歴史に残る有名人たちの貴重な若かりし頃の写真
歴史上の有名人と言えば、有名になってからの姿しか思い浮かばない人も多いのではないでしょうか。年を重ねてから有名になった人も多く、私たち一般人に知れ渡っているのはほとんどが年を取ってからの姿です。もちろん、有名人にだって若かりし頃はあります。ということで、今回は歴史上の人物の知られざる若き日の写真をご紹介していきましょう。
マハトマ・ガンディー
モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディーとして生まれたマハトマ・ガンディーは、インドの英国からの独立のための平和的運動を指揮した公民権運動のリーダーです。
19世紀から20世紀の間、活動が評価されたガンディーは世界中で人権主義のシンボルとして扱われるようになります。平和的な抵抗と公民権のお手本として、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアなど他のアクティビストたちがガンディーに影響を受けました。ガンディーの誕生日である10月2日は、現在「非暴力の日」として知られています。
マザー・テレサ
マザー・テレサは、のちにカトリック教会からコルカタの聖テレサと呼ばれるようになったアルバニア系インド人のローマカトリック教会の修道女です。活動の一環として、助けを必要としている人たちに人生を捧げる133か国以上の修道女をまとめる「神の愛の宣教者会」を創立しました。
マザー・テレサは生前、マグサイサイ賞、ノーベル平和賞を受賞し、2016年9月には聖人と列聖されています。数々の慈善活動が評価されている彼女ですが、現在でも物議を醸しだす人物として認識されています。
リチャード・ニクソン
アメリカ共和党メンバーのリチャード・ニクソンは、カリフォルニア代表の上院議員として政治界でその名をとどろかせました。1969年から1974年には、アメリカ合衆国第37代大統領を務めています。
大統領時代はアメリカ合衆国環境保護庁を設立し、ベトナム戦争の終焉を見届け、アメリカ、ソ連、中国間の緊張緩和に努めます。また、ウォーターゲート事件後、自ら辞職した初めての大統領となりました。
アルベルト・アインシュタイン
1879年ドイツで生まれたアルベルト・アインシュタインは、歴史上最も天才的かつ革命的な物理学者であると考えられています。科学界における最大の貢献は「相対性理論」ですが、量子力学研究においてもかなり影響を及ぼしています。どちらの分野も現代物理学の基本です。
質量・エネルギー保存則は世界でもっとも有名な方程式であり、アインシュタインを「天才」と称する声も少なくありません。
フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ
2,100作以上を世に送り込んだポスト印象派の画家であるフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。全体の作品のうち860作が、死の直前の最後の2年間に書かれた油絵です。
生前はあまり有名ではありませんでしたが、死後、自画像、風景画、静物画などが評価され、西洋で最も影響力の強い画家のひとりに称されています。残念ながら心を病んでいたゴッホは、1890年に37歳の若さで自らの命を絶ちました。
エリザベス女王
ヨーク公アルバート王子とエリザベス妃の間に1926年誕生したエリザベス女王。のちに父親がジョージ6世として即位します。1952年に父親が崩御し、彼女はエリザベス2世としてイギリス女王となりました。
最も在位期間の長い長命な英国君主であるエリザベス女王は、世界的に見ても最長在位期間かつ最高齢の女性君主です。現在もなお、その人気が衰えることはありません。
ヒラリー・クリントン
ウェルズリー大学を卒業したヒラリー・クリントンはイェール大学にて法務博士を取得し、ここで将来の夫となるビル・クリントンに出会います。弁護士として成功を収めたクリントンは、1993年から2001年の間アメリカ合衆国のファーストレディを務めました。
ファーストレディとしては、医療制度改革を支持したくさんのプロジェクトを指揮してきました。第67代アメリカ合衆国国務長官を務めたのちに、アメリカ大統領の初の女性候補者に指名されています。
セオドア・ルーズベルト
たくさんの称号を持つ男、セオドア・ルーズベルト。第33代ニューヨーク州知事、第25代アメリカ合衆国副大統領、第26代アメリカ合衆国大統領(任期:1901年~1909年)を務めました。
政治的な成功のみに留まらず、ナチュラリスト、歴史家、作家、自然保護活動家としても知られていたルーズベルト。大統領に任命された最年少の政治家であり、リーダーとしては革新的な政策と数々の画期的な功績が知られています。
ヨシフ・スターリン
十月革命を受けて新しく設立された共産党のリーダーになる前の若かりし頃、ロシア社会民主労働党に所属していたヨシフ・スターリン。1927年から1953年まで存在していたソ連の設立に一役買いました。
ソビエト連邦は元々集団指導を採用していましたが、権力を統合したスターリンは同国の独裁者となりました。権力を握っていた時には個人崇拝の的となっていましたが、何千人もの死を引き起こすきっかけとなる恐ろしい行いをしてきた人物でもあります。
