数十年後に発見された盗難車にまつわる不思議な話
想像してみよう。家から一歩踏み出して見ると、自分の車が盗まれているのだ。こんなことは悪夢でしかないが、残念ながら、こうしたケースも少なくないのが事実だ。車の所有者は盗まれてしまった車の代わりを見つけるか、もしくは他の移動手段を探さなければならない。もし、思い入れのある車だったりするともう惨事だとしか言いようがない。警察に盗難届を出したとしても、数ヶ月、もしくは数年かかってやっと見つかることもあれば、最悪の場合、見つからないことだってある。今回の物語は、これまでに見聞きした盗難車についての話の中でも、かなり奇妙なものだろう。
水中で何かを発見
シャロン・アン・シャンパーニュは、パリから160キロメートルほど離れたフランスのグラン・テスト地域圏にある都市だ。そこにある泥で濁った池の中で見つかったものは、フランス警察を啞然とさせた。
当時、フランスを襲った干ばつによって、池の水位はすっかり下がっていた。2017年8月28日、池の中から何か奇妙なものが出てきたとして、警察が呼ばれた。
池から引き上げられた車
通報を受けた警察が駆けつけたところ、池の底に横たわっていたのは、プジョー104だった。ザリガニが住みついていたようだが、驚くべきことに、車の状態はさほど悪くなかった。池から引っ張りあげられた車を地元の整備場に持ち込むと、長い間ずっと水の中にあったにもかかわらず、かつて70年代の典型とも言えるフランス車が、変わらぬ姿のままそこにあったのだ。
「車は104そのままでした。塗装もまだ青く、バンパーのクロムメッキまで残っていたのです。」と整備士はテレグラフ誌に語っている。
40年間も池の中に
「驚いたことに、座席の状態も悪くありませんでした。色もベージュだったんですが、そのままでした。ナンバープレートだって、そのまま読むことができたんですよ。」と整備士は付け加えた。ナンバープレートが判読可能だったことから、警察はシステムを使って調べることができた。そして、そのプジョーが1979年、つまりおよそ40年前に盗難届が出されていた車であることが判明する。
さらに、警察は車の盗難届を出した元々の所有者を突き止めた。この所有者はおそらく盗難車がもう見つかることはないだろうと諦めて保険会社に申請し、補償を得ていたのだった。
すべての盗難車にハッピーエンドがあるわけではない
所有者はすでにお気に入りのプジョー車が盗まれたことについて諦めていたとは言え、やっと見つかったと聞いて喜んだ。復元された状態で置かれているかつての愛車を最後に一目見ようと、ガレージまで足を運んだほどだ。
「私たちから連絡を受けて、とても驚いていました。というのも、所有者の彼女にとっても、愛車が盗難にあったということ自体がすでに昔のことでしたから。」と、警察はテレグラフ誌に語っている。だが、盗難車すべてにこうしたハッピーエンドがあるわけではない。オレゴン州のとある車には、また違った結末があった。
誰もこんな目にあいたくない
1991年1月20日、オレゴン州メドフォードにあるサウスサイド・シネマから出てきたポルシェ924の所有者は、不運にも愛車が盗まれていることに気づいた。すぐさまジャクソン郡保安官事務所に盗難届を出し、そこから紛失した車両の捜索は始まった。
当時の所有者の気持ちがどのようなものであったのかはまったく分からない。だが、1つ明らかなのは、非常に高価なものを盗んだ人がいる、ということだ。
特別なポルシェ車
多額の金を費やして自分で購入したのか、贈り物として買ってもらったのかは分からないが、愛車を盗まれた所有者は、酷く落ち込んだことだろう。いずれにせよ、ポルシェ924は特別な車だということは紛れもない事実だった。
1991年時点において、ポルシェ924はポルシェとして完全オートマチックが装備された初めての車種であり、もうこうした仕様が生産されていないことからも、盗難時にはビンテージカーとなっていた。
あちこち手を尽くして捜索したものの…
ポルシェ924は他の車とは違った特徴的な外観を持つことからも、警察は難なく見つけられるのではないかと思うかもしれない。しかし残念ながら、そんなに簡単なことではなかった。警察はあちこち捜索の手を広げたものの、見つけることはできなかったのだ。
それから20年が過ぎ、車のことはほぼ完全に忘れ去られていた。このポルシェ924を見つけることは不可能で、所有者でさえも愛車を取り戻すことをほとんど諦めていた。しかし不思議なことに、2017年後半、保安官事務所は奇妙な電話を受ける。
