規律に従って生きる、ヘルズ・エンジェルスが守らなければならない規則とは
『ヘルズ・エンジェルス』は世界で最も有名なバイカー・クラブの1つで、1948年にカリフォルニア州フォンタナで結成されて以来、世界中に数百以上もの支部を持つ。メンバーの中には非合法的な活動に関わっている者がいることで知られているが、常に守らなければならない行動規範が1つある。それは自分達の規則だ。何を着て、何に乗るべきか、どうやってクラブに入り、過ごすべきか。ヘルズ・エンジェルスの規則は生易しいものではない。
入会はメンバーの投票によって決まる
ヘルズ・エンジェルスのウェブサイトには、こう明記されている。「もしクラブへの入会方法を(人に)聞かなければならないのであれば、あなたは、おそらくその答えを理解することができないでしょう」と。メンバーになるには、どうやら長いプロセスを踏まなければならず、数年かかることもあるという。
これは、一度メンバーになれば、死ぬまでずっとメンバーであるという理由による。支部に所属する他のメンバーと関係を築くには時間がかかるのだ。入会希望者が本当に入会する準備ができているかどうかは、支部メンバーが投票して決める。
正式に入会する前は「プロスペクト(候補生)」となる
調査ジャーナリストのジュリアン・シャーによると、ヘルズ・エンジェルス支部への入会希望者は「ハング・アラウンド(見学者)」から始まるのだという。名前の通り、ハング・アラウンドはヘルズ・エンジェルスのイベントに招待されたバイカー達のことだ。イベントに参加することで、メンバーもハング・アラウンドも、互いにどんな人なのかが分かる。
正式にメンバーの一員となる前は「プロスペクト(候補生)」となり、ベストに名前が刺繍される。こうした仮メンバーは、ジュリアン・シャーに言わせると「チンピラのような」使いっ走りをするのだという。
ベストは神聖なものとして取り扱うべし
ヘルズ・エンジェルスであるかどうかは、ベストのしるしを見ればすぐに分かる。プロスペクトが一人前のメンバーになれば、有名なロゴと名前が背中に入ったベストが手渡される。ジュリアン・シャーによると、このベストはメンバーにとって神聖なものと見なされているという。
バイカーの誰かが逮捕される場合には、ベストが刑務所で汚れないように自分のベストを仲間に渡す。ケガをして応急処置が必要な場合には、できうる限りの手を尽くしてベストが切られたり、破かれたりしないようにするのだ。
服装規定がある
支部ごとに少しルールが異なるが、クラブにはメンバーが従うべき服装規定がある。『Inside The Angels(ヘルズ・エンジェルスの秘密)』では、あるメンバーが、黒いジーンズにシャツ、ベストしか着てはならないことを打ち明けている。
中にはショートパンツを履いてはいけないグループ(支部の下位組織)もあるようだ!全身を黒ずくめにしなければならない支部もあれば、青いジーンズや迷彩柄のジーンズを許可している支部もある。服装の色やデザイン規定によって、所属する支部を区別することができ、さらにはどのグループのメンバーかを洗い出すことができる。
バイクで走るときには順番がある
ヘルズ・エンジェルスのバイカーグループは大人数で、道幅全体のスペースをとってしまうこともある。しかし、ご存知だろうか?メンバーらはバイクで走る間、守らなければならない順番があるのだ。キャプテンと支部長は常にグループの先頭をキープすることになっている。
その後は、年功や階級によって並ぶ。先頭近くには年上のメンバーが走り、その後ろに新しいメンバー、列の最後をプロスペクトが走る。
路肩に寄せるときにはみんなで一緒に
ヘルズ・エンジェルスは走るときにも序列を崩さないため、たとえば警察が誰か1人を路肩に寄せて止めた場合、みんなが一斉に止まる。こうしてグループが固まって行動することで、序列を乱さないだけでなく、メンバー同士の結束が家族のように固いことを示しているのだ。
つまり、ヘルズ・エンジェルスのメンバーの1人にケンカをふっかけようものなら、それはヘルズ・エンジェルス全員を相手にするようなものだ。ケンカっぱやいことで知られているバイカーらが大人数で行動しているのだから、警察官がメンバーを粗雑に扱ったりすることはなさそうだ。
警察関係の仕事にはつけない
ヘルズ・エンジェルスがこれまでに非合法活動に関わっていることから、メンバーである限り、刑務所などでの仕事につけないのは当然だろう。また、利害が対立するために、メンバーは警察官にはなれない。
時に、ヘルズ・エンジェルスは違法なことをしていることで知られている。ヘルズ・エンジェルスは自分達の独自の規則をもって自由のために立ち向かっているため、看守や警察官などは、ヘルズ・エンジェルスの信念に完全にそぐうものではないだろう。
クラブメンバーについての情報を明かさない
