの声明を発表したが、投稿後24時間以内には、150万以上のいいねを集めた。これには、女王、チャールズ皇太子、ウィリアム王子でさえも完全に盲目の状況だったのである。
ハリーとメーガンは、彼らの決定を推し進めていたように見えるが、宮殿はこの動きはそれほど速くなかったと主張し、この発表が公式になる前に、多くの解決しなければならない「複雑な問題」があったことも同時に述べた。
2020年1月14日-メーガン、カナダで水上飛行機に乗り込む
多くの人がハリーとメーガンの退任を「メグジット」と呼び、話題を呼んだ。この行動にエリザベス女王の夫であるフィリップ殿下は、ご立腹だったが、メーガンはカナダのバンクーバー島の家でのんびりとした時間を過ごしていた。彼女はクリスマス休暇を過ごしたのと同じ1400万ドルの家で素敵な生活を楽しんでいたのだ。
DailyMailの報告によると、サセックス公爵夫人はカナダで最も貧しい地域にある女性のシェルターを訪れ「幸せでリラックスしている」ようにも見えたと報道された。 一方、ハリー王子と英国王室の残り人々は、英国に戻って、ハリーとメーガンの今後の計画を練り上げていたのだ。
2020年1月19日-ハリー王子が感情的なスピーチをする
1月19日、ハリーはロンドンでのチャリティーイベントで聴衆に対し演説を行った。 彼の感情的な声明は、彼が王室の義務から後退する選択にとても苦労したことを示しており、メーガンとアーチーをそのような公的な生活の緊張から守るために他の選択肢を感じなかったとのことを明らかにしたのだ。
「妻と私が後退するために下した決定は、決して私が軽く下した決断ではありません」とハリーは言いました。「何年にもわたる挑戦の末、非常に長い月日を過ごしていたのです。 そして、私はそれを全ての人から正しい判断だったと評価を受けるには難しいことも知っていますが、これに関しては、他に選択肢はありませんでした。」 そして、彼は続けて、「私たちの希望は、女王、連邦、そして私の軍事協会に奉仕をし続けることでしたが、公的資金はありません。 残念ながら、それは不可能でした。」
2020年1月13日–ロイヤルサミットが開催される
2020年1月13日に、女王は「王室サミット」を開催し、家族がハリーとメーガンの計画について話し合い、前進するための最善の方法を決定できるようにした。 出席したのは、女王、ハリー王子、ウィリアム王子、チャールズ皇太子。 会議の後、バッキンガム宮殿では、女王が彼らの決定においてサセックスを支持していると宣言する声明が発表された。
「ロイヤルファミリーの常勤メンバーであり続けることを望んでいましたが、私の家族の大切な一部でありながら、家族としてより自立した生活を送りたいという彼らの願いを尊重し、理解しています。」との内容だった。この問題に関する「最終決定」は、今後数日中に行われるとのことだ。
彼らは「革新的で新しい役割を切り開く」ことを計画している
ハリー王子とメーガンは、彼らの人生の「新しい章」に「革新的で新しい役割を切り開く」ことを望んでいるという声明を含めていた。王室を密接に追っている取材陣にとって、35歳のハリーが新しい方向に向かっているのは、決して驚くことではなかったはずだ。
ハリーは母親が亡くなってから20周忌を迎えたインタビューで、王室の職務を辞めることについて長い間考えていたと語っている。ニューズウィークとの2017年のインタビューで、ハリー王子は、「自分は常に外に出たいと思っていたが、その思いを常にとどめ、自分の役割を果たすことに全うしていた」と語った。
全ての決断は息子のため
夫婦が大切な役割を離れるという決断は、子供の誕生に基づいているようだ。夫婦は、メーガンが妊娠する前のインタビューで、自分の子供には普通の生活を送らせたいと願っていることを漏らしていた。
更にハリーはITVに、「私は比較的普通の生活を送ることを願っています。もし、幸運なことに子供をもうけることができれば、その子供にも自由で監視のない生活を送って欲しいのです。私たちはただの有名人になりたくありませんが、代わりに自分達の役割を善行のために担っていきたいと思っています。」