中世ヨーロッパの衛生・健康事情
中世は、西ローマ帝国の崩壊と共に始まりルネッサンスで終わりを迎えたヨーロッパ史における一時代です。様々なことが起こった時代ではありますが、衛生環境や健康的な生活の促進に注力した時代とは言えないことは驚きではないでしょう。この時代を生きる人たちにとって、疫病と病気は常に脅威であり、医療は野蛮でしかありません。今回は中世時代の衛生状況をご紹介して、現代適切であると考えられているものとどれだけ異なるかを見ていきましょう。
歯医者に感謝
現代の歯ブラシは19世紀になるまで特許申請されていないため、お口の健康に関しては個々にゆだねられていました。水で口をゆすいで布で歯を擦るというのが、中世の一般的な歯磨き方法です。
歯の健康状態を向上させるために、ミントやハーブを噛むことも一般的でした。それにもかからわず、金持ち貧乏ともに多くの人が虫歯を患い、麻酔もない状態での抜歯を強いられていました。中世時代は治療法がほとんどないため、多くの人が深刻な歯のトラブルを恐れていたことでしょう。
フォークを使わなければ細菌だらけの食事
スプーンとナイフは当時から使用されていましたが、フォークはまだ誕生していません。そのため、低階級の人達は手で食事を取っていました。現代でも手で食べる料理が存在するためそれほど悪いアイディアには思えないかもしれません。しかし、当時の手の衛生状態はかなり劣悪でした。
現代では石鹸と水で頻繁に手洗いをしますが、当時は珍しいことで、お手洗いに行った後も、動物に触れた後も手洗いをしないという人はたくさんいました。これが原因で、たくさんの人が汚染された食事による体調不良を起こしていたのです。
かなり不潔な一般人の家の床
埃、泥、外から持ってきた他のゴミを掃除するために、一般人は床にイグサをしいていました。水辺の植物であるイグサを乾燥させ床に敷くことで、取り外し可能なカーペットとして利用していたのです。
それほど悪いアイディアには思われないかもしれません。しかし、実際にはイグサはあまり頻繁に変えられることがありませんでした。つまり、動物の排せつ物、泥、外から持ち込まれた物全般で床が覆われていたということです。イグサは病気や望まない動物たちにもってこいの繁殖地と化していました。
お風呂に入ったからと言って清潔とは限らない
中世時代、入浴はお金持ち特有の特権であり、彼らであっても現在ほどは頻繁に入浴はしていませんでした。お城に住むほどの金持ちでないのであれば入浴はごくまれなことで、珍しく入浴した際には快適な体験とは言えません。
貧しい人達が入浴するとなると複数名の共同問題となります。たくさんの人が同じバスタブと水を使用するということです。当時の衛生状態を考えると、共同風呂なら使用しない方が衛生的であってもおかしくありません。
ほぼ殺菌をせずに手術
中世時代もある程度の医療と手術技術がありましたが、バクテリアや微生物という概念はほとんど知られていませんでした。そのため、手術によって患者が死亡するということが頻繁に起こっていたのです。
殺菌というのは現代の手術に置いて重要な要素ですが、当時は必ず手術の前に手洗いをしたり手術器具を洗浄したりしていたわけではありません。人々が手洗いをする様になったのは、ハンガリー人の医師であるセンメルヴェイス・イグナーツが「手や器具を洗うことで感染リスクが下がる」と発見した1800年代中期になってからです。
思いがけない目的に使用されていた小便
人間の小便は、中世時代様々な用途に利用されていました。例えば、傷を洗うための消毒剤です。衣服はほとんど洗濯されることがありませんでしたが、洗濯をする際には洗浄剤として小便を使用することは珍しくなかったようです。
衣服の染みを取り除くために、灰、灰汁、白ぶどう、小便を混ぜたものを使用していました。衣服がかなり長い間洗われないということを考慮すれば、小便で匂いが改善させるということはなかったでしょう。
ひげを剃らない多くの農民
農民の中には時々であれば髪を洗う機会がある者もいましたが、衛生という点に置いて髭剃りは重視されていませんでした。当時、鏡は端がすすけたガラスまたは研磨された金属からできており、本人が望んだとしても髭剃りを行うことが難しい状況だったのです。
多くの人にとって、きちんとひげをそってもらうためには床屋に行くしかありません。しかし床屋に行くためにはお金がかかるため、多くの人は髭剃りを遠慮していました。
清潔とは言えないベッド
貴族の出でない限り、ベッドは藁でできていることが一般的です。理にはかなっていますが、問題は藁がほとんど替えられないという点です。さらに、ここで眠るのは1日中外で作業をしてほとんど入浴をしないような農家達です。
ノミやダニにとっては魅力的な環境と言えるでしょう。ただ、ハーブや花を藁に混ぜると言ったような予防措置は取られていたようです。
お堀での水泳禁止!