ヘルズ・エンジェルスのメンバーが警察関係の仕事につけないもう1つの理由は、ヘルズ・エンジェルスには厳格な自由裁量方針があるからだ。つまり、たとえばメンバーの誰かが他のメンバーについて密告した場合、グループから除籍処分となる。
ヘルズ・エンジェルスのウェブサイトにはこう明記されている。「メンバーについての質問には答えない。」それがたとえ、行方不明となったメンバーであっても。この秘密主義は、何よりもお互いへの忠誠心を優先し、グループ内のメンバーすべてを守るためなのだ。
ヘルズ・エンジェルスのメンバーは、いつまでたってもメンバーだ
正式にヘルズ・エンジェルスのメンバーになったなら、それを取消すことはできない。ヘルズ・エンジェルスには引退というものもないため、グループから抜けるのは、規則を破ったときか、もしくは除籍処分を受けたときだけだ。メンバーにとって、それぞれ所属する支部が第二の家族となるのだ。
ヘルズ・エンジェルスはメンバー同士で多くの時間を共に過ごす。さらにクラブに入会する前までに、すでに何年もかけて互いについて知っている。メンバーの誰かがこの世を去ったときには、みんなが集まり、故人の追悼を行う。
メディアと話すべからず
ヘルズ・エンジェルスは自分たちの活動内容を秘密としているため、メンバーはメディアと話すことを禁じられている。こうすることで、グループ全体を守るだけでなく、メンバーが互いについて話さないという規則を守ることにも繋がっている。
調査ジャーナリストのジュリアン・シャーによると、メンバーはクラブの規則についても話すことは禁じられているという。つまり、規則も秘密の一部なのだ。できるかぎりのことを秘密にしておくことで、情報漏洩のリスクを緩和している。
ハーレーダビッドソンのみ
ヘルズ・エンジェルスのメンバーは、どんなバイクに乗っていてもいいというわけではない。バイクは特定の種類のものでなければならない。前述のとおり、メンバーになるためには何年もかかることがあるが、これはメンバーになった後に家族のようになれる者だけを受け入れているからだ。
間違いないのは、ハーレーダビッドソンのバイクだ。ハーレーのみに乗るということは、神聖なベスト同様、ヘルズ・エンジェルスの伝統とされている。ハーレーを乗り回すことがヘルズ・エンジェルスである所以でもあるため、これはとても重要なことだ。
毎年、共に何万キロメートルも走る
ヘルズ・エンジェルスのウェブサイトによると、彼らは毎年2万キロ近くを共に走っているようだ。メンバーは真のバイク好きでなければならず、移動するときには必ずバイクに乗って移動している。
ヘルズ・エンジェルスのメンバーらは兄弟のような絆で結びついているが、この繋がりはバイク愛の上に成り立っている。バイクに乗ることで自由を表現し、解放感を味わうことができるのだ。そのため、何時間も費やしてバイクで走ることは、至上の喜びでもある。
クラブのイベントに出席すること
ヘルズ・エンジェルスの生き方を真剣に受け止めているのであれば、その活動に参加することは非常に重要な意味を持つだろう。集まりなどに顔を出さないメンバーは、クラブの趣旨がつかめていないと見なされる。
このクラブのメンバーらは、厳しい参加規則を持つことで知られている。ヘルズ・エンジェルスのイベントを何度も欠席するメンバーは、クラブを軽視していると見なされ、正式入会の前段階にあたる「ハング・アラウンド」の状態から抜け出ることはできない。
メンバーは家族のようなもの
ヘルズ・エンジェルスが集まりを大切にするのは、集まりを通じてメンバー同士がまるで家族のような絆を持つからだ。単にバイクに乗って好きなことができるだけでなく、同じようにバイクを愛する人達と、その体験を共有できるのだ。
その情熱は単なるバイクへのワクワク感をはるかに超えたところにある。ヘルズ・エンジェルスは生き方であり、信念であり、メンバー同士が深く結びつく拠りどころなのだ。
他のモーターサイクル・クラブには入るべからず
ヘルズ・エンジェルスのメンバーらには、一生涯続くとされる深い絆がある。こうした結びつきが誓約となり、メンバーは他のモーターサイクルクラブに入るなど考えもしない。
同様に、メンバーは付き合う相手を慎重に選ぶべきだ。ウェブサイトには「もしヘルズ・エンジェルス・モーターサイクル・クラブと他のクラブや、街のチンピラ、他の人達との関係が不明である場合には、ヘルズ・エンジェルスへのサポートと混同しないように。」とある。つまり、メンバーの第三者へのサポートは、ヘルズ・エンジェルス・クラブとしての全体の趣旨などから外れたものであってはならない。
姉妹ではなく、兄弟のような仲間たち
ヘルズ・エンジェルスは自分達メンバーは兄弟のような間柄だとしている。従って、このモーターサイクル・クラブには背中に骸骨のしるしの入った男達しかいない。女性は、厳密にはクラブのメンバーではないが、大きな役割を果たしている。
ヘルズ・エンジェルスの多くのメンバーは既婚者で家族がある。そのため、ヘルズ・エンジェルスの一員になるのであれば、配偶者はヘルズ・エンジェルスとしての生き方や、メンバーになることによって生じるさまざまな制約などについて、すべて理解しなければならない。