散歩中の男性、車の残骸を発見
2017年11月28日までに、車が盗難にあってから26年もの年月が過ぎ去っていた。この日、ジャクソン郡保安官事務所に1本の電話がかかってくる。それは地方にあるハイキングコースで何か奇妙なものが見えた、という内容のものだった。
犬を連れてハイキングコースを散歩をしていた男性は、コースから少しそれたところで何かの残骸を見つけたのだという。男性ははじめ、最近衝突事故か何かがあったのだろうと考えた。そこで、発見者であれば誰でもそうするように、警察に通報したのだ。
警察、現場へと急ぐ
残骸を発見した男性は、車がひっくり返っていることに気づいた。衝突事故は思ったよりも酷いものだったのかもしれない。警察は事故現場で人命救助のため、さらには何か犯罪が関わっているのかどうかを確認するために現場に急いだ。
現場検証をした警察は、これが実際に犯罪とかかわりがあるもので、かつ、発見したものが本当は何であるかを知って驚いた。
そう、それは盗まれたポルシェだったのだ
まるでその車はかなり長い間そこにひっくり返っていたようだった。警察がナンバープレートについたタグを確認すると、なんと1991年のものだったのだ。車両登録や免許を扱う部局であるDMVの記録を調べると、20年以上も前にメドフォードの映画館前で盗難されたと届が出された車であることが判明した。
ついに車を見つけたが、警察はどうして車が林の中でひっくり返っていたのかを調べなければならなかった。
未解決のまま
この車について分からないことは多かった。車がそこにどのくらいの間あったのかもわからず、どのようにしてそこに運ばれたのか、そして誰が運転してきたのか、謎だらけだった。
警察は独自の結論に達した。「車の上に高く積もっていた木の枝や葉から、長い間そこにあったのだろうと予測される。登録証は1991年で切れている。」保安官の報告書にはそう書かれている。
車の横を見た警察、ギョッとする
警察は、何か手がかりが得られないかと近づいた。車は長いこと捨てられていた様子で、そもそも誰がこのポルシェを盗んだのかについても追跡することはできなかった。
しかし、車の横に何かを見つけた警察は驚く。実際、ひっくり返った車のそばに散らばっていたのは骨だった。この時点で、何か別の犯罪とも繋がっているようだった。
発見された骨で被害者を割り出す
骨を発見してすぐ、警察は科学捜査チームを呼んだ。幸いにも、これは人間の骨ではなく、鹿のものだった。
おそらく、ポルシェは鹿と衝突した勢いで、林の方へと車がひっくり返ってしまったのだろう。運転していた者は奇跡的にも車から脱出し、逃げたに違いなかった。だが、犯人に繋がる手がかりが何もなく、警察は次の手を考えた。
未解決のケース
最終的には、警察は盗難車を発見したと言えるだろうが、それでもこのケースは結局のところ結論が出ないままだった。元々の所有者に連絡を取ろうと試みたが、連絡がつかなかった。結果、未解決のままとするしかなかったが、それでも林の中からひっくり返った車を撤去する方法を見つけなければならなかった。
「車両はちょうど崖の下に位置しており、上の道路からこの車を見つけるのはほぼ不可能…。車があったのは、起伏が多い地形の中でも勾配が急なところにあり、撤去する手段も限られ、周りの環境への影響についても考慮しなければならない。」と、報告書には記載されている。
珍しくはないようだ
当然のことながら、これは特殊なケースではない。世界中の盗難車が数十年も後に見つかったり、しかも、何も知らない人が発見者となったりする。ある日、カリフォルニア州の子ども達に起こったのも、まさにこういったケースだった。
1978年、ロサンゼルスに住む2人の子どもが家の外で遊んでいた。おそらく海賊ごっこなどをしていたのだろうか、隠された秘宝探しごっこをしていた。そして、この日が2人にとっては忘れられない日となるのだ。
泥の中で、何か変わったものが触れる
ロサンゼルス南部のウェスト119通りに住む2人の子どもが家の外で泥まみれになって遊んでいた。その時、2人は泥水の中で、足に何か奇妙なものが触れると感じたのだ。
すぐに2人はちょうど近くにいた警察官を呼びとめた。そこに居合わせたのは、ルノックス郡保安官支部に所属する巡査部長のジョー・サバスとデニス・キャロルだった。「子どもらはサバスとキャロルに、何か車の屋根みたいなものが地面から出てきた、と伝えた。」とロサンゼルス・タイムズには書かれている。
新品同様のフェラーリが!