城を囲むお堀の主な目的は攻撃から城を守ることですが、廃棄物の処理にも便利です。多くの中世の城は、廃棄物を周りのお堀に直接垂れ流す「ガードローブ」という排水システムを取りいれていました。
排水システムは壁の外側へと続いており、ここを開くと廃棄物がお堀に流れ込みます。お堀を超えようとすると、水以外のものに迎えられらることがあるというわけです。
お手洗いへ行くのは社交的な行為?
誰もが家にトイレを常備しているわけではありませんが、町などの人口が多い場所では公共のお手洗いを見つけることが出来ます。もちろん、公共のお手洗いはほとんど管理がされていないため、現代人であれば逃げ出したくなるような状態だったでしょう。
トイレは病気をもらってくるのに「最適」な場所であるだけでなく、プライバシーというものがほとんどありません。多くのお手洗いというのは、人びとが共有で用を足す穴の開いたベンチが設置された汚物だめの真上の部屋でした。
一般的だった寝室用便器
配管が存在せず、ほとんどはお手洗いのあるお城に住んでいるわけでもないため、中世の多くの人が寝室用便器に頼っていました。ボウルか鍋を使用し、大抵は夜中でも用を足せるようにとベッドの下に配置します。
用が済んだ後は、容器をベッドの下に戻すだけ。寝室用便器を空にする方法も衛生的ではありません。中身は下の通りに向かって窓からぶちまけていたのです。
禿の治療
男性の禿げは今に始まった問題ではありません。昔から、多くの男性が禿げ頭に悩んでいます。中世時代、試してみる勇気があるなら試してみたい禿の治療法が存在しました。
17世紀に執筆された医療書によれば、鳥とハトのフンを灰と灰汁と混ぜ頭に塗布すると禿頭に効きます。どれくらいの自暴自棄の男性たちがこの方法を試したかは不明ですが、確実に何の効果も得られなかったはずです。
すべてを癒してくれると考えられていた放血
中世の時代、一般的な医療処置として用いられていたのが放血です。病気を治すために患者の血を体から抜き取ります。切開して血液を瓶に垂れ流しにするか、「汚染」された血液を吸ってくれるとされるヒルによって、血液を除去していました。
ヒルは体の病気の部分に当てられて、太って落ちるまで血を吸わせます。血を除去することは病気を治すことと真逆であるということが分かるまで、自分自身で放血を行う人もいたようです。
天蓋ベッドの真実
天蓋ベッドは、プライバシーの保護や熱の保持など様々な用途で使用されます。しかし、ベッドとその上で寝ている人を清潔に保つという点でも効果があります。
中世時代、多くの建物には現代のような屋根がなかったため、虫、害虫・害獣、鳥のフンなどが隙間から入り込んで、建物内に侵入するようなことがありました。天蓋ベッドはこれらの望まぬものがベッドやそこで寝ている人の上に落下することを防ぎます。
シラミからは逃れられない
金持ちも貧乏も悩まされるシラミ。シラミから逃れる事はできません。あまりの堪えがたさに、金持ちは髪を剃って代わりにかつらをかぶっていました。
しかし、この方法も徒労に終わります。かつらは本物の髪からできているため、自然に生えてくる髪と同じようにシラミの餌食になりるのです。シラミの状況が悪化したため食べ物に落ちてくるのを恐れ、食事中に帽子を外すことを拒む人たちまでいたそうです。
横行する伝染病と病気
中世を生きる人達は、清潔さの欠落によって健康が被害を受けることを知りませんでした。そのため、疫病や伝染病が横行。不潔な環境、劣悪な調理準備と保存方法、その他の複数の要因によって、人びとは常に病気に悩まされます。
しかし、最も恐ろしい病気と言えば、黒死病でしょう。1347~1351年に大流行し、中世の人口の大多数が命を落としました。もちろん、黒死病は劣悪な衛生環境、誤った医療行為、嘆かわしいほどの生活基準によって蔓延した病気のひとつにしかすぎません。
汚水だめとして利用されていたテムズ川
中世ヨーロッパは現代の人の想像をはるかに絶する異臭に悩まされていましたが、英国のテムズ川を越える悪臭を放つ場所はそうそう存在しないでしょう。この場所は、人々が様々なものを廃棄する自然の下水道として利用されていたのです。