支部の起ち上げは困難
支部に参加するのと同様、支部の起ち上げは一夜にして起こらない。ヘルズ・エンジェルスのウェブサイトでは「当モーターサイクル・クラブは何年も共にバイクで走り、同じ地域に住み、地域で知られる存在となり、イベントやパーティー運営などをする兄弟のような絆を持つ人達で構成されています。」と説明書きがある。
そのため、支部の起ち上げには何年も、下手すると数十年もかかる。そうして初めて、自分達のグループをヘルズ・エンジェルスの支部にすることができるのだ。こうした理由から、同ウェブサイトには、支部を起ち上げる準備ができているのであれば、どうしたらいいのかといった質問をする必要はないだろうと記載されている。
規律を犯すなかれ
ヘルズ・エンジェルスの規律を犯すと、必ず後悔する立場に置かれる。このモーターサイクル・クラブは秘密を守る忠実なメンバーで構成されているのだから、兄弟を裏切った者に対し、何が行われるのかはまったく分からない。
調査ジャーナリストのジュリアン・シャーによると、グループは規律を犯した元メンバーのタトゥーを燃やしたと述べている。最悪の罰はクラブから除籍されることで、結果的に他のメンバーの誰からも見捨てられることになる。
アポストロフィーがないことを気にするべからず
英語の文法に詳しい人であればすでにお気づきかと思われるが、ヘルズ・エンジェルス(Hells Angels)にはアポストロフィーが欠けている。地獄(ヘル)の天使達(エンジェルス)であるため、ヘルズはHellsではなく、Hell'sとなるべきだ。しかし、このグループは社会の規則を破ってばかりいるため、文法の規則に従わないのも何ら不思議ではない。
ヘルズ・エンジェルスのウェブサイトにはこう記されている。「はい、私たちもアポストロフィーがないことに気づいていますが、ないことを気にしているのは、私たちではなく、あなたです。」それに、このモーターサイクル・クラブが結成される以前、1930年の戦争映画に『Hell's Angels(邦題:地獄の天使)』がすでに存在していたのだ。
メンバーでなくとも商品を購入してクラブを支援できる
メンバーらはヘルズ・エンジェルスのメンバーでもないのにそのロゴを着用している人を嫌っているものの、ヘルズ・エンジェルスのファンも一定数おり、ファンらは商品を買うことでクラブを支援することができる。ヘルズ・エンジェルスにはサポートショップがあり、バイク乗りとしての生き方に憧れる者などは、メンバーでなくともクラブを支援することができる。
メンバーらはこうした支援を喜んでいる。というのも、収益は地元の支部に送られるからだ。商品を売れば売るほど、仲間やその地域の人々が参加できるイベントを多く開催することができる。
薬物には手を出すべからず
屈強な男たち、という評判があるため、ヘルズ・エンジェルスはメンバーらの薬物使用に関してもさほど気にしないのではないかと思うかもしれない。しかし実際には、グループはメンバーの違法薬物の使用にとても厳しい。
トロントを拠点とする支部は『The Star』誌に対し「『快楽のため』に針を使用する、薬物との接触または使用は厳重に禁止されています。」要するに、薬物に手を出すな、手を出したら除籍処分ということだ。
許可なくクラブのウェブサイトへのリンクを貼りつけるべからず
そこまで驚くことでもないかもしれないが、ヘルズ・エンジェルスのもう1つの規則は、事前の同意書がなければ、クラブのウェブサイトのリンクを使用することができないということだ。クラブがいかにメンバーらを守ろうとしているかを考えてみれば、この規則も当然納得のいくものだ。
ウェブサイトにもこう記載されている。「ヘルズ・エンジェルス・モーターサイクル・クラブの事前の同意書なく、当ウェブサイトへのリンクを貼りつけたり、使用したりしてはならない。当該同意書は、ヘルズ・エンジェルス・モーターサイクル・クラブの裁量により、いつでも取り消すことができる。」
プロスペクト、しごきに対して復讐するべからず
ヘルズ・エンジェルスに入会するにあたって、正式にプロスペクトになれたなら、従わなければならない大きな規則がある。それは、いかなる状況にあっても、しごきに対して復讐してはならない、というものだ。プロスペクトからメンバーになるまでのプロセスには暴力が伴われることもあるため、この規則は特に重要だ。
クラブの規約によると、この規則は新入りを軽視するためにあるのではなく、むしろ、人となりを見るためのテストとして見なされている。やられたからといって、ここでやり返すと、正式にメンバーとするためのプロセスを続ける価値はないと見なされる。
公式商品を着用できるのはメンバーだけ
ヘルズ・エンジェルスのファンらは商品を買うことができるものの、公式商品を身につけることができるのはメンバーのみとされている。クラブはベストにワッペンをつけるのと同じくらい、この規則を真剣に受け止めている。