翌週、捜査員らが土の中を掘り返したところ、まったく予想もしなかったもの、なんと緑の1974年式フェラーリが出てきたのだ!フェラーリ・ディーノ・246GTSが子どもらが遊んでいた裏庭に埋められていたのだ!しかし、どういった経緯で埋められていたのかはまったくの謎だった。しかもその車、ほぼ完璧な状態で、少なくとも730万円もの価値があったのだ。
捜査を進めていくと、その車の所有者はアルハンブラに住むローゼンド・クルスという名の男性で、1974年、車の購入からわずか2ヶ月後に盗難届を出していた。
どうしてなのか、謎のまま
「しかし、誰もどうやって、しかも近所の人に見られることなく埋めることができたのか分かりませんでした…。現在の居住者も、家の所有者も、車のことについてまったく知らなかったというのです。と捜査官は話している。そのためこの埋められていたフェラーリについては、未解決のケースとなりました。」とロサンゼルス・タイムズは伝えている。
一方、クルスの方はというと、盗まれた愛車が再び戻ってくることはなかろうと、保険によって補償を受けている。さらに、後に明らかになるが、車は偶然そこにあったわけではなかったのだ。
意図的に『盗難にあった』?
ローゼンド・クルスの盗まれた愛車は、警察では『窃盗』により紛失と記録されていた。ファーマーズ・インシュアランスはクルスの状況に同情的で、合計230万円以上の支払を行っていた。しかし実は、クルスはすべてを最初から計画していたのだ。
長い時間を経てフェラーリが裏庭から掘り起こされたこのニュースがどうしても気になったレポーターらは粘り強く調査を進めていったところ、このディーノ・フェラーリは保険金詐欺に使われただけということが明らかとなった。
すっかり忘れ去っていた
ジャロプニクの記者は車について、さらに1978年当時、現場に駆けつけた警察官の1人に話を聞いたりして独自に調べ始めた。退職していた当時のキャロル刑事によると、どうやってその車が裏庭に埋められたかについて、警察にタレコミがあったのだという。
どうやらクルスは数人に金を払って自分の愛車フェラーリを盗ませ、部品を売って、海に車体を沈める計画だったのだという。だが実行犯らは海に沈める代わりに、フェラーリをキープしようとして、いつしか掘り起こすことを忘れ去ってしまったようだ。
全米を横断したコルベット
1968年、マンハッタンに住むアラン・ポスターは愛車のシボレー・コルベットを盗まれた。もちろん、貴重な愛車が盗まれたことにショックを隠せなかったアランだが、それが何千キロメートルも離れたところで見つかろうとは夢にも思わなかった!
アランのケースで最悪だったのは、盗難を補償する保険に加入していなかったことだ。つまり、盗難にあったが補償をしてもらえないということだ。この盗難事件から37年の年月が経った後、なんとカリフォルニア州ロングビーチで見つかったのだ。
何十年ぶりかの再会
結局のところ、アランが保険をかけてなかったために補償してもらえなかったのだが、幸いだったのは、車がついに見つかったとき、所有者として登録されたままだったということだ。もし保険をかけており、保険金を請求していたならば、こんなことは起こらなかっただろう。
さらに驚くべきことに、2006年にアラン・ポスターはカリフォルニア州北部に移り住み、ビジネスマンとして成功を収めていた。カリフォルニア州で再び巡り合えるなんて、まるで運命のようだ!
憧れの車
ニューヨークで育ったカイル・クロプシーは、いつもビーチでくつろいでいた。10代後半、ビンテージカーに惹かれたクロプシーだが、これによって彼の物語が驚くべきものになる。
憧れの車を見つけたとき、すでにクロプシーは申し分のない生活を送っていたが、この車をいつか手に入れることによって、自分の人生が完璧になるような、そんな気がしていた。ただ、辛抱強く待つしかなかった。人生で最高のものは、待つことができる者にやってくるのだ。
偶然出くわす
カイルがついに憧れの車を見つけたとき、カイルがどこにいたのか、何をしていたのか分からないが、ただ、この車をどうにかして手に入れたいと思った。1971年式のフォルクスワーゲン・バスの所有者を探して、この車を売却する気がないのかと聞かずにはいられなかったのだ。
フォルクスワーゲンはすでに何年も前にこの車の製造を停止していることもあり(2020年に再開)、カイルにとってその車は完璧だった。たとえ、返事が色良いものでなかったとしても、チャンスを掴みたかった。
メモから始まった
カイルはすぐにその車の所有者にあて、いつしかその車を売却したくなったとき、自分に知らせてほしいというメモを書き残し、そのメモをドアの下に挟んだ。
メモを挟んだからといって、何が起こるわけでもないと思っていたカイルは、その車の前で記念写真を撮影した。当時16歳だったカイルは、どうしても夢の車と写真を撮るチャンスを逃したくなかったのだ。幸い友人が近くにいたこともあり、自撮りせずとも友人に写真を撮ってもらえた!