肉屋が腐った肉や動物の一部を廃棄するのによく使用されていた橋は、「ブッチャーズ・ブリッジ」と呼ばれています。常に乾燥した血と腐った肉に覆われていたそうです。1369年、川にこのような廃棄物を投棄することが禁止となりました。しかし、それでも匂いが改善することはなかったようです。
唾をはく行為が健康被害に
オールド・ウェストでは、多くの男が噛みタバコをして唾を吐いていたが、写真を見るとお分かりのように、当時の酒場の床には唾を吐きだすための壺が並べられている。だが、男らはその壺に唾を吐きだすこともあったが、直接床に吐き出すこともあったようだ。床や壺に吐き出された唾液の上にはおがくずをかけていたのだが、これが結果として、肺炎や結核等の呼吸器疾患を引き起こす問題となっていた。
唾液が混ざったおがくずは、細菌の温床となる。酒場が旅行者に場所を貸し出すこともあり、そうした場合に多くの人が床に寝そべって休むこともあった。こうした理由のため、唾を吐きだすことは多くの場所で禁じられ、これに違反した者には罰金または懲役刑が科されていた。
公共のベッドに寝るのも、賭けのようなもの
アメリカ西部のベッドがすべてワラや干し草で作られていたわけではないが、多くのベッドがそうだったのも事実だ。そして、そうしたベッドがたいていの場合、清潔であるとは言えない状況で「シラミ」がはびこる結果となる。しかしながら、オールド・ウェストにはびこる虫はシラミ以外にも多く存在していた。
うまく断熱できていない建物のつくりのために、蚊もハエもあちこちを飛び、卵を産み付けるなどして食べ物が汚染されていた。さらに、窓に網戸を入れている家も少なかったため、家の中に虫が入ってきやすかったのだ。
石鹸はそこまで重要なものではない
ビリー・ザ・キッドの友人、フランク・クリフォードはアメリカ西部での生活について回想録を執筆し、石鹸についてもその中で触れている。フランクはメキシコ人女性が髪を洗うのに使っていた製品を「ユッカ石鹸」と記している。ユッカという植物から作られたこの石鹸は、女性が洗髪に使うと髪を「柔らかく清潔に、かつツヤを与える」働きがあるという。
このユッカ石鹸を使っていた人もいたが、多くの移住者は動物の油脂で作られた石鹸を使用していた。この手作り石鹸は特にザラザラとした手触りで、肌荒れを引き起こすことで知られていた。さらに当時、体臭は誰もにある当たり前のことだと考えられており、あまりにも清潔にし過ぎると、逆に細菌が入ったり、病気になったりしてしまうと恐れられていた。
女性の肌の色は重要な要素
当時は、色白の肌にシミやそばかすなどのない女性が人気だった。中流階級から上流階級の女性は、肌を漂白するか、できる限り太陽を避けて室内で過ごし、白い肌を保っていた。
外に出る機会がある場合には、帽子に手袋、長そでを必ず着用して日焼けを防いだ。残念ながら、開拓者の女性すべてがこうした贅沢をすることができたわけではなく、もちろん太陽にさらされる女性もいた。また、社会的通念に反し、カウボーイのような生活をする女性も多くいた。
きれいな水の確保は困難
ワイルド・ウェストで生きていく上で、特に移動する場合には、清潔な飲み水の確保が必要不可欠だった。しかし、水の確保は決して容易なことではなかった。たとえ飲み水を見つけたとしても、上流に小屋があったりして、水が汚染されている可能性も少なくはなかったのだ。
また、よどんだ水にはたいてい虫が発生しているか、土足で汚されているか、または馬が飲み水として使用していたために、基本的に人の飲めるようなものではなかった。さらにタンクなど容器に集められた雨水は、短期間であれば飲めるほどきれいであるかもしれないが、時間が経つにつれ、虫などがわいたりして飲めたものではなかった。
砂ぼこりは常に周りに
ワイルド・ウェストでは、屋内外を問わず、常に砂ほこりが舞っていた。砂嵐も頻繁かつ、破壊的で、泥や汚れで街全体を厚く覆ってしまうのだった。1860年代にミズーリ州からモンタナ州あたりを旅した少女、サラ・レイモンド・ハーンドンはこう記している:
「もう、砂ぼこり、砂ぼこり、どこに行っても砂ぼこりだらけ!こんなに酷いところは見たことがないくらい。ほぼ膝丈まで砂で埋もれてしまっているみたい。(中略)やっとたどり着いたときの男の子たちの顔といったら。顔についた土ぼこりでとってもみっともなかったわ。」もちろん、こうした大量の砂ぼこりは、深刻な呼吸器疾患を引き起こしていた。