たとえばヘルズ・エンジェルスのふりをして、商品を着用しているところを見つかった場合、メンバーらが報復をしに来ることだろう。クラブを支援したいのであれば、必ず正規のルートで買うことだ。
神聖なワッペン
ヘルズ・エンジェルスに入ったメンバーが年月を経て、クラブ内での階級が上がると、ワッペンが与えられる。こうしたワッペンは神聖なシンボルとされ、敬意を示されるべきであり、細心の注意を払って取り扱わなければならない。
こうした神聖なワッペンを守るための規則はかなり厳重であるため、たとえばメンバーがケガをして治療が必要となったときにも、医者にワッペンを切らせないようにしなければならないと噂されるほどだ。
同意を求むるべし
粗暴だと噂される一方で、ヘルズ・エンジェルスはメンバーに多くの制限を課し、さらにそれを尊重するよう求めている。こうした規則は女性とのやり取りまでに及ぶ。
メンバーは女性と親密な関係になっても、必ず同意を得なければならない。女性をだましたりするような行為は決して許されず、クラブはそうした行為を一切容認しない方針をとっている。この方針を破ったメンバーは、ただでは済まない。
行方不明者についても口にするべからず
ここまで読めば、ヘルズ・エンジェルスはメンバーに関しては秘密主義で、そうすることでメンバーを守ろうとする、きちんとした組織のように見えるだろう。だが、この「守ろうとする行為」は、たとえクラブに関係している人が行方不明となった場合にも変わらない。
ご存知の通り、メンバーは他のメンバーらについてメディアに話してはならないが、クラブに関連しない誰かについて、他のメンバーとも口に出してはならないのだ。これはメンバーらのプライバシーを守るだけでなく、必要な場合には、警察当局からメンバーらを守るためでもある。
条件付きで、ハーレー以外のバイクを認めている支部もある
ヘルズ・エンジェルスでは、メンバーが乗れる唯一のバイクは、ハーレーダビッドソンだと広く認識されている。これは規則の1つとして前述した通りだ。ほとんどの支部がこの規則に従っているものの、支部の中には、アメリカ製のバイクであればハーレーでなくてもいいとしているところもある。
支部によると、こうして認められているハーレー以外のバイクには、ビューエルのバイクがある。これは元々1983年にウィスコンシン州で設立されたメーカーだ。
クラブを一番に優先させるべし
ヘルズ・エンジェルスに入会してしまえば、家族として見なされ、つまり、メンバーの人生で他に何が起こっていようとも、クラブを優先させなければならないということだ。メンバーになるということは、議決権を持ち、クラブに積極的に参加することを意味し、何よりもクラブに重きをおくことが求められる。
これは一生涯をかけての誓約で、たとえ結婚しても、妻はクラブが一番優先されるべきことを理解し、バイカーとしての生き方すべてを受け入れることが求められる。ヘルズ・エンジェルスに入会すれば、他のヨットクラブなどに参加する時間はなくなってしまうだろう。
異文化の受け入れは支部によって異なる
規律や歴史に根ざしたクラブとして、ヘルズ・エンジェルスが文化の違うメンバーを受け入れ始めたのは近年になってからのことだ。これまで、ヒスパニックにルーツを持つメンバーが入会することも珍しくはなかったものの、クラブの主なメンバーは白人だった。
異文化に関していえば、受入れ状況も支部によって異なる。これまでの歴史をそのまま変えずにいる支部もあれば、その点に関して少し規則を緩めている支部もある。
集会には厳しい規則がある
クラブのメンバーは集会のために集まるときにも規則に従わなければならない。こうした指針は『ロバート議事規則』として知られている。1876年に考案されたロバート議事規則は、元々はビジネスの打ち合わせ用として考案されたが、ヘルズ・エンジェルスでも用いられている。
ロバート議事規則を採用することで、メンバーは民主的な会議を持てる。議題から逸脱することなく、必要な場合のみ中断し、集会に先んじて質問を上げることができる。ヘルズ・エンジェルスがもしこれらの規則のうち、1つでも犯せば、およそ1万円程度の罰金が課される。
「厄介な仕事」はプロスペクトがやる
ヘルズ・エンジェルスに入会したければ、まずはヘルズ・エンジェルスのメンバーらの近くでぶらぶら(ハング・アラウンド)することだ。メンバーの誰かが気づいてくれたなら、そこからプロスペクトになれる。プロスペクトになったならば、正式にベストをもらえてメンバーとなるまでのしばらくの間、お試し期間のようなものがある。着ているベストに『ヘルズ・エンジェルス』のロゴやしるしが入っていない場合、そのメンバーはプロスペクトだ。
プロスペクトはメンバーらがやりたがらない仕事を任される。たとえば、他のメンバーが到着する前にミーティングルームの準備を済ますなど。そしてこの「お試し期間」の後、プロスペクトはヘルズ・エンジェルスのロゴをベストに入れることが許され、正式なメンバーとなる。