年月を経て
以降8年間、カイルは必死にフォルクスワーゲンのタイプ2ミニバスを探し、購入しようとするが、うまくいかなかった。そこで、似たようなタイプのバンを購入したものの、本物の憧れの車には到底及ばないため、カイルは引き続き待つことにした。
カイルが待ち続けている一方で、ミニバスの所有者は実はオークランドで状況が変わっていた。これがカイルの運命を変えることとなる。カイルが長い間欲しかった車は、ついに手が届きそうになっていた。しかし、まずは所有者側の状況をお伝えしよう。
オークランドで起こったこと
長い年月が経ち、悲しいことだが、ミニバスの所有者は亡くなっていた。車は息子のクリス・ミードに譲られ、クリスは亡き父の資産の管理を任されていた。
メモが見つかったのも、この時のことだった。クリスが遺品の整理しているときに、本からしわくちゃになった紙が落ちた。クリスはそのメモを読み、おそらく亡き父はこのメモのことを単に忘れ去ってしまっていたのだろうと考えた。
難しい決断
クリスは難しい決断を迫られていた。メモを書いた人物に連絡を取れば、簡単に車を処分することができる。だが、簡単に処分をしたいわけでもなかった。というのも、その車は亡き父の愛車だったのだ。どこの誰とも分からない人に簡単に売ることはできなかった。
父親はその車をとても大事にしていて、マチルダという名前までつけていた。クリスは、亡き父がまるで自分の子どものようにその車を大切にしていたことを覚えていた。さて、クリスはどうすることにしたのだろうか。
状態は至って良好
カイルに連絡する前にクリスが確認しなければならなかったのは、その車が実際に安全に動く状態にあるのかどうかということだった。コーネリアス(父)はマチルダに乗ってあちこちに行っており、走行距離計は最大値を示していたのだ。
コーネリアスはマチルダを乗り回していたものの、とても大切にメンテナンスを行ったため状態はまったく悪くなかった。この事実からクリスは決意した。マチルダは確かに古いが、まだ走れる。大切に乗ってくれる人のところに行くべきだ。
もう1つの問題
この時点で、クリスは手紙の主に車を売却しようという気持ちでいた。しかし、問題はもう1つ残っている。手紙を受け取った時点から8年間も経った今、カイルはまだこの車に興味を持ち続けているのだろうか?
もちろん、ここまで読み進めた読者はその答えを知っているだろうが、クリスには皆目見当もつかなかった。カイルは心にあいた穴を他の車で埋めようとしたものの、あいた穴は埋まらなかったのだ。さて、クリスは電話を手に取りカイルに連絡し、運命の再会がもう間もなく果たされる!
カイル側の問題
カイルに連絡を取ることは簡単だった。8年も前に残したメモの返事が今頃くるなんて信じられなかった。だが、この年月の間に、カイルは儲かる仕事についていたわけではなかった。
クリスはミニバスに16万円弱の値段をつけたものの、一介の教師に過ぎないカイルにとってはそれでもすぐに払えるお金ではなかった。ただ、そんなにたくさんの資金はなくても、できることならば、どうにかして購入したいと考えていた。さて、どうなったのだろうか。
物語の結末
16万円弱の値段をつけたものの、クリスは亡き父の遺志を尊重し、ミニバスを大切にしてくれる人に売りたいと考えていた。そして、まさしくカイルこそ、マチルダを大切にしてくれる人だった。クリスはカイルにミニバスをプレゼントすることに決める。
カイルはクリスの申出に衝撃を受けたが、ありがたく引き受けた。そしてマチルダに新しい塗装を施して、運命の再会を喜んだ。現在、クリスとカイルは未だに連絡を取り合い、カイルがマチルダに乗って行った場所などについて話している。
無くなった車
イワン・シュナイダーが35歳のとき、人生は順風満帆に進んでいた。ちょうど法廷弁護士になったばかりで、マンハッタンのアパートを借り始め、ずっと憧れていたジャガーのオープンカーを買ったのだ。
しかし、ジャガーを購入してまもなくその車が紛失する。数十年が経過し、初めはいつしか再び愛車と出会えるだろうと信じていたシュナイダーだが、残念ながら、時の経過とともにその望みは薄れていった。そして、2014年信じられないことが起こる。
人生に一度きりの電話
2014年には、すでにシュナイダーはジャガーを見つけることを諦めていた。82歳になっていたシュナイダーはマイアミビーチで悠々自適な生活を送っていた。そんなとき、1本の電話がかかってくる。46年も経過していたが、シュナイダーの車がオランダ行きの積み荷の中から見つかったのだ!