屋外トイレは悪夢のよう
地面に掘った穴の上に建てられた粗末な小屋で用を足すのは、快適であるとはとても言えなかったようだ。茂みや森の中など、外で用を足すのに問題はなかったようだが、屋外トイレは通常母屋の近くに設置されていた。そして、排泄物を貯める穴がいっぱいになると土をかぶせ、また別の場所に掘った穴の上に小屋を移していた。
当然のことながら、臭いによって小屋にはあらゆる種類の虫が集まり、病気にもかかりやすかったと言える。しかも当時トイレットペーパーなどなかったのだから、代わりに葉っぱや軸つきのトウモロコシ、草などが使われていた。
シャンプーにも種類があった
ラッキーな人は髪を洗うのにユッカ石鹸を使うことができたようだが、ほとんどの人、他の方法で髪を洗っていた。たとえばウイスキーは、飲む他にも、消毒用やシャンプーとして幅広く使われていた。
ひまし油と混ぜてシャンプーとして使われ、洗い流すときには、雨水やホウ砂を溶かした水溶液が用いられていた。また、女性が髪のスタイリングをする場合には、原始的なカーラーとして鉛筆を温めて使うのも一般的だった。
女性は男性よりも衛生的
肉体労働者やカウボーイ、兵士、その他男性は一般的に屋外で過ごすことが多く、さらには風呂に入ることなく何日も過ごすことさえあった。そして風呂に入るといっても、たいていの場合、水に入るといったようなものであり、冬の寒い期間には特に避けたい行為であった。女性は、時間も資源もあったことから、男性よりはわずかに良い衛生習慣を維持していたようだが。
サラ・レイモンドによると、人々は、毎朝泉に行って「手や顔を水につけ、朝食テーブルに飾るための花を摘んで、居住地に戻る」というような習慣があったようだ。しかしながら、プライバシーなどはないに等しい状況であったため、それ以上のことはなかなかできなかったようだ。
酒場では共用タオルが使われていた
ワイルド・ウェストでの酒場は、今日のものとは異なり、多くの酒場にはバーカウンター用の椅子などなかった。代わりに手すりが手元と足元についており、手元にある手すりにはタオルをかけるためのフックがついていた。
このタオルは、酒場でビールを飲む男たちの口やひげについたビールの泡を拭くのに使われた。1日に多くの男に共同で使われ、滅多に洗われることもなかったこれらのタオルには、もちろん、数え切れないほどの細菌がはびこり、病気の原因となっていた。
男性の長髪は一般的
長髪は清潔に保つのが厄介だし、首の周りなどは特に暑く感じるかもしれないが、ワイルド・ウェストではこれが一般的な男性の髪型であり、有力者の中には、長く伸ばした豊かな髪を誇示する者もいた。
しかしながら、男性は伸ばし放題に髪を伸ばしていたわけではない。街に着けば、カウボーイらは髪を少し切って整え、風呂に入り、新しい洋服を買い、ヒゲを剃っていた。19世紀に入ると、男性の間で短い髪が一般的となっていった。
病気からは逃れられない
オールド・ウェストに暮らす多くの人々が不衛生な状態にあったため、病気が移住者らにまん延することも一般的だった。とりわけコレラは多く発生し、アメリカ先住民と移住者の両方にとって壊滅的な被害をもたらした。
病気は至るところで見られ、病気がまったくない移住者らや居住地を見つけることなど奇跡に近かった。サラ・レイモンド・ハーンドンによると、ある居住地に到着したとき、「この居住地にはまったく病気がなく、奇跡的にも、みんなが健康的だった。これが続いたらいいのにと願う。」とある。
スカーフの重要性
カウボーイの衣服で最も象徴的なものの1つに、スカーフやバンダナがある。これがなくては生きていけないと言われているほどだ。口や鼻に砂ぼこりが入らないようにしたり、首が日焼けし過ぎないようにしたり、寒さから耳を守ったり等々、様々な目的で使われていた。
もちろん、ハリウッド映画などでは、強盗をするときにこれを使って顔を隠すのに使われている。素材は様々だったが、たいていの場合、色は赤だった。使い方は至ってシンプル。まず三角形になるように折って、端と端を首の周りで結んで使われていた。
もじゃもじゃのヒゲと長髪からこざっぱりとした髪型へ