モーターサイクル・クラブの縄張り
ヘルズ・エンジェルスの中には特定の地域を走行するグループがある。とあるグループがその地域を「主張」したならば、それはそのグループの縄張りとなる。他のギャングらは、それがたとえヘルズ・エンジェルスのメンバーであったとしても、通り抜ける以外に、その地域をたまり場とすることはできない。
ヘルズ・エンジェルスはアウトロー・モーターサイクル・クラブなど、その他のモーターサイクル・クラブと敵対していることが知られているが、ヘルズ・エンジェルスがある地域でたむろしていれば、その他のモーターサイクル・クラブはその地域を主張することはできない。ある都市部においては、メンバーがケガなどで病院に搬送されるような場合にも、それぞれ別のグループのメンバーらが互いに顔を合わせることのないように、別々の病院に送られる。
ヘルズ・エンジェルス、時折慈善活動を実施している
ヘルズ・エンジェルスは危険なギャングだと噂される一方で、ときには慈善事業を実施することもある。毎年、小さな子どもらのためにおもちゃ支援運動をしている。ある時などは、ホームレスを支援する非営利団体『Poverello House』にバイク200台を寄付している。
ヘルズ・エンジェルスはよく慈善活動のためにバイクを走らせており、その時にはメンバーではないバイカーも共に走ることを許している。それでもなお、ほとんどの人がヘルズ・エンジェルスが慈善活動をしていることを知らない。ヘルズ・エンジェルスのモットーには「ヘルズ・エンジェルスが正しいことをしても、誰も覚えていない。ただ間違ったことをしたときには、誰も忘れてくれない。」というものがある。
敬意には敬意で返す
ヘルズ・エンジェルスのメンバーと話すことを怖がってはならない。メンバーらに敬意を示せば、彼らも敬意を示すことだろう。メンバーらは敬意を払うことを重視している。ヘルズ・エンジェルスにインタビューしたジャーナリストは、ヘルズ・エンジェルスらについて「感じが良く」、「信じられないほど居心地の良い」人達だったと評している。
ヘルズ・エンジェルスは近隣の人が困っていれば助け、時には見知らぬ人にも救いの手を差し伸べることで知られている。バイカーらに敬意をもって接すれば、ヘルズ・エンジェルスとやり取りをしても困ることはない。しかし、バイカーらをひどく扱えば、同じようにひどく扱われることだろう。
コンサートでセキュリティとして働く
ヘルズ・エンジェルスのメンバーらがコンサートで突っ立っているのを見かけることがあるかもしれないが、心配ない。コンサートではよくセキュリティとして雇われるのだ。これは1961年、ジョージ・ハリソンがビートルズのコンサートのために、ヘルズ・エンジェルスのメンバーらをサンフランシスコからロンドンに連れて行ったことに端を発している。
それ以来、多くの音楽バンドがヘルズ・エンジェルスのメンバーらをセキュリティとして雇っている。バイカーらはコンサートに行けるばかりか、ついでに収入を得ることもできるのだ。その上、ヘルズ・エンジェルスのプライドを見せる機会でもある。
メンバーの死を追悼する
ヘルズ・エンジェルスはバイクに乗ることを中心として活動しているため、時には死に直面することもある。メンバー、特に若いメンバーが死亡したときには、ヘルズ・エンジェルスはそのメンバーが忘れられることのないようにポスターを貼ったり、そのメンバーの写真を持って走行したり、集まりではそのメンバーについて話したりする。
2019年のことだ。ヘルズ・エンジェルスのメンバーだったクレイ・ハバードが、わずか21歳で自身の誕生日に死亡した。クレイの母親はヘルズ・エンジェルスのメンバーらに怖がりながらも、息子の死を伝えたところ、慰めの言葉をかける者もいれば、駐車場で死んだ息子のために祈りをささげる者までいた。母親はメンバーらにブレスレットを渡したという。そうすることで、息子クレイが「メンバーらと共に走り続けることができる」ことを願って。
地域との関わりが重要
ヘルズ・エンジェルスはグループ内だけで活動しているわけではない。むしろ、地域との関わりを強調し、多くのメンバーが地元で行われる慈善活動やイベントに参加している。ヘルズ・エンジェルスが近所の同じバーや店を支援することも決して珍しいことではない。
ある時、ヘルズ・エンジェルスは地元のバーが非営利団体『SELFスクール』のために募金活動をしていることを知った。この非営利団体は、障害のある子どもやがん患者が利用できる教育リソースを寄付している。すぐにヘルズ・エンジェルスはボランティアでこうしたサプライを購入するための資金を調達できるように手助けした。これはほんの一例だが、ヘルズ・エンジェルスはこういう風に地域コミュニティを支援している。
ヘルズ・エンジェルスのブランドを守れ