ウィンストン・チャーチル
1874年に誕生したウィンストン・チャーチルは、現代史の中で最も称えられているイギリス人の1人です。第2次世界大戦中の1940年から1945年にイギリスの首相を務め、1955年から1951年に再び首相の地位に就いています。
自由党のメンバーとしてキャリアを開始したチャーチルですが、キャリアの大半は保守党として活動しています。首相を務めただけでなく、チャーチルは兵士、画家、歴史家でもあり、1953年にはノーベル文学賞を受賞しました。
パブロ・ピカソ
キュビスムの創始者のひとりとされているパブロ・ピカソは、様々な媒体で創作をしたスペイン人の芸術家です。人生の大半をフランスで過ごしました。幼いころから芸術家としての才能をにじませていたピカソは、年を重ねるごとにより実験的な芸術に傾倒していきます。コラージュと構成彫刻を生み出したのもピカソです。
今日、ピカソの作品はアートスタイルごとに分類されており、彼は20世紀で最も影響力のある人物の1人に数えられています。
ジェラルド・フォード
1949年にミシガン州の第5地区の代表として始まった、ジェラルド・フォードの政治キャリア。代表としては25年間従事しています。スピロ・アグニューの辞任後は、アメリカ合衆国憲法修正第25条に基づいてニクソンに指名され、アメリカ合衆国の副大統領に就任します。
ニクソンが大統領として辞任すると、第38代アメリカ合衆国大統領に昇格。フォードは現在もなお、市民やアメリカ選挙人団によって選出されていない、唯一の副大統領・大統領です。
ハリー・トルーマン
アメリカ合衆国の第33代大統領であるハリー・トルーマンは、ミズーリ州で生まれ育ち、第1次世界大戦中にはフランスで指揮官として戦いました。1934年、ミズーリ州上院議員およびトルーマン委員会会長に選出され、政治界で名をとどろかせるようになります。
フランクリン・ルーズベルトの死後に大統領の地位を引き継ぎ、任期中は第2次世界大戦の終了の引き金となった核兵器の使用を許可しました。さらに、ニューディール連合の力を借りて、次の選挙でも勝利を収めています。
アーネスト・ヘミングウェイ
小説家であり詩人であるアーネスト・ヘミングウェイ。「氷山の理論」と呼ばれる事実をただ述べる執筆スタイルを確立しました。このスタイルは、のちの多くの作家に影響を与えたとされています。
1920年から1950年の作家キャリアの中で、ヘミングウェイは小説を7作、短編集を6作、ノンフィクションを2作発表しました。文学への功績を称えられノーベル賞を受賞したヘミングウェイは、アメリカ文学のクラシックと考えられています。
トーマス・エジソン
トーマス・エジソンは、映画用カメラ、写真、初期の電球など様々な革命的なデバイスを発明したことで知られるアメリカ人発明家です。
個人としての偉業もさることながら、チームとしての科学的研究も有名です。初の産業研究所を設立し、複数の研究者と共に研究を実施しました。1931年に病気で亡くなるまでに、1093個の特許を取得しています。
スーザン・B・アンソニー
スーザン・B・アンソニーは女性の権利における活動家であり、19世紀の女性参政権運動活動で有名な改革運動家です。生前、ニューヨーク・ウィメンズ・ステート・テンペランス・ソサイエティ、ウィメンズ・ロイヤル・ナショナルリーグ、全国婦人参政権協会など複数の団体を設立しました。
若かりし頃はその信念を非難されていましたが、80歳の誕生日を迎える頃にはウィリアム・マッキンリー大統領に招待されホワイトハウスで称賛を受けています。
毛沢東
共産主義の革命家である毛沢東は、毛沢東思想として知られるマルクス・レーニン主義理論に基づき中華人民共和国を建国しました。党首として1949年から1976年の間共産党を指揮します。
20世紀で最も有名な人物の1人として挙げられていますが、かなり物議を醸しだした人物でもあります。飢餓、集団処刑、囚人労働などによって4,000万から8,000万人の殺害のへの関与が疑われています。
ウラジーミル・レーニン
1917年から1924年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の議長、1922年から1924年にはソ連の最高指導者を務めたウラジーミル・レーニン。レーニンが指揮を執ったロシア(のちのソ連)は、ソビエト連邦共産党が率いる社会主義国となります。レニンの政治的・社会的イデオロギーは、のちにレーニン主義として知られるようになりました。
20世紀の重要かつ影響力の強い人物であるレーニンは、死後、個人崇拝の的となり、共産主義運動のシンボルとして崇められています。
ベニート・ムッソリーニ
社会政治家とジャーナリストとしてキャリアをスタートさせたベニート・ムッソリーニは、1912年にイタリア社会党の一員となります。イタリア社会党を抜けた後はファシズム運動を開始し、ファシストのクーデター後に首相に任命されました。
1922年から首相を務めたムッソリーニは、1945年のイタリア内戦直後に処刑されました。アドルフ・ヒトラー、フランシスコ・フランコなどは、イタリアの独裁者であるムッソリーニに影響を受けたとされています。
エレノア・ルーズベルト