19世紀の後半にもなると、デンタルケア商品が普及し始める一方で、新しいヘアケア商品やヘアスタイルも見られるようになってきた。当初ワイルド・ウェストのカウボーイや男たちの格好はと言えば、一様にむさくるしいヒゲに長髪といったものだったが、こうしたヘアケア商品の普及に伴い、男たちの様相も変わっていった。
男たちはここにきてやっと、長髪でいることが細菌の温床となり得ることに気づき始め、多くの男たちが髪をバッサリと切って、ヒゲを剃り落とし、こざっぱりとした様相になっていった。
歯科衛生などなかった
オールド・ウェストでは、歯ブラシや歯磨き粉等、オーラルケア用品は普及していなかった。これはつまり、多くの人が口腔内に深刻な問題を抱えていたということだ。そして、歯が問題であった場合には、たいていの場合、引っこ抜いて治療していたのだ。
歯科医というものが一般的でなかった時代だったため、これは通常、理容師や鍛冶屋によって、または「患者」自身によって行われていた。もちろん、ウイスキーを飲んだり塗ったりする以外に痛み止めなどないに等しかったのだから、結局のところ、こうした口腔内の治療というものは恐ろしいもので、多くの人がその代償を支払った。
カウボーイは真菌感染症に悩まされていた
数週間も、時には数ヶ月間も風呂に入ることなく、そして服の着替えもなく、馬に一日中乗って移動していたことから、多くのカウボーイらは恐ろしい真菌感染症を患っていた。
こうした感染症は、股や尻、脇の下や足の辺りにその症状が見られた。酷くかゆくてピリピリする痛みを伴い、たいていの場合、汚い手や爪で掻いたりしたものだから、こうした皮膚炎は悪化する一方だった。
馬のような臭い
数週間も馬にまたがり移動した後には、カウボーイらは「連れている馬のような臭い」だと形容されていた。この言い回しのために文字通り、カウボーイが長期間馬に乗って移動した結果だと信じる人もいるだろうが、これは結局のところ、長い間シャワーを浴びることがなかったせいで、一般的な皮膚細菌が蓄積していった結果だ。
こんなに不衛生だったカウボーイらだが、万が一切り傷や擦り傷などでもあろうものなら、ブドウ球菌や連鎖球菌に感染し、膿痂疹(のうかしん)を患っていたことだろう。これは致命的な病というわけではないが、この感染症は伝染性であったため、カウボーイらの間で慢性的に起こっていた。
性病のまん延
当然のことながら、当時の酒場等で親密な関係を持っていた多くの男女が性病を患っていた。こうした性病について情報はほとんどなく、ましてや知識などもなかったが、治る見込みも薄かった。
当時多くの人々がこうした病気や感染症が存在することを知らなかったため、性病に感染していた人も普通に他の人とも行為を続け、その結果、性病がさらにまん延した。噂によると、伝説のワイルド・ビル・ヒコックも性病によって死んだのではないかとされている。
アルコール摂取は気弱な人には向いていない
当時、多くの酒場で提供されていたウイスキーは、焦がした砂糖にアルコール、噛みタバコを混ぜて作られており、危険なほどに強いアルコール飲料だった。カウボーイらがウイスキーに火をつけ、そのアルコール度数が強いことを確かめたことから「ファイヤーウォーター」とも呼ばれていた。
ウイスキー以外に当時人気だった飲み物は、サボテンワインとして知られ、テキーラにペヨーテを煎じたものを混ぜて作られていた。当時のアルコール飲料はすべて、今日普及しているアルコール飲料と比べてもはるかに強く、欲しがる人も後を絶たなかった。もちろん、酒場での乱闘や死傷事故も数え切れないほど起こっていたのは、こうした強い酒が引き金となっていたのだろう。
一般的な食生活はそんなに悪くはない
ワイルド・ウェストにおいて、開拓者の料理はその人それぞれが居住していた場所と季節によって異なっていた。その土地で捕獲されるウサギやリス、野牛(バッファロー)等の獣肉に加え、その土地で取れる植物を食していた。小麦粉、豆、砂糖等その他の乾燥食料も使われ、可能なときに補充されていた。
食べ物は簡単にダッチオーブンやフライパン、鍋など重金属の素材で作られたものを用いて調理されていた。しかしながら、移住者の数が多くなるにつれ、食べ物の選択肢も広がっていった。