ここまで読めば、ヘルズ・エンジェルスのブランドを守ることがメンバーらにとって、いかに大切かがお分かりだろう。しかし、クラブはこのブランドを守るためにどんなことでもするのだろうか。もしかしたら暴力に訴えるのではないかと思った人もいるかもしれないが、実際には、法律に則って行動を起こしている。
ヘルズ・エンジェルスは自分達のブランドを守るため、映画『団塊ボーイズ』公開後のディズニーなど、大企業を数社訴えている。
自分達の規律に従って生きる
おそらくヘルズ・エンジェルスが守るべき最も重要な規律は、自分たちの規律を守ること、だろう。社会が作り上げた規律というのはメンバーには関係ない。一度クラブに入会したのならば、クラブに人生の指針となる規律があるのだ。
クラブについての本の中で、「もちろん、メンバーらは仕事についていなかった。ほとんどのアメリカ人が求めるような、生活の安定や安心などといったものを見下している節があった。バイクに乗り、バーで数日たむろして、売られたケンカを買っていた。驚くべきことに、クラブは自己完結しているとでも言おうか、メンバーらは自分達の規律や行動基準にのみ従って生きているのだ。」
伝説の始まり
ヘルズ・エンジェルスは1948年3月17日に、カリフォルニア州モンタナで結成されたという説が有力だ。ビショップ家をはじめ、第二次世界大戦の退役軍人ら数人が、戦後、さまざまなモーターサイクル・クラブから集まって結成された。
さまざまなニュースや犯罪報道でヘルズ・エンジェルスの名を聞かないことはないが、ヘルズ・エンジェルスは、戦後、バイクの値段が下がって手に入りやすくなったこと、戦後の生活によって、若者に覇気がなくなり、兵隊同士のときのように仲間意識などの繋がりを持ちたいという人が増えたことが結成の理由だとしている。
クラブ名は戦隊のニックネームから
ヘルズ・エンジェルスの名前は、結成当時のメンバーでもあったアーヴィド・オルソンが提案したものだと言われている。オルソンは第二次世界大戦時に中国に展開していたフライング・タイガース「ヘルズ・エンジェルス」飛行中隊に所属していた。
第一次世界大戦や第二次世界大戦当時、アメリカ軍は戦隊に強くて怖そうなニックネームをつけており、「ヘルズ・エンジェルス」はそうしたニックネームの1つだった。
支部、カリフォルニア州全土に広がる
クラブを結成してから、その名は徐々にカリフォルニア州全土に広がり始めた。オークランド支部設立者のラルフ・ソニー・バージャーによると、カリフォルニア州で初期頃に設立された支部は、サンフランシスコ支部、オークランド支部、ガーデナ支部、フォンタナ支部、その他あまり知られていない地域に少しあるのみだった。
当時、支部は支部内のみの繋がりを重視し、存在するその他の支部をあまり意識していなかったようだ。やがて、1950年頃になると、異なるグループが集まり、規模の大きな組織となり、グループ内の規律や入会基準が作られていった。
ヘルズ・エンジェルスは反体制文化の礎
1960年代、ヘルズ・エンジェルスは、特にカリフォルニア州で起こるほとんどの反体制運動に関わっていた。サンフランシスコの中心部にあるヘイト・アシュベリー地区に拠点を構え、地元の音楽イベントや社会的イベントに積極的に参加していた。
さらに、メンバーの多くは、ケン・キージーやメリー・プランクスターズ、アレン・ギンズバーグ、ジェリー・ガルシア、グレイトフル・デッド、ローリングストーンズなど、音楽や思想家・作家など、反体制文化の主だったリーダーと繋がりを持っていた。
悪評を望んでいるわけではない
ヘルズ・エンジェルスは、選ばれた数少ない他のモーターサイクル・クラブ同様、自分達を1%のバイカー・クラブだと呼んでいる。これは1%のトラブルメーカーが99%のバイカーに悪評をもたらすという言い回しにちなんでいる。
1%のバイカー・クラブだと自称し、バイクに乗るギャングら、特にヘルズ・エンジェルスなどにかかわる否定的な固定観念と一線を画したかったのだろうか。しかしながら、多くのメンバーが殺人から麻薬取引などの有罪判決を受けている。
国際的な広がり
当初、ヘルズ・エンジェルスの拠点はカリフォルニア州だけに留まっていたが、1961年には国際的に広がっていった。この年、カリフォルニア州から遠く離れたニュージーランドのオークランドに初めて支部が設立された。これをきっかけに、このモーターサイクル・クラブは世界中に広まっていく。
1969年には、初めてのヨーロッパにロンドン支部が設立された。今やヨーロッパだけでも275以上の支部が存在している。1970年代から現在までに、オーストラリア、ブラジル、南アフリカ、東ヨーロッパなど、支部は次々と設立され、現在では新しい地域での設立も検討されている。
ヘルズ・エンジェルスの衣装
ヘルズ・エンジェルスはハッキリとした方法で、自分達が何者であるかを知らせている。レザーかデニムの「カット(バイクに乗るときに着るベストの意味)」を常に着用し、そのカットの背中部分には、ヘルズ・エンジェルスのワッペンや支部名を示している。