セオドア・ルーズベルトの姪であるエレノア・ルーズベルトは著名なアメリカ家庭で生まれ育ち、遠縁のフランクリン・ルーズベルトと結婚しました。1933年に夫が選挙に勝利し大統領に就任したのちは、1945年までアメリカのファーストレディを務めています。エレノアは、歴史上最も長く従事したファーストレディです。
現在では革新的という見方がされていますが、アフリカ系アメリカ人を擁護して公民権に関して率直に意見していたエレノアは、当時物議を醸しだすファーストレディとして認識されていました。
ドワイト・D・アイゼンハワー
第34代アメリカ合衆国大統領となる前のドワイト・D・アイゼンハワーは、第2次世界大戦中に連合国遠征軍最高司令官としてヨーロッパに赴きました。戦時中の彼自身の功績と彼が率いた連合国遠征軍の成功が認められ、軍では元帥に任命されます。
戦後は1952年に共和党の大統領候補者として選出されるまで、アメリカ陸軍参謀総長、コロンビア大学学長、北大西洋条約機構(NATO)軍の最高司令官などを務めました。
フィデル・カストロ
フィデル・カストロは、キューバの首相(1959年~1976年)およびキューバの大統領(1976年~2008年)を務めたマルクス・レーニン主義のキューバの国家主義者です。若い頃はフルヘンシオ・バティスタ大統領を失脚させたキューバ革命に関わり、キューバの軍事・政治権力を奪取しました。
カストロがキューバを一党制の共産主義国に仕立て上げると、アメリカがこれに反発。カストロはソ連と手を組み、3国間の冷戦の幕開けのきっかけとなりました。
マヤ・アンジェロウ
詩人かつ公民権運動の活動家であるマヤ・アンジェロウは、著名な作家として、自伝7冊、エッセイ集数冊、詩集、映画やテレビドラマの脚本などを発表しています。生前は、名誉学位50個と数々の賞を受賞しました。
自伝の定義の境界線を越えた作家としても有名です。アンジェロウの作品のいくつかは自伝的フィクションに位置付けられていますが、多くの評論家の間ではこれらの作品も自伝であると考えられています。
バラク・オバマ
1961年ハワイのホノルルで生まれたバラク・フセイン・オバマ元大統領。コロンビア大学卒で、ハーバード・ロー・スクールの『ハーバード・ロー・レビュー』の編集長に任命された初の黒人です。
弁護士としてシカゴの政治に関わり、シカゴ大学ロースクール講では教鞭をとった経験もあります。2008年に上院議員として当選後、民主党からの大統領候補者となり、初の黒人大統領として第44代アメリカ合衆国大統領に就任しました。
ジョン・マケイン
政治家としてキャリアを築く前のジョン・マケインは、海軍のパイロットとしてベトナム戦争に派遣されます。ローリング・サンダー作戦ではハノイ上空で撃ち落され、北ベトナムで捕虜として捕まりました。
1981年に海軍を大佐の階級で退役。1987年から亡くなる2018年までアリゾナ州代表のアメリカ合衆国上院として活動しました。さらに、二期にわたってアメリカ合衆国下院を務め、2008年の大統領選挙では共和党の代表として選出されています。
ジークムント・フロイト
「精神分析学の父」と称されるジークムント・フロイトは、1880年代初期にウィーン大学の医学博士となったオーストリア人の神経学者です。人間の心理に関するフロイトの理論の多くが当時革命的であると考えられていましたが、特に人間の性に関する理論に注目が集まっています。
近年精神分析はあまり行われなくなってきてはいますが、フロイトの理論やイデオロギーは現在も議論の的となっています。
マーク・トウェイン
サミュエル・ラングホーン・クレメンズとして誕生したマーク・トウェインは、バージニアシティで『テリトリアル・エンタープライズ』のジャーナリストとして執筆活動を始めた、「アメリカ文学の父」と称される人物です。
ウィット、精巧な風刺、『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィン』などの小説で有名なトウェイン。彼の作品は一般人だけでなく、大統領、ヨーロッパの王族からも親しまれました。トウェインは執筆活動や講師業でかなりの富を得ていましたが、お金の運用に関しては不得手であったため最終的に破産しています。
ウラジーミル・プーチン
レニングラード大学で法律を学んだウラジーミル・プーチンは、卒業後にKGB職員として活動し、政治キャリアを追い求めて退職するまでには中佐に登り詰めました。1996年にボリス・エリツィン政権に加わり、エリツィンの辞職後は選挙で正式決定するまで大統領代行を務めます。
ロシアの大統領として二期を務めあげたプーチンは、2012年と2018年に大統領として再選するまでロシアの首相として活動しました。最近では憲法改定を行い、自身が二期以上大統領を務められるための変更を加えています。
フランクリン・ルーズベルト
FDRとして知られるフランクリン・ルーズベルトは、民主党の党員である第32代アメリカ大統領です。4度大統領に当選するという記録を打ち立て、20世紀の政界の重要人物の1人と考えられています。
アメリカの大恐慌打破に関わっただけでなく、第二次世界大戦中のアメリカを率いたルーズベルト。残念ながら大統領在職中の1945年、脳卒中で帰らぬ人となりました。