シュナイダーはすぐには信じられなかった。「すごいよ!奇跡だと思ったよ。二度と(盗まれた)愛車を見ることはないだろうと思ってたから。」と、オレンジ・カウンティー・レジスターに語っている。しかも、信じられなことに、見つかったのはシュナイダーの愛車のジャガーだけではなかったのだ!
持ち主はすぐに見つかった
イワン・シュナイダーの車と共に、捜査当局はメルセデスベンツ2台、コルベットとカマロを1台ずつ発見している。当局はこれらの車を発見した後に、持ち主に返す作業にあたった。
元々の持ち主を見つけ出すため、当局は車の識別番号を追跡していった。盗難車と登録されていたことから、警察のシステムでもすぐに見つかった。誰がジャガーを盗んだのか、そしてこれまでの期間何が起こったのか分からないが、ついに愛車に巡り合えたことで、そうしたこともどうでもよくなるほどだった。
本当に盗難?!
車を止めたはずのところに車がなかったら、一般的にそれは盗難として報告される。これこそ正にフランクフルトで起こったことだ。1997年、とある男性は通りに止めたはずの車が見当たらず、盗難届を出した。
どうしてどこに車を止めたか思い出せないのか分からないが、おそらくバーで飲み過ぎたのではなかろうか。警察から電話があったのは20年後だが、ショックだったに違いない。
駐車した場所
作業員が車を発見して警察に通報したときには、車はガレージにまるで捨て置かれているかのようだった。作業員はビルの解体前に、建物内を調査していてその車を発見したのだった。
警察は男性を車のある場所まで連れて行った。残念ながら、すべての再会がハッピーエンドで終わるわけではない。車の検査を行った結果、安全に運転することはできないということが判明した。男性には修理するだけの金銭的余裕がなかったため、車を当局の手にゆだねたが、すぐに廃車となることが知らされた。
珍しい宝物
ボブ・ラッセルは少数しか存在しない1967年式のオースティン・ヒーレー3000を所有していたが、盗難にあう。およそ30万円で購入したのだが、すぐに手放すことになるとは思ってもいなかった。
悲しいことに、一瞬のうちに無くなってしまったのだ。ヒーレーに何が起こったのだろうか。どこに止めたのか忘れたのだろうか。いや、ラッセルの場合、実際にこのレア車は盗まれたのだが、発見された場所はかなり衝撃的だった。
40年間も行方不明
ラッセルのオースティン・ヒーレーの捜索は、なんと40年以上も続いた。ラッセルはあらゆる手を尽くして調べた。警察も捜索の手を尽くしたが、何も見つからなかった。ただ、ラッセルは諦めることができず、探し続けた。
その後、インターネットが普及し、事態は変わった。ラッセルは愛車を見つけ出すためにインターネットを駆使した。オークションサイトのeBay(イーベイ)で検索し、いつか愛車がリストされるのではないかと望みを捨てなかった。「5月11日、金曜日のことでした。いつものように検索したとき、私の車があったんです!まさか、本当にまだ車があったなんて、信じられないほどでした。」
愛車を取り戻すための戦い
ラッセルのオースティン・ヒーレーはイーベイで売られていたが、出品者にこの車は販売できるものではないということを納得させるのは容易ではなかった。まず、愛車のVINナンバーが出品されている車のものと一致していることを証明しなければならなかった。
さらにラッセルは自分が所有者であることを証明するための書類を探し出し、友人による証言も一緒に出品者に提出した。しかし、小さなテキサスの街に住む男性にとって、何十年ぶりかにやっと愛車を取り戻すことができたのだから、こうした手間もかけた甲斐があったというものだ。