正式なメンバーであれば赤と白の翼を持つ「骸骨」ロゴと、HAMC(Hells Angels Motorcycle Club)の文字、そして81という数字が入っている。81はHells Angelsの頭文字であるHがアルファベット順で8番目、Aが1番目にくることから使われている。メンバーらはクラブで何年も過ごすうちに、この他にもワッペンを受け取ることもあるようだ。
ヘルズ・エンジェルスのメンバーになる
ヘルズ・エンジェルスのメンバーになるのは決してたやすいことではない。たとえメンバーになる手前までこれたとしても、そのプロセスに数年かかることもあるのだ。
まずは、有効なバイクの免許証を持ち、750cc以上のハーレーダビッドソンを所有し、クラブの他のメンバーと団結できる素質がなければならない。児童性的虐待で告発されたことがあってはならないし、警察官や看守の職への応募歴があってもならない。その他の要件については、一般には知られていない。
ハング・アラウンド
要件を満たしていると見なされた後、入会見込み者は「ハング・アラウンド(見学者)」となる。プロセスはここから始まるのだ。ハング・アラウンドはクラブの集まりに招待され、オープンな集会場では他のメンバーに会うこともできる。
ハング・アラウンドになることによって、他のメンバーと出会い、繋がりを持ち、ヘルズ・エンジェルスのメンバーとしての生き方を少し体験することができる。
次に、プロスペクトになる
ハング・アラウンド(見学者)になってしばらくして、それでもヘルズ・エンジェルスのメンバーになりたいと思う場合、「アソシエイト(準会員)」になることができる。アソシエイトとして数年間、イベントに出席したり、メンバーらと共に走行したりして、クラブにとって自分が価値あるメンバーになるということを証明するのだ。そして、どのくらいの期間かは不明だが、アソシエイトとして過ごした後に、プロスペクト(候補生)になることができる。
プロスペクトは非公開の集まりにも参加することができるが、クラブの事業活動などについて投票することはできない。さらにプロスペクトは、クラブの正式なメンバーとするプロセスを始めるかどうかを決定するメンバーによって、評価される。プロスペクトは支部のある州または地域の名前の入ったワッペンがついたカット(ベスト)を着用することが認められている。
正式なメンバーになるには全票を投じられること
最後のステップは、正式なメンバーとして票を投じてもらうことだ。そう、正式なメンバーになるため、プロスペクトは支部のメンバー全員に満場一致で認められなければならない。しかしながら、大抵の場合、プロスペクトは投票の前に自己紹介をするなど、クラブに入りたい熱意を伝えるために地域の支部を訪れて根回しを怠らない。
メンバーになりたいと希望する支部に認められた後、ベスト上部につけるヘルズ・エンジェルスの文字の入ったワッペンと、翼のついた頭蓋骨のワッペンを入会式で手渡される。正式なメンバーとして認められることを、「ワッペンを付与された」という言い方で表すこともある。
「外道」と「Dequiallo」ワッペン
トニー・トンプソンの著した『ギャング(Gangs)』の中で、トンプソンは特定の行為をしたメンバーに与えられるワッペンがあると記している。そうしたワッペンの1つは「外道(Filthy Few)」という言葉とナチスっぽい稲妻の入ったものだ。これはクラブのために殺人を犯した、または犯そうとしたメンバーに送られるワッペンだという。
他にも「Dequiallo」ワッペンというものもある。これは逮捕されるときに、警察当局に暴力をふるった者が身につけることができるという。他にも、クラブへの献身や、あることを成し遂げたことを示す秘密のワッペンがある。
ハンター・S・トンプソンとヘルズ・エンジェルス
「ゴンゾー」ジャーナリストのハンター・S・トンプソンは、実は、ヘルズ・エンジェルスによってジャーナリストとしてのキャリアが始まったとも言える。『ヘルズ・エンジェルスー地獄の天使たち 異様で恐ろしいサガ』を執筆するため、実際に1年間クラブに入って過ごしたのだ。ヘルズ・エンジェルスの生き方に従い、共にバイクで走った。
しかしながら、トンプソンとクラブとの関係性が悪化する。トンプソンは自分の妻に手をあげた男性を止めようとして、結局のところ、制裁を加えられることになった。さらに、ギャングらはトンプソンが個人的な利益のためにクラブを利用しているとし、その利益の取り分を要求した。トンプソンの本は売れて成功を収めたが、グループには一銭も払わなかった。
オルタモントの悲劇
1969年オルタモント・スピードウェイで開催されたコンサートで、ヘルズ・エンジェルスはセキュリティとして雇われた。実際に誰がクラブを雇ったのかについては、まだ議論が続いているものの、ファンやミュージシャンらも、セキュリティとしてヘルズ・エンジェルスを雇うことについては否定的だった。
騒々しい観客を殴った上、メレディス・ハンターという名の男が拳銃を抜いたため、深刻な事態となった。ヘルズ・エンジェルスのメンバーらはすぐさまハンターに飛びかかり、地面に倒れたハンターをパサーロという男が刺し殺したのだ。パサーロは殺人罪で逮捕されたが、映像によりハンターが銃を保持しているのが確認され、パサーロは自己防衛のために刺したのだということで、無実となっている。
『サンズ・オブ・アナーキー』大まかにクラブについてを描いている
カート・サッターにより制作されたフィクションテレビドラマ『サンズ・オブ・アナーキー』は大まかにではあるが、ヘルズ・エンジェルス・クラブを基にしている。このドラマの多くの出来事と筋書きは、ヘルズ・エンジェルスでこれまでに起こった実際の出来事に基づいている。
さらに、デヴィッド・ラブラヴァやチャック・ジトー、ラスティ・クーンズ、ソニー・バージャーなど、本当のメンバーまで出演している。カート・サッターはラブラヴァを技術アドバイザーに据え、モーターサイクル・クラブについて、できるかぎり事実に近づけて、正確に表している。ラブラヴァはドラマの中でも「ハッピー・ローマン」という大きな役どころを演じている。
ソニー・バージャーこそ、ヘルズ・エンジェルスだ
長年にわたり、ソニー・バージャーはヘルズ・エンジェルスの顔と権威だった。支部にはそれぞれ支部長がおり、それぞれで自治が行われているが、ソニー・バージャーはみんなの尊敬を集める男だった。ソニーはオークランド支部の支部長でもあり、設立当初からのメンバーだったのだ。
78歳にして、未だにバイクに乗っているソニーは、クラブの中でも最もメンバー年数が長く、人生の大部分を刑務所に入ることなく過ごした。1988年に敵対するギャングのクラブハウスを爆破しようとした罪で4年間服役したが、それ以外は比較的、厄介ごとに関わらずにいたようだ。こうした評判によって、ソニーは数多くの映画やテレビ番組に出演し、自身の人生やクラブについての本を出している。
モーリス・「マム」・ブーシェ
ソニー・バージャーがヘルズ・エンジェルスの顔であり、クラブの良い面を表しているとすれば、モーリス・「マム」・ブーシェはその対極だ。モーリスはクラブ史上最も悪名高い支部長だったと言える。モーリスは8年間続いたケベック・バイカー戦争中にモントリオール支部長をつとめ、現在は殺人罪と麻薬取引で3度の終身刑を言い渡されている。
ヘルズ・エンジェルスのメンバーとなる前、モーリスはSSと呼ばれる白人至上主義者ギャンググループのメンバーだった。また、モーリスはレノックスビルの大虐殺に関わっており、クラブ史上最も冷酷な支部長だと言われている。
クラブ、訴訟の経験あり
ヘルズ・エンジェルスは、ただのバイク好きの集まりというよりも、もっと大きな組織として進化しているため、それなりの法律的なもめ事にも関わっている。2007年、ヘルズ・エンジェルスは、ディズニーが映画『団塊ボーイズ』で許可なくヘルズ・エンジェルスのロゴを使用したとして訴えを起こしている。
さらに、2010年には、ヘルズ・エンジェルスのトレードマークでもある翼の生えた頭蓋骨を不正使用したとして、アレキサンダー・マックイーンを相手取り訴訟を起こしている。また、サックス・フィフス・アベニューとザッポス・ドットコムに対しても、シンボルを付けたリングを販売しているとして訴えている。2012年には、「頭蓋骨」ロゴが入っていたヨーヨーを販売したとして、トイザらスに対し訴訟を起こしている。これらは、クラブが自分達のブランドを守るために起こした数多くの訴訟の中でも、ほんの一握りに過ぎない。
ジョージ・クリスティ、ベンチュラ支部長
ジョージ・クリスティはカリフォルニア州のベンチュラ支部の元支部長だったが、クラブ史上最も長く支部長を務めた者の1人だった。2001年に疑惑のうちにクラブを去ったが、どうも警察に協力しており、そのせいでクラブでの立場が悪くなったためではないかと噂されている。
しかし、2013年に、ジョージはベンチュラのタトゥーショップを恐喝し、火炎瓶を投げ込んだ罪で、懲役1年の判決を受けている。その後、ヒストリーチャンネルの番組『Outlaw Chronicles(無法者の物語)』の制作に携わり、本の発売を予定している。
ベンチュラに拒否される
ヘルズ・エンジェルスの支部長を務めたジョージ・クリスティ・ジュニアだったが、2003年にベンチュラ郡フェアへの参加を拒否されている。前年の2002年にも、ギャングの服装やタトゥーを禁止した方針に違反しようとしたとして拒否されている。
「これは一つには、憲法上のことですが、それをはるかに超えています。私はヘルズ・エンジェルスを軽く考えたりしていませんし、単に週末の趣味としてやっていたわけではありません。一日24時間ずっとヘルズ・エンジェルスをやってきました。生涯を捧げてきましたし、宗教のようなものだと思っています。」とジョージは語っている。